2章.封鎖(1)

 橋が崩れ、先に進めなかった通路を引き返す2人。

 先程の大広間を抜けた先に、目的の抜け道はある、と言う話だった。




 相も変わらず足音を立てずに、低い位置を滑る娘を見て、素朴な疑問を口にするハザ。

「そう言えば、飛べなくなったんじゃないのか?」

「これは、我等の持つ才であって、貴方の言う技ではありません。

 幾ら使っても、減ったり無くなったりはしませんよ」

 見計らっていたかの如く、リムは返してきた。

 今も浮いているという事は、飛べるという事では無いのか。

 更に疑問に思ったものの、口を開く前に間髪入れずに続けて、彼女の落ち着き払った、澄んだ声が耳朶に届く。

「それは――。

 先程申し上げました通り、これは我等が元より持つ才。

 飛ぶ為には、他に何らかの手段が必要でして。

 今はハザに引いて貰い、移動を行っているのです」

 ハザにも判り易い様にと、噛み砕いて言っているのだろうが――引いているとは言っても、手を繋いでいないし、紐や綱も掛けていない。

 当の彼自身が、リムを引いている感覚など、勿論ある筈も無かった。

 正直な所、胡散臭い事この上ない話にしか聞こえず、聞いている側としては、困惑するのみである。

「それじゃあ、力が減った分は、どの位でまた使える様になるんだ」

「使った力により多少の差があります。

 概ねは人の生を、全て費やした位の時間が、必要となるでしょうか」

 得られた回答の内容も、予想より遥か斜め上、と言った方が良いだろうか。

 こんがらがった思考を整理する為にも、話題を変えてはみたものの、更に気の遠くなる話をされてしまう。

 その言葉を聞いたハザは、彼女と多少の差という感覚そのものに、大きな隔たりがあるのを感じる。

 これは、どのような反応を返せば良いのか、と暫し思い悩むが、想像をはるかに超えた突拍子も無い内容に、良い返事などまるで思い浮かぶ筈も無い。

 話を聞く限りでは、手から出す炎、誰にも知られずに飛ぶ方法は、2度とお披露目する機会が無さそうだ。

 リムの方からは、特に話の続きを語る様な事は無く、今ひとつ理解が進まなかった彼は、まあ、何となく分かった、とお茶を濁し、先を目指す。




 それから、足音がひとつ響くだけの、物静かな旅路が続いた。

 ハザは後ろから照らし出される、自らの影を追う――。

 やや下り坂となっている道を進み、下り階段の途中で、踊り場から通路に出る。

 微かに揺れる壊れたランタン角灯から、きいきいと軋む音。

 目前の三叉路にて、左手側に顔を動かすと、すぐに下りの階段が視野に入った。

 降りて行く訳では無いから、こちらでは無いだろう。

 踵を返し、薄暗いランタン角灯の明かりを頼りに、ゆっくりと歩む。

 程なくして、再び三差路へと出る。

 今度は、正面へ続く細い通路、右側に続くやや広めの通路。

 目指すのは大きな広間の石橋なのだから、広い通りを進むべきか――そう考えた彼は、逡巡する事無く広い通り道を選ぶ。

 黙々と歩を進めても進めても、色も形も全く代わり映えしない通路が、少々単調でそこが難点と言えば、確かにそうだ。

 足音と共に影は壁へとその身を映し、青年の動きを正確に真似をするかの如く足を動かす。

 その様子は、悪戯っ子が意中の人物の気を引く為に、動作を行う様を連想させる。

 しかしその真似っこは長く続く事は無く、ゆっくりと背後の明かりが旋回し、1度は左側に回った足元の影が、再び前方の床に映し出された。

 彼女は今の所ハザの決定に、異論を唱える気は皆無なのだろう。

 風が吹く度に僅かに聞こえる衣擦れと、ランタン角灯の軋みが後に続く。


 そして少し広めの通路へと、更に曲がって進んだ先、やや遠い所にひとつの輝きが見え、目を凝らす。

 闇の中、ぽつんと輝く灯火が浮き上がり、煌々と辺りを照らし出す、視線より、少し高い所に見えている光源。

 近づくとそれは、壁に取り付けられていた、この遺構では左程珍しくもない、不定期に着いたり消えたりする、照明具である事が分かり、2人がそこへ通り掛かると突然、灯火が消え失せ、辺りが暗くなる。

