4章.休息―rest2―(2)

 壁際にもたれる様に青年が座ると、彼女――リムはふわりと近くに来て、立っていた。

 矢張り、地に足を着けていない。

 座る様子を見せない――浮いているから、立ちっぱなしでも疲れないのだろうか。

 そう言えば、この地底で暮らしていた時は、どんな営みをしていたのだろう。

 あの時は確か、引き返そうとした時に、美しい歌声が聞こえた。

 彼女が暗がりに響く歌を歌い、遺跡のあの玄室で、暮らしている姿が目に浮かぶ。

 その時、唐突にリムが透き通った声で、座った青年に話を始める。

「我等は唄など、歌ってはいませんよ。

 此処に幽閉されたのは、随分と昔の事、それからずっと、我等はこのままです」

 彼女の声に従い、青年が確かに、古い剣を引き抜いた筈だ。

 それでも、この娘は今だに幽閉されていると言う――その言葉は、どういう事を差して言っているのか、ハザは皆目見当が付かない。

 聊か察しかねる意味を持つ、リムの言葉を慎重に思案しつつ、彼は答える。

「あんな凄い技を使えるお前が、閉じ込められるとは、驚きだ。

 しかしもうあそこからは抜け出せたんだ、もう心配はいらん。

 上までは、俺が連れて行ってやる。

 そう言えば、リム、あの古びた剣は何だったんだ?」

 彼女の云う幽閉と言う言葉で、思い出すハザ。

 封じられていた、という話に興味が湧き、リムに話を促す。


 あんな炎が出せて、むざむざ捕らえられた等と、彼の感覚からすれば、到底信じられる話では無いが。

 争った時にあの技で、振り払いは――しなかったのだろうな。

 当時は、美しく磨かれていたであろう剣に、その胸を貫かれるまで、ぼんやりと眺めている様が、まるで目の前に浮かぶ様だ。

「その事ですか――。

 我等は未だ、幽閉されている身ですよ。

 それにあの針は、人にしか抜けない物でした。

 抜く前に崩れ去ってしまえば、更に長い時間、あの場所へ留まる事となったでしょう」

「もう古い剣は無くなった。

 それで、針の呪いとやらは解けたのか」


 問う青年の声に、返って来る短い沈黙。

 その時、リムは少しだけ、唇を歪めた様な気がした。

 忌々し気に――いや、困り気に。

「それが――。

 我等を縫い付けていた、針が抜けた程度では……。

 この遺構そのものが、我等の対話を妨げる、そのような呪いが、込められている様なのです。

 そして、我等も幽閉から抜けられくなる、秘術が編み込まれていました。

 彼の者達も、実に抜け目の無い」

「俺があそこへ来なければ、抜け出せなかったという事か。

 お前独りでは、厳しい状況なんだな」

「針の失せた今となれば――。

 我等だけでも、地表まで出る事は可能でしょう。

 しかし、魔の力が扱えぬハザお独りでは、かなりの困難が予想されますし。

 我等では成し得ぬ、ご助力がありましたので、そのお礼にと、ご一緒しています」

 この女、口は達者な方だと思ってはいたが、俺を相手に、中々言ってくれるな。

 ――ハザは気取られぬよう、内心で唸る。

 他の者が彼に、このような口を利けば、その背負った長剣であっという間に、首と胴を切り離されてしまうに違いない。


 彼女の減らず口に、ハザは口元を若干引き攣らせながら言う。

「抜かせッ。

 そもそもここには、俺1人で辿り着いた。

 1人でも、こんな薄暗い穴蔵から、さっさと抜け出せるに決まっている。

 敵が現れる度に、バタバタ斃れている輩に、言われたくはないな」

 この娘は、好奇心が強い訳でも、特別に人懐っこい訳でもない。

 何と言うか、警戒心の様なものが、あまりにも薄いのだ。

 普通備わっているであろう、そういったものが、欠如していると言っても、過言では無いだろう。

 そのような性質のお陰か、目の前の敵が獲物を振るっても、罠が迫っていても、避けようとすらせず、じっと眺めている。

 よくも、そんな事が出来るものだと、ハザは内心呆れていた。

「我等は我等で、被害が最小となる様、きちんと選択をしています。

 ご心配には及びません。


 とは言え――。

 脱出にハザのご助力があったお陰で、2~3千年程は、目算が縮みました。

 その辺りは、貴方のご助力、感謝していますよ。

 空いた時間で、他の事が出来ますから」

 薄暗い穴蔵から地表に出る、たったそれだけで、数千年単位で待つとか、どれだけ気が長いんだ。

 先程から、茫洋とした顔付きを全く変えずに、平然と言い放つ娘の言葉に、彼は再び呆れる。

