2章.探索者たち(1)

 独りきりの足音のみが響く通路を、黙々と歩いていると、ふと、辺りが薄暗くなり、足元より先へ伸びていた、自身の影が、床に映し出されなくなった。

 ランタン角灯が消えたのだろうか?

 歩きつつも首を捻り、横目で後ろに居る筈の女を確かめる。

 そろそろ見慣れて来たであろう、茫洋とした澄まし顔は視えず、腰の辺りまで伸びた、灰色の長い髪が見えた。

 何時もと違う光景に、違和感を感じたのも束の間――。


 彼は驚き、目を見開く。

 それもその筈、娘は後ろを向いたまま、ハザの後ろを、滑る様に後を着いて来ていたのだ。

 実は、後ろ向きに歩くのがとても上手かった、などという話では無い。

 まるで爪先で立つようにと、伸ばされた足先は、浮いているのか、地に着けていないようにも見える。

 今、やっと分かった――気付いてしまえば、実に簡単な話だ。

 地を歩いていると思っていたが、本当は、ずっと浮いていたのだ、それならば足音など、聴こえて来よう筈も無い。

 果たして、気付かない方が良かったのか。

 それは決して、見間違いや、気のせいなどでは無かった。


 そして。

 娘の手には、ランタン角灯が握られている。

 道理で前方が薄暗くなる筈、明かりの矛先は、当然ながら、女の向く方へと向けられていた。

 ……彼女の視線の先には、後を着けて来る者の姿。

 ハザの精神は、ひと息に膨れ上がり、あっという間に、戦いの予感で満ち満ちてゆく。

 思わず、背中に吊るした長剣の柄へと、手が延び――。

 が、彼我の距離を考え、反射的に動こうとする右手を、自制心で押さえつけ、その場に留める。

 駄目だ、今は駄目だ。

 声を上げ機先を制するか、それとも――。


 青年は後者を選び、歩みを遅めると、女の横に並ぶ。

 更に、歩みをゆっくりにし、娘の視界に入った。

 すると、どのような技で浮いているのか、彼女は音も無く振り返り、ハザと目を合わせてくる。

 後ろからは見えない様、胴で隠し隣の女へと手で、前を向いて進めと合図すると、そのまま並んで歩く。

 ぼんやりと照らす明かりの事もあり、恐らくは、気取られている筈だが、後をつけて来る者が間抜けなら、これで引っかかるだろう。

 浮いていたらしい娘は、彼と同じ方へと進みながら音も無く、くるりとその場で旋回し、前を向いた。

 人の行える筈の無い、全く奇妙な挙動に、青年の眉間は険しさを増す。

 昏く古い遺構の通路の中、薄暗い明かりを持ち、後ろ向きに、床を滑る様に進む女。

 ……成程、これは――これでは怪しまれる。

 改めて唸りそうになる現実を、敢えて見送り、彼は背後に集中した。

 暫くは、何も気付いていないふりをしていると、こっそりと、足音を忍ばせる様にして、近づいて来る気配がひとつ。

 階段を登るにつれ、徐々に広くなってゆく通路に、独り足音を響かせつつも、どうやら雑な芝居に掛かってくれたらしい、とハザは胸を撫で下ろす。

 さて、その結果、屍を晒すのは、一体どちらになるのだろう。

 後をつけてきた者が、どんな目的があるのかを窺う為に、彼等は黙々と通路を進み、後をつける者の到来を待った。




 女が振り向いた時、一瞬、気付かれたと思ったが、奴等はまるで警戒していない。

 後10歩、9歩、8歩……。

 音を立てぬよう、腰の鞘から密かに剣を抜き、2人へと近づく。

 狙うなら武器を持つ、男の方からだろう。

 そちらから先に仕留めてしまえば、妙な女の方は後からどうとでも出来そうだ。

 後3歩、2歩、1歩――。

 十分に近づいた事を察した彼は、1撃で仕留めてやろうと、剣を振り上げる。


 しかし気付けば、目の前の男が背負った長剣の柄へと、手を掛けていた。

 これは――何時の間に?

 すると振り下ろそうと構えた剣が、突然べきりと嫌な音を立て、根元からへし折れる。

 そして、これはついでだ、と言わんばかりに、兜も拉げ打ち割れた。

 鋼が鉄と打ち合わさる、2つの音はほぼ同時に、古い遺構の通路へと響く。

 背後からの襲撃を試みた者は、そこまでに、何があったのかを知る間も、考える間もまるで無かった様に思う。

 彼が死に魂を連れ去られる寸前、漸く自身の身に、何が起こったのかを理解した――己が剣を振り下ろすよりも遥かに早く、目の前の青年が長剣を振るったのだと。

 砕ける様に折れた剣がカラカラと、石畳の上を転がる音が聴こえたのを最後に、その者の意志は、たちまちの内に粉微塵と消え失せ、その場に斃れ伏す。

 ぐちゃりと潰れた中身を想像させる鮮血が、彼の振るう剛剣の前には、防具としてまるで役に立たなかった、兜の隙間から床に流れ出し、さながら絵図の如く大きな染みを広げていた。

