3章.人の成し得ぬ技法(1)

 1歩踏み込むと、背後には壁が再び現れていた。

 中は2人、いや3人も並ぶと、恐らく窮屈に感じる程の幅。

 後ろに並ぶ、娘が手にしたランタン角灯の光が、前を歩くハザの影を伸ばし、その床や壁に映し出している。

 一応は慎重に歩を進めるが、心配されるような、罠などは見当たらなかった。


 壁が消えた先の脇道は、暫く進むと行き止まりとなっており、崩れた岩々が彼等の行く手を阻む。

 何処かに繋がっていた様子はあるのだが、袋小路となった通路を見た娘も、消え入るような小さな声で、他に通れそうな通路は無さそうです、と言う。

 少なくともさっきの様に、消える壁は無い、という事か。

 行き止まりの岩の出っ張りに触れたり、崩れた柱を軽く蹴り付けたり、等もしてみたが、崩れた部分は簡単に動かせそうには無い。

 残念だが、これ以上進めない行き止まりの様である――だったら、直ぐに引き返しても良いが、折角だ。

「少し休む」

 突如としてぶっきらぼうに言い放ったハザは、同行者の返事も聞かずに、長剣の留め具を背負う為のベルト帯革を外し、鋼で出来た相棒を放る。

 がらん、と狭い通路の果てに、鉄が転がる音が大きく響いた。


 そして壁際に座り込むと、鞄から水筒と干し肉を取り出し、齧り付く。

 こうしている間に、屯していた連中が、何処かへと移動しているかもしれない。

 ひとつ、十分な時間を掛けて咀嚼した干し肉を、喉の奥に水で流し込むと、青年は気が付いた様に、ぼんやりと立つ娘へと声を掛ける。

 彼女はじっと、ハザが干し肉を食事とする様子を、見ていた様に思う。

「……。

 おい、食うか?」

 口にした水の中に、僅かな肉の味が溶け込んでいくのを感じつつ、彼は問うた。

 青年の思い起こせる限りでは、出会ってからただの1度も、この女は食べ物を口にしていない。

 恐らく、食料は持っていない筈だ。

 何も言っては来ないが、随分と腹が減っているのではないだろうか?

 がさりと乱雑に鞄へと手を突っ込み、掻き回してから更にもうひとつ、ずるうりと干し肉を引き出すと、対面の壁に立つ彼女へと差し示す。

 すると、あまり面持ちを変えない、娘の声がすぐに聴こえた。

「いいえ――。

 それは、我等が食せる物ではありません。

 どうぞお気になさらず、召し上がってください、ハザ」


 じっと見ていたのは、食べたい訳では無かったのか。

「そう――、か。

 ……別に、腹が減って無いのなら、かまわん」

 不要との返事を聞くと、再度勧める様な事はせず、まるで関心が失せた様に、ハザは彼女から目を外し、指し示していた干し肉を、口元へと引き寄せ、躊躇無く齧り始める。

 少し前までは聞こえていた、独りだけの足音は、今は聴こえては来ない。

 しかし、たった独りむしむしと、干された肉の繊維を噛み千切る音、そして交互に響く、水筒からごくごくと水を飲む音が、暫く辺りを支配していた。


 食事を摂り、十分に休んだハザは、やがて床に転がせた長剣を背負い直し、立ち上がる。

 女は緩やかに輝くランタン角灯の取手を、両手で掴んで下げ、その明かりでぼんやりと、身動ぎひとつさせずに、彼を見ているように見えた。

 それを確認した青年は、顎で元来た道を指し示し、引き返す。




 行き止まりから引き返すと、先程と同じ様に壁を消し、隠されていた脇道から、大きな通路の様子を窺う。

 先程見えた屯する者達は、どうやら、まだそこに居る様であった。

 この先へ進む為には、ひと悶着を覚悟せねばなるまい。

 彼は見え得る限りの視野から、敵となる者達の数を数える。

「ハザ。

 戦うのですか?」

「ん?

 ああ、そうだ。

 俺の知る限りでは、そこを抜けなければ、上に登れんからな」

 確認の為、何度か数え直している途中、隣へと音も無く進んできた女が、声を掛けてきた。

 彼は話を聞きながら、女をどうするか考える。

 この娘は後ろに控えさせるか、それとも、どこか遠くで待たせるか。


 近過ぎれば巻き添えを食う気がするし、離れ過ぎれば徘徊する他の者に見つかってしまうに違いない。

 そうだ、行き止まりだが、さっき出て来たこの通路に隠れさせる、と言うのも良いだろう。

 青年は戦う覚悟を決め、女へ隠れていろと伝えようとすると、娘が更に話を続ける。

「我等にも、戦う術がありますので。

 ハザを、手伝えるかと存じます」

 突然の申し出に、彼は眉を顰める。

 彼女は何のつもりで、こんな事を言い出す?

