道化遊戯 正義の傀儡のバラッド 三田守 その1
木更津方舟。
30万トンタンカー三隻を繋げた急造メガフロートで、船内人口はおよそ一万人と言われている。
北日本政府崩壊に伴い各地に散った旧北日本政府国民は、統一後に経済的・社会的摩擦として燻っており、その解決策として提案されたのが、木更津を始めとした方舟都市たちである。
「で、なんでこんな場所に作られたんですか?」
ワゴン車の助手席で三田守が質問し、運転手の近藤俊作が答える。
タクシー客相手にうんちくを語る程度には彼の客はこの東京湾アクアラインを利用していたのである。
「方舟都市の条件の一つが隔離性と交通の便だ。
それにうってつけだったのが、この木更津人工島だったという訳だ」
道は東京湾アクアラインの一つだけ、だが、これを使えば都内直通ができる。
だからこそ、方舟都市のモデルケースとして真っ先に作られた経緯がある。
そんなうんちくをゲオルギー・リジコフが引き継ぐ。
「真っ先に逃げ出した連中にとって、持ってこれなかったものの一つが身分証明だ。
湾岸のボートハウスで稼いだとしても、身分がなければ土地のある場所に引っ越せない。
また、受け入れるとしても元からの住民との摩擦もあって歴代の政権は手をつけられなかった。
坊主。方舟都市ってのは、そんな連中を救う蜘蛛の糸なのさ」
トンネル内をワゴン車が疾走する。
近くを走っていたバスもかなりの客が乗っていた。
「ケーカによる身分証明と銀行口座で信用ができ、この方舟都市に籍ができてはじめて内地の役所に転入届が出せるって訳だ」
都市部における二級市民問題はバブル崩壊であらわになった経済格差も伴って、いつ爆発するかわからないところに来ていた。
同時に、都市部の失敗したニュータウン等の債務にあえいでいた自治体は税金を払える市民を欲しており、その問題解決策となったのが方舟都市である。
「ここで身分を得て、三年経歴が真っ白ならば晴れて自由に転居ができるという訳だ。
実際は、都内のボートハウスで暮らして稼いで、方舟都市で行われる講習と居住確認だけ取るって連中が大半でな。
カプセルホテル並みの部屋で1万人ぐらいしか住めないこの方舟都市の籍持ち居住者は十万人を超えているって話もある」
「うわぁ……」
ゲオルギー・リジコフから告げられる知らなかった世界の真実に三田守はただ声を出すばかり。
近藤俊作がなんとなしにゲオルギー・リジコフに尋ねる。
「あんたも、木更津方舟に籍があるのかい?」
「いいや。
俺は樺太からの出稼ぎ扱いでこっちに来ている。
工事が終わったら帰るか、木更津方舟に籍を置くか考えているところさ」
ワゴン車がトンネルを出て海の中の橋の隣に浮かぶ船の街が視野に入る。
船体上部建築物がどこかロシア風かつ中華風なのが、この街の空気を端的に表していた。
海ほたるの駐車場にワゴン車を止める。
「坊主はここで待っていてくれ。
悪さをする馬鹿が居るとは思わんが、連れて行くにはちと勇気がいる。
何かあったら無線で連絡を頼む」
近藤俊作とゲオルギー・リジコフが降りて、木更津方舟への橋の方に向かう。
警備員が二人のチェックをして通すと、残された三田守は暇になり海ほたるの展望デッキを歩く。
「俺、いらないんじゃね?」
自然と声が出た。
成り行きで近藤俊作たちに拾ってもらえたとはいえ、役に立っているかといえば疑問である。
こうして、危ない所についてゆけずに置いてきぼりをくらうと、そんな愚痴も出る訳で。
「そうかな?
『どんな人間にも三秒だけ世界は振り向いてくれる』そうですよ」
男の声に振り向くと、知らない男が海を眺めていた。
教えてもらった北都千春は神奈一門の高級娼婦だ。
きっと彼も彼女の客なのだろうと三田守は思ったが、口から出たのは感謝だった。
「いい言葉ですね。
俺は、その言葉に助けられました」
「ならば、貴方はきっと幸せなのでしょうね」
男はそんな事を言うけど、視線は海から、いや海の向こうの東京の街からそらさない。
海風が吹く中、その男の声は低くはっきりと聞こえた。
「ここからあの街を見ると、まるで幻のように見える」
男の口が笑みを作る。
その笑みは嘲笑のように見え、哀悼を隠そうとしているようにも三田守には見えた。
「俺にはよくわかりませんよ。
けど、あの街、こんな姿だったんですね」
男の視線が三田守を向けられるが、今度は三田守が海の方を見る。
彼は素直に男が評した幻に感動していた。
「紀伊の山中から上京した時は夜行で東京駅。
この街を海から見るなんて発想すらなかった」
「飛行機を使えばよかったのに?」
「高くてね。
夜行だと、格安で帰れるんだ。
その分きつかったから、なかなか故郷に帰れなくなってね」
「ああ。わかるなぁ。
俺の故郷は豊原でね。
帰るにもあそこは遠すぎる」
この木更津方舟の住人なのだろう。
三田守はそんなあたりをつけるが、雑談は続く。
「ここの住民なのですか?」
「まぁ、そんな所。
あの幻に幻滅し、現実というここを確認していた所さ」
「それでも、三年経てば自由ですよ。
あの街でも暮らせますよ」
「自由か。三秒にできないのかな?」
「それは世界に聞いてくださいよ」
「はは」
「あはは」
そんな他愛ないやり取りの後、男は時計を見る。
バス停の方には来るバスに乗るだろう客が集まっていた。
「そろそろ行かないと。ありがとう」
「どういたしまして。
こっちも暇つぶしができました。
貴方が三秒を使って世界を振り向かせられることを祈っていますよ」
男は笑ってバス停の方に向かって歩く。
男の最後の言葉が海風で聞こえない。
「でも、きっと俺はこの三秒を……」
こうして、三田守は男と別れる。
彼の最後の言葉を三田守はジオフロント最深部で思い出すことになるのを、彼はまだ知らない。
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「ここからあの街を見ると、まるで幻のように見える」
『機動警察パトレイバー2 the Movie』柘植行人のオマージュ。
正しくは、
「ここからだと、あの街が蜃気楼の様に見える。そう思わないか」
私の知っている東京は、『シティーハンター』や『パトレイバー』の東京だった。
実際に東京に行った時、モニターの向こうにあった東京が現実だったというあの衝撃は今でも思い出す。
夜行で東京駅
大垣夜行
青春18切符利用+24時前までの切符(24時間乗り放題だから22時出発だと2時間しか使えない)で格安で大垣まで行けるので、安く東京に行く手段だった。
なお、今は深夜バスや格安航空機によって姿を消すことになる。
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