2章.封印(2)
暫く出方を窺っていると、娘の方から声を掛けてくる。
それは静かで、落ち着き払った、通りの良い声。
先程の歌といい、聞き心地はかなり良い方と見ても、差し支えないだろう。
「この度はご助力下さり、ありがとうございました。
一同を代表して、我等が感謝いたします」
表情を殆ど変化させず、若い娘は礼を言った。
どうやら話が出来る、話をする心積りがある、という事らしい。
右手を長剣の柄から放すが、すぐに取り押さえられるよう、何時でも動く気構えを取りつつ、娘に話しかける。
気付けば湿った汗が、手袋の中で水溜りの様になっていた。
「それは何よりだ。
もしかして、ずっとここに居たのか?」
我ながら乾いていると思える声が、遺跡の壁に反し、自身の耳朶に届く。
声の反射が消えるのを、まるで待ち構えていたかの如く、女が声を発する。
「はい――。
貴方が針を抜いて下さるまでは、動く事叶いませんでした。
我等に、再び途を辿る好機を、得る為のご助力、重ねて御礼を申し上げます」
女が礼を云うのに頷きつつ、次の話す事をどう切り出すか考えた。
そう言えば、まだ名乗っていない事を思い出す。
意思の疎通の便宜を図る、という事もあるが、そもそもこの女に名を教えた程度で、困る事は無いだろう。
「まだ、名乗っていなかったな。
俺はハザと呼ばれている。
名を呼ぶ事が必要なら、次からは、そう呼んでくれ」
「ハザ――。
はい、貴方の名を、確かに伺いました。
我等がその名を呼びます事、どうぞお赦し下さい」
「――我等? 我等とはどういう意味だ?
ここには、お前独りしか居ない。
他に、仲間が居るのか?」
この女、丁寧な口調ではあるが、何か話し方がおかしい。
どう伝えるべきか、そこはかとなく内容が変、と言った方が、より一層伝わり易いだろうか。
その事を自覚しているのか、それとも……、思いと困惑を他所に、目の前の娘はにべもなく答える。
「我等は我等です。
他の何者でもありません」
微かに辺りを見渡した彼女は、まるで他にも自身が居る、そのような素振りを見せた。
それが、さも当然であるかの様に。
「……そうか。
では、話を変えよう――あの死体は何だ?
お前の仲間か」
仲間では無いかと、問うては見たものの、目の前の娘と比べ、アレは時間が経ち過ぎの様な気がしている。
何故ここで死んでいるのか、あの剣は何なのか。
自身の予想が正しい、という事になったとしても、正直な所、理解する自信は無い。
「はい。
あれは、確かに我等に相違ありません」
間髪入れずに、しっかりとした返答が返って来る。
我等――と云う事は、目の前の女自身である、という事なのか?
干乾びる程に痩せ細り、変色した死体と、目の前の、若く肉付きの良い娘。
矢張り、とても同じ様には感じられず、困惑するばかりだ。
そもそも、同じ人物が、全く同時に存在する等、到底信じられる話ではない。
胸中に次々と、新たな疑問が浮かび、そして消えてゆく。
次に何を言うか、考えあぐねていると、彼女の方から話し出した。
「はい――。
あちらはもう随分と前に、活力を失っていますが。
ハザ、間違いなく我等です」
顔色と同じく、声にも感情が籠っていないように感じるが、しっかりと良く聞けば、微妙に
ほぼ、同じように話している風に聴こえるが、話す事柄の内容次第で、多少の感情の上下は、あるという事か。
しかし彼女も、何故問い質されているのか、理解していない様子が伺える。
今の所、逃げるような素振りは見せていないが、お互いに理解出来ない珍問答を、何故続けて、生真面目に答えているのだろうか。
再び問いかけようとすると、娘は先を制するかの様に答えた。
「それは、質問に答えろ、と。
先程、貴方はそう、おっしゃっていたではありませんか」
それは、何時の事だろうか。
目の前の女に、そんな事を言った覚えは無い。
独特の話し方をするこの女と、意思の疎通を図るには、もう少し時間が必要なようだ。
彼は再び違う話題を、彼女に投げかけ、反応を窺う。
「お前、さっき歌っていただろう。
あの音楽は何だ、どこから奏でていたんだ?
どんな仕掛けか見たい、教えてくれ」
「唄――ですか?
