道化遊戯 正義の傀儡のバラッド エピローグ
「三田くん。忘れ物はない?」
「ないですよ。店長も心配性なんだから。
ただ帰るだけじゃないですか。
そんなに心配しなくても……」
「大丈夫と言い切れないのが三田さんなんだよねー」
「水樹ちゃん。
それを出発前に言う?」
客商売ゆえにゴールデンウィークという書き入れ時は休めないが、それが過ぎた後に祖母の住む実家に顔を出せという雇い主である愛夜ソフィアのありがたいお節介によって帰省をする事になった三田守。
帰る気はなかったのだが、帰る事になったのはお金を払う自由恋愛相手である北都千春の一言だった。
「『親孝行 したいときには 親はなし』。
帰ってあげなさいな。
あの娘には故郷も親もないんだから」
そういうものかとなんとなく頷いた彼だが、飛行機や新幹線でというには気も引けたのでかつて使った夜行で帰る事にする。
これだと、昼まで働いて夜そのまま帰れるからだ。
体はその分疲れるのだが。
「おーい。三田の坊主。
送ってやるから乗りな」
「近藤さんもわざわざタクシー回さなくても」
「馬鹿だな。
お前を送る名目でそのまま東京駅に居座るんだよ」
とてもいい笑顔でドアを開けた近藤俊作のタクシーの後ろに三田守は小さな旅行かばん一つと共に乗り込んだ。
「じゃあ、東京駅にお願いします。運転手さん」
「あいよ」
夜の東京は車の往来が絶えない。
街の灯りと車の灯りはこの街が生きているのを否応なく主張してくる。
「しかし、お前荷物少ないな」
「先に土産とかは郵送しましたよ」
貧乏帰省だが、それは選択肢のない貧乏ではない。
近藤俊作もそれがわかって尋ねる。
「わざわざ夜行で帰らなくてもいいだろうに。
新幹線や飛行機の方が楽だろう?」
「同じ事を言われたんですけど、今回だけはこれで帰ろうと思って。
なんだか自分が自分でなくなってゆくのが怖いんですよ」
東京の夜景を眺めながら三田守が呟く。
彼の人生はこの数か月で激変したのだから。
ドアに映る彼の顔は犯罪者に転がり落ちかけ、殺されかかった青年の顔ではなく、ネットカフェで住み込みで働きつつ新宿ジオフロントのテロを未然に防いだ男の顔になっていた。
「なんとなくわかるな。
男って、ある時にふと男に成るんだよ。
『男子三日会わざれば刮目して見よ』だったかな」
「千春さんもそうですけど、近藤さんも結構ことわざとか言いますね?」
「その千春さん譲りでな。
偉そうに聞こえるだろう?」
「たしかに」
そんなやり取りの後男二人で笑う。
運転している男の顔もタクシー運転手ではなく、修羅場をくぐり抜けた探偵の顔だった。
「結局、俺たちのしたことは何だったんでしょうね?」
「何もなかったんだろうよ。
何かあって小野のおやっさんみたいに名前が残ってみろ。耐えられるか?」
「ごめんですね」
既に小野のおやっさんである小野健一警視は木更津方舟偽札事件の管理官に就任して、麴町警察署副署長ではなくなっていた。
もっとも、それも来年の春までで、来年春には『副』がとれて帰ってくる事が内定している。
警察内部は大規模な人事異動が行われる予定であり、退職前にはさらに偉くなるとふらりとやってきた若宮友里恵内閣情報調査室主任解析官が漏らしていた。
そんな中でも道暗寺晴道警視はまったく動かず、それも入れた有象無象の後始末に未だ奔走している小野警視は時折ネットカフェに来て二人に愚痴っていた。
『現在ニューヨークで行われている富嶽放送競売ですが、それに参加している大手IT企業のパラダイス・ワンダーマーケットが時間外取引で帝国文化テレビ15.5%の株式取得を発表しました。
同時に、富嶽放送競売からは撤退する事を発表し……』
ラジオからは軽快な音楽の後、ニュースが流れる。
何もなかった新宿ジオフロント完成式典は既に過去のものとなり、今は日米をまたにかける富嶽放送競売のニュースがスピーカーから聞こえる。
三田守はなんとなしに尋ねる。
