4章.休息―rest1―(1)

 何かに追われる様にして、来た道を引き返す。

 長剣を背負った青年は、記憶を頼りに地下洞を駆けた、荒い呼吸を吐きながら。

 見違えるように、明るかった筈の地下洞は、女が倒れると同時に、また暗くなった。

 正確に言えば、暫くは明るかったのだが、徐々に薄暗くなり、今はもう、手を伸ばした先すら見えない暗闇が、波の様にすぐそこまで押し寄せてきている。

 完全に暗くなる前に、遺構のへの入り口まで戻れば、照明具が取り付けてある通路に出るだろう。

 運が良ければ、残っている松明位なら、何処からか失敬出来るかもしれない。

 暗く染まりゆく、地の底から逃げる様に、彼は疾走した。


 ハザは、最下層に位置すると思われる地下洞を抜け、遺構の通路へ辿り着く。

 時折、壁や柱に取り付けられた照明具が、何もしていないのに、不思議と輝いている時がある。

 それらは、ふと気が付くと、消えている時もあれば、全く予告なく突然に、明るくなる時もあった。

 何処かに何か、仕掛けでもあるのだろうか?

 どうして明るくなったり、暗くなったりするのかは、彼には分らない。

 下へ向かっていた時は、燦然と輝いていた灯火が、再び辿り着いたと同時に、ゆっくりと影を落とす。

 やがて、押し寄せる闇に、視野は昏く閉ざされ、何も見えなくなる。


 壁にもたれ、息を整えると、流れる汗をそのままに項垂れた。

 こんなあっさりと、終焉を迎えるとは。

 女の胸を古びた剣が貫く瞬間、それはまだハザの記憶に新しく、鮮明に思い出す事が出来る。

 まさか、避けないとは誰が想像しただろうか。

 生きる為の当たり前の行動が、まるで無い、その気配や仕草すら無かったと思う。

 あの女は、一体何者だったのか?

 今ここで喪っても良い者であったのか、居正に判断が付かず、途方に暮れる。

 仕方ない、とばかりに軽い溜息が、闇の中から聞こえた。

 今は生きて戻り、それから考えよう。

 地底の遺構と言い、動き出す骨達と言い、あの怪しい女と言い、ここは怪しい事が判った、調べるに値する。

 諦めるか、更に人を集め、遺構を調べ尽くすかは、流石に俺の考える事じゃあないぞ。

 何よりも先ずは話を持ち帰る事だ。

 それよりも何よりも、ランタン角灯を失ったのが、1番の痛手かもしれない。

 ここより先は、光源無しで進まねばならないのだから。

 今いる場所の様に、光源がある通路ばかりとは限らないのだ。

 手探りでも、帰れなくは無いだろうが、光源を失った事は、矢張り一番のロス損失となるだろう。

 悔しそうな舌打ちが、闇の中に何度も響く。


 考え事を始めて、どの位時間が経っただろうか?

 その時、きらりと光るものが、目端に映った気がした。

 見れば遠くだが、ゆらゆらと揺れるものが、はっきりと見える。

「誰だ!?」

 暗がりへ向き直った、ハザの鋭い声が飛ぶ。

 そこには、煌々とひとつの明かりが揺れ、ゆっくりと近づいてきていた。

 すぐさま立ち上がり、立て掛けたばかりの長剣へと手を伸ばす。

 次に、鞘走りの音が暗闇の中へと、僅かに反する。

 何故か足音は聴こえてこない、余程の達人なのだろうか?

 しかしあの明かりは、隠れる気がまるで無い、そのようにも感じた。

 敵ではないのか、それともそうでないのか、迷う判断にハザの心は激しく揺れる。

 早く決めねばならない。

 迷いの先は、敗北と死が待ち受けているという事を、彼はよく知っていた。


 光は未だ遠く、何者であるかを窺う事は出来ず、小さく舌打ちする。

 まだだ、まだ――遠い。

 距離も十分にある、時間はたっぷりあるんだ、良く狙え、落ち着け。

 幾度も跳ね上がろうとする心の臓へ、ハザは言い聞かせる様、強く念じた。


 遺構の通路に、光が差し掛かり、壁に反して、輝きが収束してゆく。

 他に道はあるのだが――と、言う事は明らかに、こちらへと向かっているな。

 明るくなったのはしめたもの、かもしれない。

 返事をしない相手がこちらに気付いていないのなら、暗がりからの奇襲を考え、ハザは剣の柄をしっかりと握り締めた。


 やがて、光は徐々に大きくなるが、相変わらず足音は聴こえてこない。

 もう――少し。

 このまま待ち構え、長剣の間合いに入れば、誰何を問い、返事が無ければ――斬る。

 光源はまるで、彼の気を焦らすかのように、ゆっくり、ゆっくりと近づいて来ていた。


 ゆっくりと揺れる光に、何者かの影が写し出され、きいきいと微かに鉄の軋む音が、耳に飛び込む。

 そろそろ――飛び掛かれる距離か?

