1章.三つ巴(2)

 お互いの怒声が一斉に広がったと思えば、それらはすぐに、鉄と鉄が打ち合う音に変わる。

 やがて、さらに多くの手に手に武器を持った者達が雪崩れ込み、押し合いとなった者達から幾つかの悲鳴が混じり、空洞となった広い空間に響く。

 小さな弓を手に、矢弾を射浴びせる者も居り、そこはもう既に、互いが争う小さな戦場と化していた。

 遠く聴こえる喧噪の最中、リムの声が微かに水面から聴こえる。

「こちらから新しく来た方々は、神を助ける、と言っている様です」

 勢力の違う者同士が、衝突し合っているのか。

 何らかの使命を帯びた者、彼の様な流れ者、またはごろつきか野盗の類、その辺りが独りで地底を目指した、そんな者しか、ここには居ないと思っていた。

 だが、実際は違う。

 様々な信条を掲げた者達が、遺構へと組織立って、入り込んで来ている。

 という事は、奴等は、ハザが地底で辿り着いた遺跡が、実はどのような物か知っている、若しくは知っていた、という予想が脳裏に浮かぶ。

 何らかの手段を用いて、かなり精度の高いアタリ予想を付け、彼を送り込んだ可能性も捨て切れない。


 そして、諍いの音を聞きつけたのだろうか、広間の反対側に掛けられた橋からも、幾多の人数が渡って来た。

 何事かを叫びながら、勢い良く突撃したと思えば、2者の戦いの中に割り込む。

 彼等は何をするのかと思い見ていれば、事も在ろうか、広間で先に戦っている者達を攻撃し始める。

 新たに参戦して来た者達は、どちらかの増援では無かったらしい。

 しかしその事は、互いに予想していたらしく、驚いた様子も大した混乱無く、と言っては可笑しいだろうか――彼等はごく当たり前の様に、戦いを続けている――その様子はまるで、敵対している者の到来を、知っていたかのように。

 そのまま広間の中央では、三者三様が入り乱れての戦闘が、繰り広げられている。

 もう、どちらがどちらの味方であるのか、ここからでは、はっきりと判別する事が出来ない程だ。


 器の中から、彼女の声は続く。

「見えていますか――?

 また、増えたみたいですよ。

 争い始めましたね、こちらの方々は、敵対している様です」

 器の中から声を発しながらも、そこにはまるで、誰も居ないかの如く扱われている彼女。

 しかし、見ていれば相争う者達に押され、何処か明後日の方角に向かって、リムは勢い良く宙を滑ってゆく。

 あれだけ近く居ると言うのに、気付かれていないのが、全く不思議だ。

「ああ、それ位見れば判る。

 ふん……これも下に居たのとは、また違う連中か。

 国や目的が別で、お互い争うとか、ややこしい事をする奴等だ。

 纏めてかかって来る方が、俺としては楽なんだがな」

「ハザ。

 貴方は、どちらの陣営ですか?」

「……俺か?

