4章.休息―rest1―(2)
そこで、ふと思い出す。
あまりの出来事に、思わず忘れそうになっていたが、確認を取らなければならない事がある、先ずそれを問い質さねば。
気を取り直した彼は、話を続けようと口を開く。
「臭いの事はもう良い。
いや――良くは無いが、今はどうにか出来る事ではない、解決は後にする。
それよりも、お前は、死んだのではないのか。
あれは、確かに致命傷だった」
「それは――。
ただ今、ご覧の通りですよ。
お言葉ですが、あの程度で我等は滅びたりはしません。
どうぞ、ご安心ください」
女の返事を聞き、ハザの目が細まる。
それはまるで、獲物を追う様な目付きであった。
「その言葉だけで、信じられるものか。
――改めて聞こう。
あれ程の傷を負っても、お前は、無事に戻って来れる。
知っていると思うが、そのような力は――、俺や人には備わってなどいない。
人の出来ん事をあっさりとやってのけた。
それでもお前は、古の神では無い――と、そう言うんだな?」
「はい――。
既にお伝えしていますが、そのような者ではありませんよ。
我等は貴方達の云う、神では無いのです」
「……そうか」
何処か合点がいかぬ面持ちで、彼は黙った。
この女は確かに、目の前で胸を貫かれ、投げ捨てられた筈なのだが、今ここに立っている不思議を、彼の持ち得る知識と経験では、全く説明できそうにない。
ハザは目を閉じ、頭を掻くと再び話し始める。
「――まあ良い。
お前が神かどうかは、帰ってから祈る者達に判断を任せれば済む事だ。
俺は、お前を地上まで連れて行く、という事は変わらん。
戦い方の読み違えで、俺にも落ち度はあった――しかし、お前も戦い慣れてないのかもしれんが、さっきみたいに、ぼんやりされていては困る。
すまないが、俺の後ろを歩いてくれ」
言い終えてからさしたる時間も無く、女の返事があった。
「はい。
それでは、先導をお願いいたします」
娘の澄んだ声、そして先刻から一寸とも変わらぬ、凍り付いた面差しを前に、彼は深く溜息を吐く。
「その前に、少し休ませてくれ。
歩き詰めだったからな、疲れているんだ」
そう言うが否や、彼は肩に掛けた
本当の事を言うと、今すぐに出立しても、全く問題は無いのだが――目の前の娘の、殺しても死なない疑惑が、彼の胸中を満たしている。
不可思議な出来事が続き、疲弊した精神を休め、考えを1度整理する必要があった。
突然出て来た、怪しい女。
確かに、殺しても死なないのなら、古の民が神と崇めるのも分かる気がする。
恐らくはその力を、我が物にせんと企む輩に捕えられ、ここ――地の底へ幽閉されたのだろう。
王は荒れ果てた世を嘆き、神を救えと触れを出した様だが。
決して死なぬ者がひとり現れた位で、早々に世の中が良くなるとは、到底思えん。
むしろ争うのではないか、より多くの者が、その怪しげな力を求めて。
現状、この女は敵ではない、その筈だが――この先はどうなる?
もし対峙した際、手立てはあるのか。
勝ち目が無いのではないか、という順当な想像に、微かに体が震え、脇の下を嫌な汗が流れてゆく。
何時の間にか、目端がつり上がり、視線が険しくなっていたが、その事にハザは気が付いていなかった。
はっきりとした理由は分からないが、想像していたよりは友好的であった為、敵対はせずに済んでいる――しかし、事と次第によっては、争っていたかもしれない。
この女が、この穴蔵に逗留を望んだ場合、無理にでも連れ出さねばならなかったのだ――もしその時、俺の剣の技でこの女を、果たして斃す事が出来たのだろうか?