いえ、我等は唄など歌っていませんよ、ハザ。
貴方の言う事が、我等には何の事を差しているのか、分りません」
またしても不可解な回答を得、ハザは思い悩む。
確かに歌の様な調べが聴こえた筈だが――ではあれは、何だったというのか?
歌では無かった、楽器を使う音楽でも無かったとしたなら、皆目見当が付かない。
青年は軽い溜息の後、話を続けた。
「俺にはお前の言う事が、さっぱり分からん。
そうだな、こうしようか。
俺は、地上から来た。
とある国が、神を探せとの仰せでな、こんな地底くんだりまで、出張って来た訳だ。
そして、地の底でお前が急に現れた。
――お前は、何者だ。
話に伝え聞く、古の神とやらか?」
率直に問題を伝え、核心に迫る。
つぶさに聞くよりこっちの方が、話が通り易く、理解しやすい回答が得られて、良いかもしれない――そう目論んでの事だが、さて、上手く行くかどうか。
神の探索――それが、のこのこと地底くんだりまで、やって来た理由の大半を占めていた。
重大な事実を聞きたかった筈だが、目の前の女は左程時間をかけずに、あっさりと答えてしまう。
「我等は、貴方の云う、神ではありません」
否定の言葉を、静かに言ってのける娘。
だが、突然現れた事と言い、ますます怪しい事に、全く変わりはないのだ。
表情を更に厳しくする彼へ向かい、彼女は続ける。
「我等は、人が望む力など、持ち合わせてはいないのですが。
力を求めるこの地の民の手によって、此処へ幽閉されたのです。
あれから、一体どれ程の刻が過ぎ去ったのやら。
我等はこれから――。
地上を、目指さねばなりません。
そうしますと、此処は閉じる事となるのですが。
此処にハザの用がありましたら、それが済むまで、待つ事も出来ます。
貴方はどうされますか?」
概ねの事柄を聞き終え、物思いに耽っていると、今度は彼女の方からの問い。
ハザの方はと言えば、目の前の娘が、旅の目的である事に違いないだろう。
例え、この女の話の通りに、神ではなかったとしても、怪しい――連れ帰る価値はある筈だ。
この機会を逃がす訳には行かない。
そう考えた彼は、女の確保に向けて言葉を口にする。
「あー、細かい内容までは、未だよく分からんが。
お前の話の趣は、概ね理解した――、……、のではないか、と、思う。
俺はこのまま地上に帰るが、お前も連れて行かねばならん。
わざわざその為に、こんな湿っぽい、地の底にまで来たんだからな。
悪いが、着いて来て貰うぞ」
何かを考えているのだろうか、話を聞き終えると、女は面持ちを変えず、黙り込む。
残ったのは謎だらけだが、そんなものは、知恵者にでも打ち遣っておけば良い。
うんうん唸って、少し位は理解や解決に導くだろう。
何処かズレた回答を返す、この女の言う事が、理解出来ればの話だが。
他の事でも考えていたのだろうか、答えを返したのは、少し間を空けてからだった――やがて、こちらをじっと見ていた娘は、徐に話を始める。
「はい――。
我等は、外で待つ我等に、伝えねばならない事があります。
例えひと時と言えども、共に進むべき途が同じなら、我等に否やはありません。
ハザ、貴方と、地上を目指しましょう」
「……そうだな。
そうして貰えると、助かる」
外にも――と、言う事は、地上にも仲間がいる、と言う事だろうか?
向かうべき所は同じ、彼女も地上を目指す、という事らしい。
どうやら、力尽くで連れ出す、という選択肢は回避されたようだ。
争いともなれば、非力な小娘1人程度、どうとでもできそうな気がするが、突然現れたりした手前、用心するに越した事は無い筈。
ハザが背を向けると、背後から娘の澄んだ声がする。
「――?
これからすぐに、地上へ向かうのですか?
随分と急ぐのですね」
「ああ、こんな辛気臭い地底からは、早々におさらばしたい」
まるで急いでいない、とでも言わんばかりの口調に、背中で返事を返し、歩き始めた。
出入り口へ向かう彼を、
話が纏まり、行動を共にする事にしたハザと娘は、ぽっかりと空いた、遺跡への出入り口を潜る。
すると、ここは地の底であるというのに、外の様子は一変していた。
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