3章.人の成し得ぬ技法(2)

 そして、通路を塞ぐように屯する者達と正対し、いよいよ剣を交えようとした時、それは起こる。

 突然、何処からともなく、美しい音が鳴り響く。

 ハザは後ろに居る筈の娘が、唐突に歌い出した様に思えた。

 何故、この期に及んで、彼女は突然歌いだすのだろうか。

 その意図を解さない、その場にある全ての視線が、一点に集まる。

 思わず目を見張る程の、美しい顔立ちは、先程から寸分も変わらない。

 小さく開けた形の良い唇から、通りの良い透き通った歌声が発され、地底の薄暗い遺構の通路を、そして彼等の耳を通り抜けてゆく。

 これは、何処の国の言葉だろう。

 聞き覚えの無い、異国の言葉の様なものが、まるで心に直接染み入る様に、聴こえて来る気がする。


 それは、星の瞬く夜の様な、粛然たる旋律――。

 それは、去る者を想う様な、物悲しい音律――。

 それは、燃え盛る炎の様な、勇ましき韻律――。


 全く別の楽曲を同時に奏で、それでいて全ての音程が、幾重にも重なり、見事に調和しているかの如く、不思議な調べ。

 耳障りの良い、艶やかな奏楽を耳にした皆は、ぽかんと一様に、呆けた面持ちを浮かべ、若い娘を見ていた。

 まるで、時間が止まってしまったかの様に。

 すると足音も無く、滑る様にして彼女は前に、ゆっくりと進み出る。

 何をしようと言うのか、皆目見当が付かず。

 そして、その結果――誰も、身動きをしない。


 進み出た娘は徐に、左腕を正面へと掲げ、軽く握られていた、しなやかな指先を開く。

 次の瞬間の事であった。

 突如、突き出した掌から、荒れ狂う炎が吹き出す。

「ひっ?」

「ぎあっ!」

「うわああああ!?」

 驚愕の声が響き、その炎に触れた者の鎧は燃え盛り、幾ら叩き回っても勢いを弱める事が無い。

 纏えぬ程熱を持った鎧兜を、慌てて脱ぎ捨てた男達は、それでも消えぬ不思議な炎の熱気に押しやられたのか、床へと倒れ、のた打ち回った。

 彼等の服にも燃え移ったのか、それとも彼等自身が燃えていたのか。

 娘の手より、吹き出し続けるその炎は、決して消える事無く、彼等のその身を焦がし続け、やがてわあわあと騒ぎ、叫んでいた動きが、弱々しいものとなる。


 そして、徐々に、声が小さくなってゆく。

 歌、いや、音楽だろうか?――何時の間にか、それらも鳴り止み、静寂が訪れていた。


 既に、前方に居た男達は皆斃れ、呻き声ひとつ上げてはいない。

 今はもう、先程の見事な歌声は聞こえておらず、周囲はしん、と静まり返っている。

 咳払いひとつ許されぬ、そんな緊張感で張り詰めた沈黙が、辺り一面を満たしていた。

 茫然としていた彼の視線が、漸くそちらを向いた――背後の――いや、今は目の前に居る、娘の方へと。

 何が起こったのか、今ひとつ理解がし難い面持ちのハザ。

 だが、目の前の出来事、それが夢ではない事に、通路に倒れ伏す黄白色に爛れた肉塊から、異様な香りが漂っていた。

 生きた者が居たなら、何者か問い質したかったのだが、動く者は1人も居らず、またここまで焼けてしまえば、最早何者であるのか、判別が付かない。


 そして、静寂を破り、青年がひと言の声を発する。

「準備が必要とは、この事だったのか」

 この女は準備が必要、と言ってはいたが、左程時間は経っていないようにも思えた。

 彼女の言っていた戦う術というものは、こんなにも恐ろしく、強力無比なものだったのだろうか。

 自身より速ければ、やっても良い、と言った事を彼は思い出す。

 剣を振る邪魔にさえならなければ、好きにしろ、と言った事も。

 その好きにさせた結果が、これだ。

 確かに、この人数を斃すには、彼が剣を振るより、余程速かったかもしれない。

「はい。

 ハザが目立って、関心を集めていましたので、十分な時間が取れました」

 茫洋とした澄まし顔はそのままに、静かな透き通った声が、彼の耳へと届く。

 焼け付いた者達から視線を外し、改めて娘の方を見遣る。

 そして再び、感想を口にするハザ。

「……これは驚いた。

 お前は……、こんな事が出来たのか。

 あれは……何と言う技なんだ?」

 何も持たない手から、炎を吹き出す技。

 そしてその炎は、恐らく命そのものが、燃え尽きてしまうまで、決して消える事が無い。

 ハザは生まれてこの方、そのような技を、炎を、見た事が無かった。


 確か、何の力と言っていたか――話をたっぷり盛られた御伽噺と思い、一笑に付した為、彼はどれ程深く思い出そうとも、その名の欠片すら思い出す事は出来ず、言葉に詰まる。

「申し訳ないのですが――。

 あれに、名は無いのです。

 魔の力を扱う術は、発見よりあまり時間が経っておらず、未だ、謎に満ちておりまして」

 徐に、そして微かに小さな、詫びるような声色で、返してくる彼女。

 ごく最近、と娘は言うものの、それは気の遠くなるような、途方もない長い時間を経て、なのだろうか、それとも――?