「多分今聞く事じゃないんですが、俺いつまであのネットカフェに居ていいんですかね?」
「好きなだけ居な。
お前さんは悪党になるには勇気が足りないし、馬鹿になるには知恵があり過ぎる。
それとも、今更悪人になりかかった罪の意識でも湧いたか?」
タクシーが少しだけ横道にそれる。
その分到着が遅れるが夜行出発まで時間があるし、メーターははなから回していない。
「まさか。
そこまで俺は善人じゃないですよ。
ただ、こんなにうまく行っていいのかなって」
「それも含めて、好きなだけ居な。
どうせ、変わる時には変わるんだ。
ただ、それを踏まえて今を楽しむか、忘れて溺れるか。
お前しだいだな」
「近藤さんはどっちでした?」
「決まっているだろう。
忘れて溺れた。
で、その果てがこれだよ」
「「あはははは……」」
赤信号のタイミングでタクシーが止まり、青信号に変わるまで二人とも爆笑する。
気づけば東京駅はもうすぐそこだった。
その近くで何かのロケをやっており、テレビに出ずっぱりの金髪のお嬢様がサイコロを見て罵倒していた。
「「「「ダメ人間!!!!」」」」
そんなロケと爆笑する周囲の中にえらく目立つCIAのメイドを横目にタクシーは東京駅に到着する。
後部ドアが開いて、三田守が出る。
「じゃあ、帰ってくる前に電話をくれ。
またただで送ってやる」
「ありがとうございます」
そう言って三田守は東京駅に入る。
切符を買って大垣行の夜行が出るホームに上がる。
ホームにはそこそこの客が荷物を持って待っていた。
「おっと失礼」
「こちらこそ……あれ?」
運悪くぶつかった一人の男に三田守は返事をしてその違和感に気づく。
口に出したが為に、彼は運命の女神の前髪を掴み損ね、彼の望みどおりに彼は歴史に名を残さない。
「この声……どこかで聞いたような……」
「ああ。貴方か。
ほら。木更津方舟で会った」
「ああ。こんな所で会うなんて。
貴方も帰省か何かで?」
「いや。ただこの列車を見に。
時折故郷に帰りたいと思った時にこの列車を見に。
で、終電で家にという訳ですよ」
たしかに旅行に行く姿でなく、スーツ姿のビジネスマンにしか見えない。
もっとも、その割には荷物が少ないとか、話した時の故郷が北にある樺太の豊原なのにどうして西に行く大垣夜行で故郷に帰りたいとかの矛盾があるのに三田守は気づけない。
「そういえば、三秒は使えました?」
「ええ。使いましたよ」
三田守が覚えているのはこの程度の事。
けど、彼はそのことについては真摯に答えた。
「振り向いてはくれなかったけど、心に傷は残したかな」
「そんなものですよ」
それだけ。
世界を振り向かせる三秒を使った男たちはそれで交わる事のないそれぞれの場所に戻る。
『……まもなく大垣行夜行が到着いたします。
足元の黄色い線の内側に並んでお待ちください……』
「じゃあ、これで」
「ええ」
列車がホームに入り、三田守は列車に乗り、男は軽快に階段に向かってホームから降りてゆく。
そして列車がゆっくりと東京駅を出てゆく。
23:10東京発。乗り換えの名古屋到着は朝の5:11である。
MP3ウォークマンのイヤホンを耳につけて、三田守は適当に東京の夜景を眺める。
いつの間にか、ホームで会った男の事は彼の頭から消えていた。
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作業BGM 竹内まりや『Plastic Love』
これの2019年のミュージックビデオが実にいいので紹介。
https://www.youtube.com/watch?v=T_lC2O1oIew
親孝行 したいときには 親はなし
されど墓に 布団は着せられず
これ下の句があったのかと紹介。
出てきたのは小津安二郎監督の『東京物語』らしい。
男子三日会わざれば刮目して見よ
原文は『三国志演義』。
呉の武将呂蒙の言葉。
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