 ハザは腰を低く落とし、手にした長剣を構える。

 だが、声を掛けようとする刹那、見覚えのある姿が、薄らと浮かび上がった。


「ハザ。

 我等です、剣を収めてください」

 長い髪、古の衣服、すらりと伸びた肢体――。

 その手元で、ゆらゆらと揺れているのは、壊れたランタン角灯

 思わず、自身の目と記憶を疑う。

 そこに居たのは、先程、死んだ筈の女だ。

「なッ――!?

 い、生きていたのかッ?」

 おかしい、明らかにおかしい、あの時確かに――あれは、どう見ても致命傷だった――胸に深い傷を受け、死んだ筈。

 しかし、現に話している、動いている、生きている。

 死線をそれなりに彷徨った、という自負のある、自らの見立てが見事に外れたのだ。

 多少ながらの衝撃は受けよう。

 面食らっていると、澄んだ声がハザの耳を打つ。

「我等はご一緒しましょう、と言った筈です。

 それなのに、置いて行くなんて、少々酷ではありませんか」

 驚く彼を尻目に、落ち着き払った、静かな声が聞こえてくる。


 確かに声がする――これは生きているのか?

 とりあえず、敵ではない、落ち着け、落ち着け――、落ち着け……。

 再び言い聞かせるように念じたが、早鐘の様に打ち続ける、心の臓が落ち着くまでは、もう暫くはかかるだろう。

 手汗で滑り、取り落としそうになった長剣を、なんとか堪えて握り直し、彼は背に下げ直す。

 死んだと思ったのは、見間違いだったのか。

 どういう事なのか、全くの無傷で、若い娘は平然と、ハザの前に立っていた。

「何をやっているんだ、お前は。

 全く、みっともない叫びを上げて、逃げ出す所だったぞ。

 驚かせやがって」

「はあ。

 とても、その様には見えませんでしたが……」


 気を取り直す為に、軽口を叩きつつも娘の腕を手を取り、やや強引に引き寄せ胸元を確認する――確か、そこを貫かれた筈だ――が、ローブ表着には穴も破れも無く、また血も流れておらず。

 少々古くはあるが、良い生地を使用した、高級そうな衣服で、変わらずその身を包んでいる。

 会った時から、何も変わっていないように見えるそれにも、血の流れた痕跡がまるで無い。


 ――が、代わりに妙な臭いが鼻につく。

 服を雑巾の絞り汁に浸し、雨風に打たせた挙句、生乾きにした様な、酷い臭いが。

 それは、頭と古の衣服から、特に強く放たれている様に思えた。

 咲き頃の花の如き美しい娘の容姿に、浮かべられそうな想像とは、まるで掛け離れた、惨たらしい香ばしさが周囲に漂う。

「う、ぐっ……。

 おい、何だこの臭いは」

 幻想を打ち砕く、とはこの事を指して言うに違いない。

 素早く彼女から身を離し、ハザは思わず唸ると、顔を顰める。

 それを聞き、出会った時と、全く変わらない面持ちで、ぼんやりと答える娘。

「はあ、臭いですか。

 何でしょうね、我等にはよく分からないのですが」

 話を聞きながら、鞄から水筒を取り出し、ひと口飲む。


 清涼な水の香りが鼻腔を漂い、厭な臭いを追いやってゆく――。

 それでどうにか、落ち着きを取りせた気がした。

「分らない筈は無いだろう。

 お前から漂ってくるんだぞ。

 雨風に打たれて、そのまま放っておいた様な臭いだ」

 ハザの言葉に、女は服や腕に手を重ねる。

 質の良さそうな布、柔らかそうな肌へと、軽く触れ流す手の境目から、転び出る垢の様なものが、塊となってボロボロと崩れ落ちてゆく。

 良く見れば、彼女の腕を掴んだ手袋にも、ねっとりとそれがこびり付き、薄く張り付いているのが分かった。

 それを見ていた彼は、更に顔を顰め、勢い良く手を打ち鳴らし、汚れ叩き落とす。

 赤紫色の瞳をハザの方へと向け直した娘と、視線がぶつかり合う。

「恐らくは。

 汚れているのかもしれません」

 更に髪や肌そして、ローブ表着に触れながら、女はそう語った。

 その度に、何かが擦れ、細かくなった汚れらしきものが、乾いた泥が剥がれ落ちるかの様に、散り落ちてゆく。

 どうしてそこまで汚れているんだ、一体何時から――いや、考えるのは止そう。

 尋ねた所でまた、突拍子も無い返事か、想像を絶する事実を、淡々と告げられるだけに違いない。

 ハザは、なるべく普段の表情を保とうとするが、上手く出来たかどうか、自信は持てなかった。

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