2022/7
第1週 子羊
さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄ってきた。
すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。
「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」
そこでイエスは彼等に、この例えをお話しになった。
「あなたがたのうちに、羊を100匹持っている人がいて、そのうちの1匹をなくしたら、その人は99匹を野原を残して、いなくなった1匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、」
―――ルカ15章1~5節
〜
むかしむかし、まだ人間が、一つのほしに住んでいた時の話です。
おおきなおおきな、せんそうがありました。たくさんのへいきを使ったので、人間は、より安全なところに住もうとしました。
そのとき、安全なところに行ける人と、行けない人がいました。
神父さまは、その時、一緒に行けない人達とお祈りをするために、ほしに残りました。神父さまは、とてもとても永い年月を生きていたので、絶対に外に行きたい、という、若い牧師や女性牧師、司祭、そして、生まれたばかりの自分の息子をおふねにのせて、ほしにのこりました。
また、たくさんのへいきがつかわれました。
たくさんの脊椎動物も死にました。そして、最後の信者が死んで、神父さまも死にました。
天国で、たくさんの人が、神父さまをお出迎えしました。しかし、神父さまは、首を振って仰いました。
「かみさま、わたしはこのせんそうをとめることができませんでした。」
「もうあなたの子と呼ばれる資格はありません。」
「ですがわたしは、あなたにゆるしてほしいともおもいます。」
「ですのでかみさま、わたしにしれんをください。」
「そのしれんをのりこえたら、天国に戻ってまいります。」
かみさまは、神父さまの決意をよく分かっておられたので、新しいの姿を与えて、再びこの世に返しました。そして、こう仰いました。
「てんごくにきた、脊椎動物達の中に、ひとりだけ、自分のずがいこつがないものがいる。」
「彼のずがいこつを、探してきなさい。」
「そうしたら、おまえをゆるし、天国に入れよう。」
ほしの3割に住んでいた命はみんな死にたえたので、7割に住んでいた命が生き残りました。神父さまは新しい身体をすいすいと動かし、新しいいのちに、脊椎動物のほねのありかを聞いて回りました。
しかし、誰も知りませんでした。
神父さまは、頑張って、星の7割を探し尽くしました。しかし、見つかりません。
そうこうしているうちに、人間が使った兵器によって、水面のいのちも死に絶えました。神父さまはまた、天国にまねかれました。
神父さまは、小さなからだをより一層小さくして、
「彼のずがいこつを、まだ見つけていません。だから、天国にはいることはできません。」
と、言いました。かみさまは、神父さまの決意がかたいのを知っておられたので、新しい文化を担う、新しい生物の身体を与えました。
ゆらゆらゆらゆら、神父さまは、暖かな光の世界から、冷たく重く苦しい世界まで、聞いて探して、探し求めました。けれども見つかりません。今度の身体は9割を亡くしても生きていられるので、みんなながいき。けれども見つかりません。
そこで神父さまは、もしかしたら本当に知らないのかもしれない、と、もっともっと深くふかく、もぐってゆきました。
ふかくふかく、ふかくふかく、ふかくふかく…。
何のためにもぐっているのか、何千年もぐっているのか、分からなくなっても、自分の重さではなく、手を動かして、いっしょうけんめい、泳ぎました。
ついに神父さまは、砂の積もるところまで泳いでたどり着きました。
そこには、新しい、みやこが出来ていました。神父さまは、尋ねました。
「この辺りに、脊椎動物の骨が落ちていないかい?」
「ほね?」
しかし、誰も「ほね」というものを見たことがなかったので、分かりません。神父さまは、困った困ったと言いながらも、えらいせんせいや、おうさまに、尋ねて回りました。
でも誰も教えてくれません。神父さまは、
「この世界のはるか上には、『かいめん』というものがある。『かいめん』を生きている最後の生物が俺だ。さあさ、見るがいい、調べるがいい。俺は逃げないし惜しまない。だから教えてくれ、「ほね」はどこなのか!」
「ほね?」
神父さまが探しているものが、何なのか、みやこのものたちには分かりません。でも、珍しいものがあるというので、世界中のえらいせんせいや、おうさまが、神父さまを調べに来ました。