決して鮮やかな手口では無かったが、槍で急所を貫かれ、剰え投げ飛ばされた挙句、岩に叩き付けられてからも、平然と戻って来る者。
まさかそんな者が、実際にこの世に居るとは。
それを、剣を振る事だけが自慢、その程度の者が斬った位で、本当に屠れるのだろうか。
……正直な所、勝てる自信は全く無い。
この女を相手に、主導権を取れている気も、全くしないな。
今の所は、大人しく従っている様に見えるが、その実裏を返せば、その力が在る限り、上辺だけの力関係など、何時でもひっくり返せるから、だろう。
力量の差がここまで読めないのも珍しい、大人しくしておくのが得策、目的の事もある、悔しいが、急所を押えるまでは。
こちら側――少なくとも俺が、従わせるのが目的では無い事位は、向こうも分かっている筈だ。
だが、まさかとは思うが、そこまで考えていると、したならば。
この女、味な真似を……。
そこまで考えると、女が両手で取っ手を掴んでいる、壊れた
身動ぎ一つしない彼女は、その風貌もそのままにじっと、彼の方を眺めていたように見えた。
「それは?」
言いつつも
硝子が割れ、火口は曲がり、落とした時にでも油が燃え移ったのか、全体がそれとなく煤けている。
使い物にならなくなったのなら、捨て置けば良い物を、何故持ってきたのだろう。
「我等は、これが何かを存じません――ですが。
大切な物のようですので、僭越ながらお持ちしました。
どうぞ、お納めください」
女はそう言いながらも、壊れた
割れた硝子の向こう、芯がある辺りにぽっと、明かりが灯ったままだ。
それを見て、彼は思わず肩を竦める。
壊れているのに、良く明かりが着いたものだ――偶々、目に付く場所に置いてあり、僅かな貨幣を支払って手に入れた、安物である筈の
取っ手が少々ひん曲がってはいるが、手で持てなくは無さそうで安心する。
「言う程大切な物じゃない。
明かりが無いと不便なだけだ。
俺が持つと、剣を振るのに邪魔だから、それは、お前が持っていてくれるか?」
矢張り、剣を構えねばならぬ程の強敵と対峙した時、片手が塞がっているというのは、邪魔な枷となる場合がある。
暗がりだったとはいえ、つい先程、兜を失わせる猛者も居たのだ、油断は出来ない。
「はい。
それでは、我等がお預かりします」
返事を聞くと、ハザは軽く頷く。
そして水筒を、腰の後ろの鞄の中へと仕舞う。
まだ何か考えているのか、顎に手を当てたまま立ち上がると、壁に立てかけていた、長剣とその留め具を肩にかけ、背負い直す。
留め具の
それから背を向けて歩き出し、はたと立ち止まった。
振り向くと、思い出したように、言葉を付け足す。
「ああ、それから――だ。
途中で水場を探すぞ、酷く臭うお前を、洗わねばならん。
そのままでは、こっちが敵わんからな」
今も風下に立てば、微かに臭う。
直ぐにでも洗いたいが、水筒の水程度では、全く足りないのは明白。
地上へ向かう途中、水場を探す必要があるだろう。
何処かにあれば良いが、と心配する彼の内心を知ってか知らずか、女は茫洋とした面構えを崩さぬまま、言葉を風に流した。
「はあ――。
水場ですか……ありますね。
上に向かえば、じきに見付かるかと」
彼から視線を外し、やや首の向きを上げつつ、彼女は言う。
何処を見ているというのか、不思議な女だ――そう考えつつも、疑問を口にするハザ――先程まで、封じられていたと言っていた筈なのに、どうして水場の位置が分かる?
「何で知っているんだ」
「そうですね。
封ぜられていたとは言え、我等とて、全く動かずに、手を拱いていた訳では無いのです」
聞く限りでは成程、それなりに何か、手を打っていたという事だろう。
何をしているのかまでは、想像出来そうに無いが。
やもすると、遺構や遺跡の中を、何らかの手口を用い、詳細を知る事が出来るのかもしれない。
「すまないが、お前のする事は、俺には今ひとつ良く分からん。
どうやって調べたかは知らんが、そこは信用しよう。
水場が近くなったら、教えてくれ。
……、そろそろ行こうか」
「はい」
彼と彼女は、改めて地上を目指すべく、歩き出す。
自身の後ろを歩く女からは、先程と同じく足音が聴こえては来なかった。
不思議に思い振り向くと、女は茫洋とした表情を全く変えずに、しっかりと着いて来ている。
身のこなし見る限り、何の訓練も受けていない、素人同然だというのに。
もし機会があれば、その方法を知りたい、とハザは思うのだった。
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