 当たり前の疑問が胸中を満たしてゆく――戦えるのならば、何故あの時、最初から戦わなかったのか。

「お前が戦う、だと?

 こんな時に冗談は止せ。

 幾らお前が不死――とは違う、と言ってたな。

 いや、不滅とは言うが、そうそう何度も死なれると、流石にな」

 脳裏に浮かぶのは、最下層での出来事、そして先程の、巨石が落ちるの罠――。

 思い起こせば、戦いと言えない様な部分で、この娘は斃されてばかりだった。

 例え、彼等の前に出ても何もせず、静かに討たれる女の姿は、想像に難くない――このまま放っておけば、今度もきっとそうなるだろう。

 相対してきた敵を背にした長剣で、死の淵の向こう側へと、幾度となく追いやって来たハザと言えども、年頃の容姿を持つ娘に、目の前で何度も何度も死なれては、流石に寝覚めが悪い。

「確かに――。

 我等は非力で、争うのは得意ではありませんが。

 魔の力を振るうならば、現状の打破にお役に立つのでは、と」

 目の前の、茫洋とした澄まし顔は、またしても、良く分からない事を言う。

 剣や槍はおろか、片手で持てるであろう、軽く小さい短剣ひとつすら所持していない、彼女はそれこそ何を振るうつもりなのだ。

 様々な所をほっつき歩いてはいたが、何処に行っても魔の力など、噂にも聞いた事が無い。


 悠長に間の抜けた話でもして、油断でも誘うのかもしれんが、それも敵が話を聞いてくれるからこそ、効果が出る。

 あれか、誰も訪れん地の底の遺跡で、剣に貫かれたまま干乾び、幾年も歌って時を過ごした挙句、暫く風呂に入って無いから酷く臭うなどと、面白可笑しく話をして聞かせるのか。

 それは一体、何処の国の御伽噺だ?

 楽曲と共に詩でも朗し読むのが好きな、暇を持て余した知恵者にでも聴かせてやれ、そんな話は――ハザはそう思うと、鼻でせせら笑う。

「眉唾だな。

 言葉では、振り下ろされる刃を止める事は出来んぞ」

「それは――ハザ。

 貴方が想像しているものとは、違います。

 ここはひとつ、我等にお任せ下さい」

 彼からの強い語調を受けても、その面持ちは変わる事が無い娘。

 彼女が何を行うつもりかなのかは、ハザにはまるで想像する事が出来そうもない。

 否定的な見解を聞きつつも、それでも食い下がろうとする娘に、青年は面倒臭そうに言った。

「それなら――。

 俺よりも速く斃せるのなら、良いだろう。

 出来るものなら、な」

「はい、それならば可能ですよ。

 準備がありますので、少々お時間を頂けましたら」

 軽い返事で、女はそうは言うのだが、アテにする心積りなど毛頭無いハザ。

 一体どれ程の、自信に満ちているのかは知らないが、彼等を斃す方法を娘が持っているとは、到底思えない。

 彼は不確かなものを、戦力として期待し、戦い抜こうとする程、甘い世界では生きていないのだ。

「無理なら大人しく、そこに隠れていろ。

 奴等は俺が片付ける」

 続けて、剣を振る邪魔にならないのなら好きにしろ、と生返事を返すと、すぐに身を隠していた脇道から、広い通路へと躍り出る。


 そして、わざと足音を高く鳴らし、通路を踏み締めた青年は、ゆっくりと歩む。

 わざわざ1人づつ、丁寧に相手にするのは、まどろっこしくて敵わん、纏めてかかって来いと言いたげに。

 こうすれば、敵を目の前にして、居眠りをする不届き者でも無い限りは、幾ら何でも気が付くだろう。

 案の定、足音とその姿に気付いた者が、大きな声を上げる。

「何者だッ!?

 そこの者、武器を捨てて止まれ!」

 彼等は口々に誰何を問い、物々しい様相の連中が、それぞれの獲物を手に、詰め寄ろうとしてきた。

 彼の方も、大人しく長剣を投げ捨て、投降する様な真似はしない。

 仮に降伏したとしても、見逃してくれる事など無いであろう、今、この血気盛んに集う者達は。

 ハザは、口の端を吊り上げる事を、誰何への返事とし、背中の長剣を引き抜くと、切先を前に悠然と構えつつ、多数の敵を前におくびもせず、石畳の上を駆け抜ける。

 互いが互いを敵として認識し、相手という存在を、己の力で制する為、その距離を徐々に縮めてゆく。

 絶対に引かぬ、という強い意志が、通路に満たされてゆき、ぶつかり合うような気がした。

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