3章.或る一つの終焉(2)

 肉も無いのに、どのようにして動いているのか。

 ハザの知識では、見た事のない異様な集団、としか形容出来る言葉が見当たらない。

 幸いながらも、まだ距離はある――と、彼は考えた。

 まず俺が飛び出し、機先を制すれば、幾らかの敵は引き付けられるだろう。

 前回の戦いの経験からすると、あれらが同類の敵だとするならば、その数こそ多く見えるが、何よりも奴等のその動きは、非常に単純だ。

 振りの速さ、技の巧みさ等を鑑みて、かなりの強敵ではあるが、あの数と言えども、考えて勝てない相手ではない。

 先ずは――先制あるのみ。

 意を決したのか、彼は鋭い相貌を輝かせ、髑髏の群れの方へと駆け寄った。

 群れに駆け込み、柄に手を掛けたと同時に、武器を手にゆっくりと近づいて来る、髑髏の何体かが吹き飛ぶ。

 留め具から解き放たれた鋼の刃は、まるで雷の如くに跳ね回る。

 唸りを上げて、空気の流れを断つ音がひとつ、響き渡る度に、ひとつの骨格が砕け、へし折れたそれらは、降り注ぐ小雨の様に散乱してゆく。

 何よりも、彼等が身に着けているその古い具足は、身の守りを固める役に立っているとは、到底言える物ではない。

 髑髏たちが身に着けている、芯まで錆が回った武器や具足は、打てば割れ、斬れば断たれる、古さ故の脆さが、ハザの剣技をより一層、引き立てる役割と化す。

 そうしている内にも、がしゃり、と1体頽れ、手足の様に長剣を自在に扱う青年は、次の獲物に狙いを定めた。


 腰を落とし、再び彼が長剣を構える。

 すると、次の瞬間、古びた鎧と手にした獲物が突然砕け、骸骨の1人が地底に斃れ伏す。

 振り抜いた音は、後から空気を鋭く断ち割った。

 剣を振り抜いた姿勢で、再び敵をひとつ、討ち果たした彼は、目を細めつつ、思案する。

 暗がりで無ければ、こんなものか。

 生きていた頃は、どれ程腕が立っていたのかは知らんが、獲物や鎧がこうではな。

 纏わり付く羽虫を追い払う位なら、簡単に出来るだろうが、手入れのされた真剣と打ち合えば、瞬く間にこの有様だ。

 長剣を振るうだけで、面白い様に当たり、簡単に打ち倒せる。

 大した事は無い。

 大した事は無い、筈なのだが――。

 そこには、拭い難い大きな違和感があった。


 先に行く道を、塞ぐように現れた髑髏達は、剣を振るハザに幾ら打たれても、それをまるで相手にしない。

 そもそもの戦う意志が無い、としか思えぬ程、簡単に打ち倒せる。

 風を断つ様に勢い良く、長剣が駆け抜ける度に、1体、また1体と斃れ、動かなくなってゆく。

 だが、どれ程痛烈な強打を浴びせようとも、彼等はハザのを方を向かなかった。

 次に狙われた者を守ろうともせず、彼の横を過ぎ去り、只ひたすら歩む。

 初めから、そのつもりだったのだろうか?

 それが分かってしまえば、実にやり難い事、この上ない。

 大きな誤算に気が付いた時は、既に遅かった。

 通り抜けた髑髏達は、全ての足取りを、同行者の女の方へと向け、歩を進めている。

 漸く、目の前の敵全てを、打ち払ったハザ。

 振り返り、骸骨の群れを追おうと、脱兎の如く駆け出す。

 だが、残った髑髏達は、背から斬られていても、女へと向けた歩みを、止める事は無かった。


 やがて、異様な姿の者達に囲まれ、足が竦んだのか、彼女はその場に立ち尽くす。

 心の中で舌打ちをしたハザは、慌てて駆け寄ろうとした。

 戦いに慣れていないのか。

 いや、女は近づいて来る髑髏達を見ても、顔色を変えず、身動ぎひとつしない。

 明らかに狙われている、というのにも拘らず、どういう訳か逃げる素振りを、全く見せないのだ。

 慣れていない、と言うには、明らかな違和感が付き纏う。

 やがて、1人の骸骨が目の前に立ち、手にした槍の狙いを定める――。

 それでも動かなかった――この状態にあっても、女は見せない、避ける素振りすらも。

 彼女は変わらず、茫洋とした澄まし顔で、敵をじっと見ているように思えた。

 危機が目前に迫る中、何の心積りでそうしているのか、ハザには全く理解出来ない。


「おい! 何してるッ!?