 一刀の下に斬り伏せ、物言わぬ屍と化した者を尻目に、背中に下げた長剣の柄へと手を掛けた青年が、姿勢をそのままに首だけを捻り、背後に向かって声を上げる。

「何をしに来たかは聞かん。

 背後を取った位で調子に乗るなよ、雑魚が。


 おい、――次はお前か?」

 低く這う様な声と共に、ハザの鋭い双眸が、物陰を射貫く。

 本当に何か隠れているのだろうか、そう疑わざるを得ない程、暫しの間、無音の時が過ぎ去った。

 やがて、音の無い世界に一陣の風が訪れ、びゅうびゅうと駆け去る足音が、耳朶を打つ頃。

 厳しい顔を崩さぬ彼の、その視線の先から、遂に観念したのだろうか、暗がりから隠れていた者達が現れる。

 その者達は、彼から少しでも遠く離れようと、ゆっくりと後退りを続け、やがて十分な距離が確保されると見るや否や、背を向けて一目散に駆け出した。

 がちゃがちゃと、3つの板金鎧が、小五月蠅い音を立てて、遠ざかってゆく。

 きっと、臆病風に吹かれたのだろう。

 その程度なら、戦わずに済む。

 場を察せぬ間抜けや、高揚した死にたがりなら、その場で斬り伏せれば済む話だ。

 敵が何者かを知りたくもあったが、先程から目にする未知の事柄に、何事をも解せぬ所為であるのか、何よりも自身のその胸中には、自らが驚く程の怒りが満ちている。

 暫くの間は知る事よりも、戦う事を選んでしまうに違いない。

 そして、謎の女と巡り会ってからというもの、思う存分剣を振るう事が出来なかったハザ。

 この程度で満たされてしまうのは、決して良い事ではない――しかし、今回は思い通りに長剣を扱い、物事を進める事が出来た為、少しは溜飲が下がった気がした。


 幾度か頭を振って、青年は落ち着きを取り戻す。

 そして、討ったばかりの屍を放置し、元の方角へと進みながら、口を開く。

「……気付いてたのか?」

「はい。

 我等の後を着いて来ましたので、ハザのお知り合いかと思って、尋ねようとしたのです」

「気付いてたなら、先に言え。

 それと一体、何処をどうしたら、そう見えるんだ?

 数多くは無いが、俺の知り合いに、こんな穴蔵まで来たがる奴は、1人も居ない。

 それから、お前は随分昔からここに居たんだろう?

 今の所、俺の他は人に、……顔見知りや知り合いは居ない筈だ。

 少しは疑ってくれ」

 娘に呆れた顔を向けたハザ。

 しかし、彼女の面持ちはこれっぽっちも、変わる素振りを見せない。

 この女には、どうやれば、意志がはっきりと伝わるのか。

 いずれにせよ何処かで、折り合いをつける為に、きちんと話し合わねばならないだろう。


 他人の財布や荷を目当てに、漁りに来る不逞の輩も、この遺跡には多く見られる。

 矢張り人が増えれば、何処でも同じなのか。

 ハザも、狼藉を働こうとする者達と遭遇し、その度に片付けながら、ここまで進んできたのだ。

 だが、先程見た限りでは、似たような格好からして、その様な類の者では無さそうである。

 盗みや強奪を働く者は、わざわざこんな深い所までは、やって来たりはしないだろう。

 どちらかと言えば、その様子からして、与えられた武具の様に見えた。

 恐らくは、国や導く者に仕えている、戦う者達であろうか?

 目的が同じ者であるならば、こんな地の底まで降りて来たとしても、何の不思議も無い。

 しかし、この遺跡の目標たる者は、彼が先に見つけ出したのだ。

 その成果をつけ狙い、襲撃してくる者も、今まで決して少なくは無かったし、この遺構にも当然ながら居るだろう。

 ハザの方も、成功報酬を目当てとする商売柄、折角の手柄を横取りされては敵わないし、先程の奴等が、ハザを派遣した教団の者達とは、限らない。

 だがその連中も、今は怪しい動きをしている様にも思える――当面は何者をも信じず、この娘を、地表まで送り届けねば。

 胸中の密かな決意も新たに、彼は歩き始める。

 微かに衣擦れの音。

 すぐ後ろを、物静かな娘が着いて来ているのだ。

 足音はしない――見てはいないが、また浮いているのだろう。

 さっきの様に、怪しまれるような浮き方をしていなければ、それで良い。

 おかしな事をされれば、すぐに地底に封じられていた者と見破られ、面倒な事となるからだ。

 追い払った奴等もそれを見て、手柄を奪おうと、近づいてきたのだろうか。

 あれは、気が付かなければ、どうなっていた事やら。

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