「彼の者達が練り上げた針の呪いは――。

 それはもう、とても強いものでした。

 流石に我等とて、短い期間で紐解く事は出来ません。

 準備は整えていましたが、こればかりは、待つ他に途は無かったのです」

 ……短い期間とは一体、どの位の年月の事を差すのやら。

 この対話で、この娘の時間の概念が、何となく分かった気がした。

「ああ、わかったわかった。

 そこまで言うなら、そう言う事にしておこうか。

 魔の力とやらは、良く知らんからな。

 例え騙されていたとしても、俺には区別がつかん」

 彼は、精一杯の憎まれ口を返し、様子を見たが、彼女――リムの顔色は何一つ変わらない。


 胸中に沸いた、臍を噛む思いは収まらないが、そこまで言って、軽く眠気を覚えたハザは、腰の鞄を外し、中から取り出した布を被り、そして鞄を枕とすると、背を向けた。

「俺は話疲れた、少し寝る。

 何かあったら、遠慮なく叩き起こしてくれ」

「――はい。

 その、何か、の際には、どうすれば良いでしょうか?」

「何か、音を立てろ。

 それで起きる」

「音とは、どのような?」

「お前、歌っていただろう。

 ……あんな感じで音を出せば良い。

 それで、すぐに目を覚ます」

 遺跡の前と内部、そして先程聴いた、美しい音楽の事を、彼は思い出していた。

 それを聞き、思い当たる事があったのか、弁明するリム。

「あれは――。

 人は、その様に聴こえると言うのですが、唄ではありませんよ。

 我等の言葉で、よろしいのですね。

 それならば、お安い御用です」


 彼女の言葉に頷くと、手元にランタン角灯を引き寄せ、火口を絞めるつまみを回す。

 だが、壊れたランタン角灯のつまみ、そこにそのような感触は無く、良く見ると、覆っていた硝子は割れ、火口は拉げて曲がり、芯も無い。

 有体に言えば、取っ手と枠しか無いのだ。

 まるで気が付かなかった――リムは何故こんな物を持ってきたのか、疑問に思っていたが、漸く察する。

 奇妙な技で、灯火を持ち歩く為だろう。

 そんな、使い物にならなくなった照明具、その中央辺りで、ゆらゆらと丸く輝く玉が浮いていた。

 不思議に思い、指先でそっと触れてみたが、輝きに熱さは感じない。

 それもその筈だ、油を入れる所も割れてしまい、中身はとうの昔に空っぽのまま。

 今更ながらに、燃えている物ではない、と彼の直感が訴える。

 さて、どうしたものかと考え、しばらく眺めていると、様子を眺めていた女の声が、ハザの耳に飛び込む。

「――?

 どうなさいましたか」

「俺が聞きたい。

 よく見たらこれも、お前の奇妙な技のひとつか。

 火が着いてないぞ……。

 これ、どうやって消すんだ」

 リム――彼女からの返事は無い。

 だが、直ぐに壊れたランタン角灯から転び出る、眩い輝きは徐々に小さく、薄くなりやがて、――音もなく消えた。

 どうやら、自身で消す事は出来ない代物らしい。

 実に不便な光源だ、壊れる前の方がまだ可愛げがある。

「成程。

 改良が必要な様ですが、すぐに解決する事は難しいかと」

 光が失せた後の、暗がりの中に小さく、消え入りそうな声が、耳元まで届く。


 壊れて、火の着かなくなってしまったランタン角灯を、これ以上どうしようと言うのか、全く分からない。

 リムの云う、良く分からない言葉の意味は、もう気にしない事にして、当たり障りのない話題を、軽い口調で投げかけるハザ。

「暗くても平気か?」

 確か、この女は明かりの無い中に居た。

 心配は全く要らないとは思うが、一応念の為に、尋ねてみる事にする。

 間髪入れずに、変わらず茫洋とした声が、耳朶に飛び込む。

 闇の中と言えど、まるでその面持ち、顔色まで想像出来そうだ。

「以前もお伝えしましたが、光陰は我等に、何ら影響をもたらす事はありません。

 どうぞごゆっくり、お休みください」

 余計なお世話だったようだ、気遣い等と、慣れない事はするもんじゃないな。

 軽い溜息と共に、寝転がったままの姿勢で青年は言った。

「ああ、そうさせて貰う」

 その言葉を皮切りに、会話が収まり静けさが戻る。

 話し声はそこで止まり、訪れた暗闇には緩やかに、空気の流れる音、そして小さな水路のせせらぎだけが、微かに響く。

 ハザの立てる静かな寝息は、時折吹く風に紛れ、静かな闇の中でも聴こえる事は無かった。

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