神戸教授のおとなの社会学 『独裁者論』
「時代劇いいですよね?
この国が生み出した文化の極みでしょう」
珍しく神戸教授がアニメパロから始めているが、ちょうど十周年という事で色々な企画が始まってTVも盛り上げていた時期である。
これも去年昭和アニメのパチンコが大ブレイクして、パチンコマネーがアニメやゲームに流れた事も大きいだろう。
TVの論調を知るにおいてその最前線でコメンテーターをしている神戸教授の言い回しは、時の流行を知る一助になる。
「お約束と言ってしまえばそれまでですが、そのお約束に酔う私達の心は否定できません。
とはいえ、私もこんな所で教鞭をとる身。
時代劇のお約束だからといって無視するのではなく、そこから君たちに何かの教訓を渡せればと思っています」
そんな事を言いながら神戸教授はビデオデッキを再生する。
DVDが主役になりつつある今でも、まだ時代劇とかの作品はDVDになっていない事が多かったのである。
そして、馴染みの音楽と共に時代劇が始まる。
神戸教授が用意したのは、将軍が悪人を懲らしめる時代劇と前の副将軍が世直しの旅をする時代劇である。
なお、今回の講義のテーマは『独裁者論』である。
「他にもお奉行様が裁きをするやつもありますが、それは後で流しましょう。
この手の話は数を出すと面白いもので、将軍が悪人を懲らしめる時代劇は放送回数がおよそ800回ぐらいなのですが、ここにこんな表があったりします」
それは江戸時代の御家人の数と石高の資料であり、よく悪役となる奉行職につける三千石の石高の旗本・御家人の数は254人しかいない。……あれ?
私たちの気づきに気づいた神戸教授が面白い事をいう。
時代劇だからと言って、史実がそれにハマるわけではないという例だろう。
「江戸幕府八代将軍徳川吉宗は享保の改革において、それぞれの役職ごとに基準額の俸禄をもうけ、在職中に限ってその不足分を幕府が補う事で格下の御家人たちを抜擢しました。
これを『足高の制』と言いますが、まぁ悪事を行っていたとは言え旗本たちを斬り過ぎたと言われても仕方ないですね。これは」
みんな笑うしかないが、私を始め一部の人間は資料から目を離さなかった。
将軍様が悪奉行を処罰した回数が800回と仮定した場合、千石とり以上の旗本がほぼ全滅する計算になるからだ。
放送回数千回を超える前の副将軍の諸国漫遊記だと、三百諸侯なんて言葉が示す通り江戸時代の藩の数は300ぐらいしかない訳で、つまり平均三回ほど前の副将軍が世直しの為に藩に入っている訳だ。
「ここで面白い事を。
将軍が悪人を懲らしめるのは法的には問題ありません。
何しろこの時代の幕府の絶対権力者ですから。
ただ、諸君の何人かが気づいたように、彼の悪人懲らしめがもはや粛清レベルなのは言い逃れできないのですけどね。
つまり、八代将軍が御三家の紀伊徳川家から出た事で、旧体制派となった旗本・御家人連中が悪人懲らしめの名目で粛清されたという見方もできなくはないという事です」
どこから突っ込んだらいいのだろう。これは。
私たちのそういう空気を気にしない神戸教授は前の副将軍の世直しの旅に話を移す。
「それで行くと前の副将軍の世直しの旅は完全に内政干渉です。
徳川幕府の力が強かったとは言え、副将軍に平均三回も内政干渉をされる。
良く藩側がキレなかったものです」
徳川幕府は強権を有してはいたが、全国津々浦々までその権力を行使するのではなく、地方は藩に任されていた。
その建前を前の副将軍は世直しを名目にぶち壊しまくった。
そう考えると、犬猿の仲だったらしい五代将軍徳川綱吉に同情したくもなる。
「という訳で、今日の講義についてお話ししようと思います。
少なくともあなた方は権力を行使する立場につく可能性が高い。
その時に、この将軍や前の副将軍のような醜態をさらさないようにしなければなりません」
ああ。ここに繋がるのかと私たちは納得する。
神戸教授は私達の納得顔を確認してホワイトボードに何かを書いてゆく。
「残念ながら、世の中から悪人はいなくなりません。
そして、悪人をすべて処罰するには人も時間も足りません。
だからこそ、世の為政者は二つの事に気をつけました。
法とその行使です」
神戸教授は『法』と『行使』という言葉を書いて丸で囲む。
今日訴えたい事はここらしい。
「で、ここで名奉行の時代劇を流しましょう。
彼らが悪人を懲らしめる際に、その権限が限定されている事に注目してください。
悪人の裁きは奉行の権限ですが、その悪人と繋がっていた武士側を奉行は裁いていないんです。
それは評定所という別の部署が受け持っていますね。
ここで、江戸幕府の組織図をプリントしたのでお渡ししましょう。
奉行・代官・目付などそれぞれの権限が分散しているのが分かりますね。
幕府内ですらこれだけの人間が限定された権限を行使していた。
さらに幕府外に藩という組織があり、こうやって江戸時代の治安は守られていた訳で、太平の世という言葉が生まれたのは伊達ではないのです」
ここで神戸教授は言葉を区切って私たちを見渡す。
少なくとも、ここにいる人間は将軍や前の副将軍みたいにはならないだろう。
「全てができるからと言って全てをしてしまったら、必ず破綻します。
そうやって、すべてをしようとして破綻した人間の事を歴史は『独裁者』と呼ぶのですよ」
と。
「今日の講義なんでこのテーマだったんですか?」
講義が終わった時に私はなんとなしに神戸教授に聞いてみた。
すると、彼はこんな答えを言ってくれたのである。
「私がコメンテーターで出ているテレビ局で刑事ものの新企画があってね。
華族のお嬢様が社会勉強の為に警察官になって悪人を懲らしめるというやつで、タイトルは『刑事令嬢』。
誰を意識して、どういう物語を作りたいか分かるでしょう?」
納得。
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今日の時代劇一覧
『暴れん坊将軍』
『水戸黄門』
『大岡越前』
『遠山の金さん』
なお、『先の副将軍』ではなく『前の副将軍』で『さきのふくしょうぐん』と読むらしい。
パチンコからアニメ
エヴァのブレイクは『CR新世紀エヴァンゲリオン』(2004年 12月)だが、その前のパチスロ『北斗の拳』(2003年 10月)の大ブレイクを忘れてはいけない。
これ、何が凄かったかというと、地方の数少ない娯楽場であるパチンコ経由で地方がオタク化してゆく過程であり、北斗で耐性がついた人たちがエヴァで取り込まれて地方のオタク化が一気に進んだことだったりする。
現在地方がかなりオタクに寛容なのは、このあたりの底流があった事を記しておく。
ネタ元
江戸期の独裁者による大量虐殺についての一考察
https://togetter.com/li/118584
江戸時代の旗本・御家人の数
https://www.viva-edo.com/hatamoto_gokenin.html
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