 避けろ――」


 彼が叫ぼうとした瞬間、骸骨が手にしていた、古びた槍が娘の胸を貫く。

 ――何故、という思いが、ハザの脳裏を通り過ぎ――。

 僅かに肉を貫く音が、耳元を駆け抜けた。

 そして女は、穂先で高く抱え上げられ、槍が勢い良く振られる。

 ぶうん、と重い物が宙を舞う音。

 地に叩き付けるつもり、だったのかもしれないが、古びた槍は途中で折れ砕け、その役目を終えた。

 勢いに任せ飛んで行く女の身は、緩やかな弧を描き、点在する岩のひとつに、叩き付けられて漸く止まる。

 持たせたランタン角灯が、静かならば、荘厳であったろうその雰囲気に、全く似つかわしくない、派手な音を立て、砕け散った。

 やがて、力なく垂れ下がる腕――手にした灯火は、その女の魂の如く消え失せ、ゆっくりと落ちてゆく。

 あれではもう、助からない。

 ひと目で致命傷なのが、遠目にも分かる。

 髑髏達は、ゆっくりと向きを変え、女が叩き付けられた、岩の方へと歩き出す。

 更に長剣を振るい、骨を砕いても、彼等の多くはハザを全く相手にせず、彼女の後を追った。

 まるで最初から、剣を振るう青年など居なかった、とでも言う様に。

 あの時とは全く違う戦局に、大きく戸惑いつつ、目の前から立ち去りつつある、髑髏達の後を、剣を振り翳して彼は追う。

 完全に読み違えた――まさか、全ての敵があの女狙いだとは。

 正面から躍り込めば、多少は注意が引ける――その筈だと考えていたのだが。

 何が悪かったのか、狙い所が完璧なまでに外れ、全てが不首尾に終わった、という思いと共に胸中を、冷たい風が吹き抜けた気がする。

 向こうから岩ごと骨肉を打ち、貫き、断ち切ろうとする音が、しばらく続く。


 そして、唐突に物音が止み、戦いが終わりを告げた。


 ハザが女の所へ追いすがった頃には、髑髏達は全て、糸が切れた様に倒れ伏している。

 わざわざ追いかけてまで、手を下した訳ではない。

 彼が打ち倒した分は、その内の幾つか。

 他の髑髏達は、自らの役目は終わったとばかりに、勝手に頽れ、地に散逸したのだ。

 抵抗が皆無の彼女の上に嫌という程、手にした剣や槍、斧を振り下ろし、やがて気が済んだのか、骸骨は自然とばらけて、足元に散乱している。

 どうしたというのだろうか、それ以来、立ち上がる事も無ければ、動く事も無い。

 散らばる骨を、踏み締める度に、ぺきり、と軽い音が響いた。

 古くなった武器や骨を、躊躇無く踏み砕き、血で染まった岩へと辿り着く。

 岩を見上げた彼は、思わず息を飲む。


 ……女は、既に息をしていなかった。

 背筋は奇妙な方向へと捻じれ、手足は壊れた人形の様に折れ曲がり、人の形をもはや留めてはおらず、血塗れの長い髪を視線で辿るが、頭は何処にあるのか、皆目見当が付かない。

 先程見た筈の、剣が刺さり干乾びた古い死体ですら、ここまで酷くは無かったように思う。

 彼等の目的が何であったのか、これを見れば、一目瞭然という物だ。

 一応ながらにも、声を掛けてはみたものの、予想通り返事は無く、動かぬ娘の体は、これで生きている方が不思議だ、と言える程に打ち据えられ、遺体の損壊が激しい。

 見る限り、自身とは明らかに違う、主義信条での戦い方。

 いや、殺し方と言っても良いだろう。

 ハザも戦いの末、人を殺める事はあるが、大抵は決着がついた時点で、それ以上の追撃はしないようにしている。

 何故なら、無駄に剣を振れば、その分の体力を消耗するし、隠れている敵が、次に疲れ切った自身を狙ってくる、かもしれないからだ。

 戦いに勝利し、高揚して調子に乗り、死体を切り刻んでいる間に、背後から討たれた者を幾度となく見た上に、彼自身もその様な好機を逃さず、討って来た身としては、致命傷を与えた者に対し、必要以上に剣を振る習慣は身に付かない様、自身を制している――勿論、必要とあらば、躊躇する事無く急所を貫き、止めを刺す事も忘れてはいないが。

 この散らばった髑髏達の戦い方は、執拗なまでに相手を破壊しようと、迫っていた事が判る。

 かつて居たというこの地の民は、そこまでしてこの女を、この地の底へと、留めておきたかったのだろうか?

 その者達にとって、娘の力は、まごう事無き本物であったのだろう――それらを示す確かな証であった、散らばる武具と具足、そして人の骸骨。

 先程までは確かに、動いていた筈の襲撃者達は、何も答えてはくれなかった。


 ――分からない。

 緩やかな風が、ハザの髪をそっと、撫でてゆく。

 死人が口を開く事は無い――。

 話が聞けなくなってしまった以上、答えを得られる事も無いだろう。

 逃げる素振りすら見せなかった女の、不可解な行動と、それに伴う死について、彼は、それ以上の事は分らなかった。

 どちらにせよ、この遺体はもう、この地の底で誰にも知られずに、朽ちていくのみ。

 多くの謎が残されたまま、何もかもが分からず仕舞いではあったが、これ以上出来る事は無い。

 手にした長剣を、背中の留め具へと差し戻す。

 やがて大きな溜息を吐くと、ハザは風で乱れた髪を撫でつけ、踵を返すと、ゆっくりと歩き始めた。

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