 入れ替わる様に、更に遠くの方で灯火が、ぽつりと灯るのが見えた。

 人知れず明かりが灯ったり、消えたりするのも遺構がまだ生きている、その証左なのだろうか――青年は疑問を感じはしたが、背後に付くリムは何も答えない。

 今居るこの遺構が、何時の頃に造られたかは知らないが、古い所為か様々な所が壊れている様にも思える。

 しかし、今だに機能している部分があるのも確かだ。

 他にもあるかもしれないが、青年の想像出来る範疇に、収まる事柄だけでは無いだろう。

 少し前に見た、彼女が指差せば消えてしまう壁も、その知られざる絡繰りの1種であるに違いない。

 その様な抜け道はもう無いのか、はたまたあっても通る気が無いのか、ハザの後ろで宙を滑る彼女は、只々静かなままであった。

 何か知っているのなら、尋ねれば答えてはくれるだろう。

 しかし、話を聴いた所で、それを理解出来るかどうかは、定かでは無いが。

 今、特に聴きたい事などがある訳でも無く、遠くで新しく灯った、光源の方へと足を向ける。

 曲がった回数、通り道の方角からして、こちらで合っている筈なのだが、さて、何処に繋がっている事やら。

 暫く真っ直ぐ歩くと、小部屋の様な広さの場所に出た。

 4隅に建てられている、石柱の内ひとつが崩れ、壁際に横倒しとなっている。

 ここも、壁に取り付けられた、2つ程の光源が輝いており、想像していたより見通しは良い。


 彼等2人は、そこで小休止を挟む。

 隅に崩れて転げている、石柱に椅子代わりとして座り、ハザは歩き詰めで頬を伝う汗を拭いた。

 リムはと言うと、膝を抱えて座る姿勢であるものの、風に揺られたのか少しづつ、その体が傾いてゆく。

 やがて倒れると思ったその時、地より掌ひとつ辺りの高さで、ふわりと浮き直す。

 だが、彼女は横倒しになった姿勢のまま、地と並行になっており、長い髪とローブ表着の裾が床にしな垂れている。

 押し黙った彼はひと通りの流れを、目を細めてじっと眺めていたが、特に関心を示す様子は見られず。

 ――少しの間待ってみたが、風で押される以外、ピクリとも動こうとしない娘は、乱れた着衣や姿勢を正す様子など、微塵も感じられない。

 そして、2人の間に対話は全く無かった。

 目の前の出来事は、まるでどうでも良さげに軽く鼻を鳴らし、様子を一瞥したハザは黙したまま、鞄から柄の上に窪みのある小さなナイフ小刀と掌に乗る程の果物を取り出し、硬い皮に刃を立て、武骨な手からでは想像も出来ぬ器用さで、くり抜く様に剥き、その中身を露わにすると、口に放り込む。

 そして、硬いその果実を、ころころと舌先で転がす。

 暫くすると、果実は徐々に小さくなり、芳醇な香りと程良い甘さが、口の中一杯に広がった。

 やがて、ぽりぽり、がりごりと、と静かな石の通路に、薄く小さくなった果実を、噛み砕いた微かな音が響く。


 甘く硬い果実を食べ終え、鞄からもうひとつ取り出すと、皮を剥きながら彼は思う。

 嫌でもこの先で、友好的では無い者に出会うかもしれないが、ここまでは、後を追って来る者も居らず、誰とも遭遇する事は無かった。

 用心しておくに越した事は無い、だが、迷宮のように入り組んでいる、全ての通路を余程の人数で、片っ端から調べて行かない限りは、誰かに出会う事はほぼ無い等しいだろう。

 それ程の人数を動員して、古の地に向かわせたとは到底思えないのだ。

 古の地とひと言で括っても、その範囲は広く、自身が入り込んだここですら、幾多ある遺跡の内、たったひとつに過ぎない。

 上に向かえば向かう程、徐々に広くなってゆく構造。

 既に滅んだと云う、太古の者達は、得体も知れぬ神とやらを、永劫この地に縛る為とは言え、これ程の施設を必要としたのか。

 階層の全容を推測するに、それはさながら地下に造られた、巨大な迷宮の様であった。

 だが上に登り難くしている訳でも無く、狼藉を働こうと侵入を繰り返す者を、妨害する罠も財宝も、皆無と言って良い程少ない。

 見付かるのは精々、欠けた茶碗や割れた壺程度。

 それもこんな深い所まで来る無く、地上の建物辺りにわんさと転がっている。

 古い物をかき集め、昔に思いを馳せる物好きしか、そんな物は欲しがらないだろう。

 盗む者や、商う者が、こぞって探しに来る様な、価値ある金品が残念ながら、何ひとつ無い。

 少なくとも、その地を治めた王の墓所の様に、埋葬する目的で、拵えたという訳では無さそうだ。

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