 俺はどちらでも無い。

 神とやらが居れば、連れ帰るよう頼まれただけだ。

 お前がその昔、この遺構に封じられた、というなら、とりあえず地上まで連れて行く」


 ……問いに対して、答えを返したものの、それについて、リムからの返事は無い。

「あっ」

 不思議に思い、広間と水面のどちらを見るべきか、と迷っていると、突然、苦悶の声が上がり、がつりと音がした次の刹那、水面には何も映らなくなる。

 今、器に満たされているのは、透き通った、ただの水だ。

 何があったのだろう。

 もしや気取られたかと思い、広間の方へと目をやると、そこに見えたのは、柱に頭をぶつけるリムの姿。

 しかし声を掛けに行く訳にもいかず、再び器へと視線を落とす。

 先程ただの水へと戻った水面には、いつもと変わらない、彼女の顔が映し出されていた。

「おい、大丈夫か?」

「はい。

 どうぞ、お気になさらず」

 声色も何時も通り、何の変化も無い。

 実に落ち着いた面持ちで、何事も無かったかの様に、リムは話を進める。

「此処で話をもっと集めましょうか。

 それとも、もっと先の様子を見に行きますか?」

 何故か奴等は、気付く事が出来ないまま、宙に浮く女は大方の話を盗み聞き終えたのか、水に映された顔からハザに語り掛けた。


 リムの偵察らしき行動のお陰か、色々と知る事が出来たが、それでどうするのか、そこは考えねばならない。

 少し間を開けてから、青年は考えを口にする。

「いや、いい。

 そうだな、話を整理して、今後の事を決めたい。

 悪いが、引き返してきてくれ」

 わかりました、との返事の後、女の顔は薄れてゆきやがて、見えなくなった。

 再び、透き通った水が、器の中に残る。

 風に揺れる水面は、不思議ともう、何も映し出す事は無い。

 やがて、辺りをふよふよと飛んでいた彼女は、こちらへと戻って来た。

 あちこちにぶつかり勢い余ったのか、腰まである長い髪をも振り乱し、ぐるぐると宙で回り続けている女。

 リムが目の前を通り過ぎる間際、心配になって思わず手を伸ばすと、数拍も遅れて何とかハザの手に掴まり、漸く回転は止まる。

 彼の手を支点に、ふわりと浮き直した彼女は、緩やかに姿勢を正すと、爪先立ちの様な見慣れた姿勢で、彼の隣へと降り立つ。

 その手には、地と足が触れあった感触は、伝わっては来ない。

 青年は、この娘が浮いている、と言う事を改めて感じ取り、不思議に思った。


 帰って来た彼女を近くで見ると、体のあちこちに擦り傷。

 相当こっ酷く、ぶつかって来たのだろう。

 そして、先程ぶつけたと思しき頭部には、大きなたんこぶが出来ていた。

 整った顔立ちを台無しにする、あまりの痛々しさに、ハザは思わず顔を顰め、鞄の中に手を入れる。

 ごそごそと、暫く手を中で彷徨わせていたが、やがて鞄から傷に良く効く、愛用の塗り薬を取り出した彼は、大きく目を見開く。

 青年は不思議そうな顔を、隠そうともせず、目の前の女をしげしげと眺めた。

 良く見ると、先程まであった筈の、たんこぶや擦り傷が、何処にも見当たらない。

 きょとんとしたリムの瞳が、ハザのそれと交差する。

「ああ、それですか。

 先程交代しましたので、どうぞお気になさらず」

 問われる前に察したのか、彼女は徐に何をしたのかを話す。


 しかし、何を言っているのか――また謎の技を用い、すぐさま怪我を治したのだろうか。

 それを聞いても、彼は納得しないような面持ちで、呆れた様に答えた。

「相変わらず、良く分からん事を言う奴だ。

 怪我もすぐ直せるなら、先に言え」

「治療とは、少し違うのですが。

 それで納得して下さったのなら、我等はそれで構いません」

 到底納得できないが、お前のやる事は良く分からん、と喉まで出かかった言葉を飲み込み、話を進めよう、と言う。

 ここで押し問答になっても、敵を利する事はあっても、自分達の益にはならない。

「最後に来た奴等は、何と言っていたんだ」

「我等は大変危ないそうですので、此処に留め置き、誰も触れられぬ様にしたい、と。

 その様な事を、言っておりました」

「昔の奴は、あの炎や宙に浮く事を恐れたのかもしれんが。

 その事で、お前が危ないのかどうかは、俺は知らん。

 ひとつ聞くが、ここに居たいか?」

「いえ。

 我等は地上へと向かいます」

「確か、仲間と連絡を取り合うとか、言っていたな」

 出会った当初より、彼女の答えは変わらない。

 それは余程大切な用事なのだろうと、彼は思う。


 かの教団より連れて来い、とは言われていたものの、特に時期は指定されていない。

 何なら、そこに送り届けるのは、リムの用事が全部済んでからでも、一向に構わないのだ。

 そう考えたハザは言葉を続ける。

「そうだな。

 俺も、こなさねばならん事がある。

 これを済まさんと、金が貰えんからな。

 そうしたいが、奴等は俺達にとって邪魔だ。

 俺が通って来た通路は、少なくとも敵対的な、何者かに見張られている、通らない方が良いだろう。

 代わりに何か、出し抜く手立てが無いか、考えねばならん」

 そう言うと青年は、頭を抱えて、近くにある崩れた岩に腰掛けた。

 お守りがあまり好きでは無いハザは、護衛する事は得意な類の役目ではない。

 やって出来なくは無いが、どちらかと言えば、敵を前に剣を振る方が、性分として合っている。

 自身独りなら、どうとでも出来る現状も、今は守らねばならない娘の存在に、気が重くなり溜息を吐く。


 少し考え込んでいると、娘の方から彼に語り掛け、今後の方針を指し示す。

「そうですか――。

 それでは、ハザ。

 地上へ向かう際、我等が通ろうと思っていた道を、進んでみませんか」

 そんな所があるのか、と目を丸くし、すぐに眉間に皺を寄せる。

 彼の考える時の癖なのだろう、実に判り易い。

 やがて、考えが纏まったのだろうか、彼はぽつりぽつりと話し始めた。

「……そう――、するか。

 全てこの剣で出迎えてやれないのは、気に食わないが……。

 ここへ来た目的は、戦う事では無いからな。

 お前――、リムを地上へと連れ出す事だ」

 そして、案内してくれ、とハザは続ける。

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