 それを聞いた彼は、及びも付かない事へとその考えが至り、それからすぐに思い直したのか、軽く流す様にして答えた。

「そうか。

 しかし、酷い臭いだ。

 これはもう少し、何とかならないのか」

「ではハザに、お尋ねいたします。

 焼き加減は、どのような感じがお好みでしょうか?」

 先程まで生きていた筈の肉はおろか、焼けた髪、そして焦げた爪の臭いが、辺りに充満している。

 だが、戦場で嗅ぎ慣れたそれとは違い、油や木々の燃える臭いは、全くと言って良い程混じっていない。

 その所為か、より強く感じられるのだ――焼け爛れた人の肉の臭いが。

 普段とはまるで違う、強烈な違和感に、ハザは思い切り顔を顰め、鼻をつまみながら答えた。


「生焼けだけは、止めてくれ。

 ――物凄く、臭うんだ」


 思えば、酷い胸やけがする。

 そのままここに居れば、きっと吐き出してしまうだろう。

 これで少しは、意志が伝わっただろうか、と言いたげな彼のうんざりした面持ちを、茫洋とした澄まし顔で眺めつつ、娘は淡々と語った。

「成程。

 では、次からはご希望に添える様、心懸ける事と致します」

 ああ、そうしてくれ、と軽く頷くとハザは咳払いをし、再び黙り込む。

 邪魔者は、図らずも排除された、もう此処に長居する理由は無い。

 青年の咳払いを機に話を終えると、彼等は歩き出す。

 まだ遠い――地表を目指す為に。




 屯する者達を、瞬く間にして焼き払い、旅路に戻ってから暫くしての事。

「そうだ、お前。

 何と呼ばれていたんだ?

 名が無くてはやり難い、何時までもお前と呼ぶのもな。

 何か、名は無いのか?

 昔そう呼ばれていた、とかでも構わん」

 もう、随分と近くなったらしい、水場へと向かう途中、ハザは背後の娘へと声を掛けた。

 あれ程の珍しい技を持つ者なのだ、当然名前位は、いや、それこそ高名な通り名の、1つや2つは持っているだろう。

 何と呼ばれていたのか、聞くのが楽しみだ――彼はそう考えていたのだが。

「――、……我等に名はありません」

 返って来たのは短くも、簡素に纏められた、期待に反する返答。

 答えにくい理由があったのか、返答に困ったのか、それとも――考えあぐねていたのか、少し間が空いた後、女は小さく応える。

 あれ程の事が出来ながらも、全く名が無いとは、驚いた。

 噂に聞いた事も無い、驚くべき技を持つのだ、異名か二つ名で呼ばれはしなかったのだろうか、と思いつつも話を続けるハザ。

「――またか。

 しかし、名が無いとこっちがやり難い」

「それでしたなら。

 リム、で良いのではないかと」

「【後ろリム】?

 そんな名で良いのか」

「ハザ、貴方に識別し易ければ、我等は、それで一向に構いませんよ。

 それに此処まで、貴方には何度も【後ろを歩けリム】と、言われていますので」

 名前は、本当に何でも良さそうであった――それならば、当人が名乗りたいという名で良いだろう。

 悩みに悩んで、最後には怒鳴り合うより、遥かにマシだ。

 彼はすぐに考えと気持ちを切り替え、彼女の提案を受け入れる事にする。

「判った、好きに名乗ってくれ。

 俺も今度から、そう呼ぶことにする」


 話を終える丁度その頃、微かな水音が、ハザの耳朶へと飛び込む。

 先程名が決まったばかりの彼女――リムの云う水場の近くへと、漸く辿り着いたようだ。

「何だこりゃ?」

 やっとこさ、この女の臭いからおさらば出来る、と青年は内心ほくそ笑んでいたが、しかし、流れを見た彼は娘の方を見ながら、思わず大きな溜息を吐く。

 それもその筈――待望の水場は、狭く、浅く、両手で掬うのがやっと、という様な、ごく小さなものでしかない。

 これでどうしろって言うんだ、といった面持ちを隠さない、じっとりとした視線が彼女を貫いたが、その面持ちは寸分も変わる事は無く、小さな流れをじっと見ているのだった。

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