神父さまは、かみさまから与えられたものしか持っていなかったので、それらを切ったり貼ったりして、けんめいに協力しました。
でも誰も、神父さまのおねがいを聞いてはいませんでした。
渡せるたからものが無くなって、神父さまはたからものが出来るまで、閉じ込められました。もう何処にも探しにいけません。
すると神父さまは、ちぎれてふわふわ浮きながら、お祈りを歌い始めました。それは、新しい「たからもの」でした。みやこになかったものだったからです。
閉じ込めておいた機械を持っていたえらいせんせい、それを作らせたおうさま、初めて神父さまを見た幼いもの、みんなみんな、ころしあいました。みんなそのたからものを、独り占めしたかったからです。神父さまが沢山分け合うために、沢山のたからものを取り出す度に、まだあるはずだ、まだあるはずだ、つぎこそはいちばんのりだ、と、みんなあらそいました。
海の底のみやこすら、こうして滅んでしまいました。
出られなくなった神父さまを助けたのは、身体が柔らかく、3分の1しか残っていない生き物でした。
「神父さま、どうぞ自由におなりください。おつかれさまでした。私は旅のぎんゆう詩人です。あなたの歌をうたって、海の底をずっと旅していました。途中、あなたの歌をうばいたいものに捕まって、こうして今にも死にそうになっています。それで道中、神父さまくらいきょだいで、カチコチの、私たちでは作れないようなたてものを見つけました。もしかしたら、「ほね」かもしれません。機械から出たら、暖かい流れをさかのぼっておいき下さい。そこに、「ほね」みたいなものがあります」
こう言って、生き物は力尽きました。神父さまは、生き物のために
世界はとても広く、神父さまは、傷口を治しながらけんめいにさかのぼってゆきました。
ときどきごうと流されたけど、その時は倍すすんで、暖かい流れをさかのぼってゆきました。
あまりに流れをさかのぼったので、流れは冷たくなりましたが、神父さまはとても暖かな気持ちになりました。
そして、不細工にもふえた手を伸ばし、神父さまは言いました。
「ついに見つけた。これこそ、俺の骨の骨、肉の肉。さあ、一緒にかえろう」
すると、神父さまにみつけられたものは言いました
。
「お久しぶりです、神父さま。お姿が変わられても、このしもべにはすぐわかりました。でも私は、せんそうにさんかした1人なのです。だからこうして、石になって、更に、朽ちようとしています。どうかおひとりで、てんごくへお帰りください」
すると、神父さまは、お話をされました。ほねはこっくりうなずいて、ようやくあたたかくなりました。
〜
絵本を読み終えたおれに、子供たちが寄ってくる。
「ねえ、神父さまはどうなったの?」
「のー?」
「さァねェ、ここで物語は終わりだからね。」
「えー!」
「えー!」
「さあさ、第八日ももう終わる。お家に帰る時間だよ 」
「えー!」
「えー!」
教えてよ、教えてよ、と、駄々を捏ねる子供たちを、親達が迎えに来る。両手に様々な手を取りながら、子供たちは帰って行った。
「よぉ。お勤めご苦労さん。」
「なんだ、おやじ。来てたのか?」
「ん?うん、懐かしい話をしてたから、フラフラ立ち寄ってみた。アハハ、現役を退いて息子に譲るっていいねえ、親父もこんな気分だったのかなぁ。」
「…なぁ、おやじ。」
「ん?」
「これ、実話なの?」
するとおやじは、今の環境では絶対に育つことのない色の髪の毛をかきあげて、答えた。
「さあね。でも夢があっていいじゃないか。宇宙考古学的裏付けが取れた世紀の大発見から生まれた話だろ?」
そう言って笑うおやじに、今のおれには視認できないほど朧気な存在が、声をかけてくる。おやじには、どうもはっきり見えているらしい。
「第八学校の後のお茶が入ったよ、おいで。」
「はいよー! ほら、行くぞ。」
伸ばされた1本しかない腕、1つしかついてない手のひら、5本しか生えてない指に自分の手を重ねて、おれは絵本を片付けた。
〜
「あなたがたのうちに、羊を100匹持っている人がいて、そのうちの1匹をなくしたら、その人は99匹を野原を残して、いなくなった1匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰ってきて、友だちや近所の人達を呼び集め、『いなくなった羊をみつけましたから、一緒に喜んでください。』と、言うでしょう。
貴女方に言いますが、それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない99人にまさる喜びが、天にあるのです。」
―――ルカ15章4〜7節。
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