富嶽放送競売 その1
敵対的買収によって経営権を掌握したアイアン・パートナーズは、最後の本命である桂華グループが名乗りを上げた事で、富嶽放送を売却する方針を固めた。
その売却手段というのは、競売である。
「オークションと言った方がまだお嬢様にはわかりやすいでしょうね」
九段下桂華タワー。特設本部。
この件の全権責任者となったアンジェラ・サリバンの顔はとてもイキイキとしている。
『金はいくらでもつぎ込んでいいからかっさらえ』というとても分かりやすいオーダーを出したのに、こうして私の所にやってきて説教交じりのレクチャーをするぐらい、今のアンジェラはウォール街の人間はこうだと言わんばかりにハッスルしていた。
「だから、札束でぶん殴れってわかりやすい命令出したのに何が不満なのよ?」
「それでは二流のやり方です。
ウォール街一流の流儀ではありません」
ウインクしながらアンジェラはホワイトボードにさらさらと言葉を日本語で書く。
ここで英語を書かないのはアンジェラ曰くの一流ウォール街の人間の片りんが見える。
「強欲であれ。正義であれ。スマートであれ。
敵対的買収はこの三つの言葉を守らないと絶対に失敗します」
「なんとなくイメージはわかるのだけど、アンジェラ先生。説明続けてくださいな」
一流の人間の一流の流儀というのは、聞いているだけでも面白いものがある。
私が促し、アンジェラはまず最初の『強欲であれ』を丸で囲った。
「『強欲であれ』。これ間違える人が多いのですが、己の欲だけを満たすのは二流です。
一流は相手の欲も満たしてこそです」
「言わんとすることは分かるけど、世の中大体己の欲を満たして終わっているわよ」
「それだと、敵対した相手から報復を受ける可能性があるんですよ。
勝ち逃げできるならともかく、決定的な敵を作ってはいけません。
最後は欲、つまり金で解決できるラインを絶対に敵と作らないといけないのです」
このあたりの話はウォール街というよりも、カンパニーの論理も入っているんじゃないかと思ったが黙って頷く私。
アンジェラは私の頷きを確認しながら話を続ける。
「欲というのは多くの人間の行動の根幹に位置します。
己の欲を肯定し、己の欲を制御した上で、自分を含めた多くの人間を幸せにしてあげてください」
「えらく難しい事言ってない?」
「あら、それをしている人たちも存在していますよ」
「誰よ。そんな凄い人?」
「民主主義国家の指導者たちです。
たとえ建前でも、彼らはその国の国民の多数の支持を受けて、彼らの幸福を追求しています。
凄い人たちなんですよ」
「うちの国、政治家の先生はメディアのおもちゃになっているんですけど?」
「私の国でもそうですよ。けど、メディアに映っていない所の凄さは覚えておいてください」
なんとなくだが、アンジェラや他の人の言葉や行動が変わったような気がする。
私を守るスタンスから、私が表に出る事を肯定するスタンスに。
それはいずれ来る私の表舞台デビューへの教育も兼ねているのだろう。
ゲームの桂華院瑠奈はついにそのデビューの日の目を見なかったのだが。
「つまり、何が言いたい訳?」
「あれもこれもと強欲になると大体意味不明になりますし、意味不明になってください。
トップの方針は最重要機密で、ここを抑えられると勝てる戦争も勝てなくなります」
「『言語明瞭、意味不明瞭』になれと?」
「その言葉が出てくるのでしたら、私の言わんとする理由も察して頂けるかと」
なお、メディアによって国民の多くに言葉が届くようになったこの国は、銀髪宰相のワンフレーズポリティクス全盛期である。
わかりやすく敵味方が識別されて、それゆえに明確に勝者と敗者が刻印されてゆくこの時期に、元米国諜報員の彼女が私の為に提示した権力者像が彼なのはなかなか面白いと思った。
「次の『正義であれ』って何?
上の言葉であやふやになった上での正義?」
「だからこそ、全組織を一丸とできる正義が必要なんです。
トップが何も言わなくても、その方向に向かう組織は強いですよ」
「この国が真珠湾でやらかしたように?」
「ええ。どこかの狂信者がツインタワーに突っ込んだ時のように」
本気モードのアンジェラはこういう会話にこういう切り返しをしてくるから楽しい。
同時に、上が意図的に方針を隠している時点で負けた際の責任逃れになっているのもポイントが高い。
「桂華グループは大きくなり過ぎました。
今まではお嬢様の一言で動けばよろしかったのですが、これからはお嬢様の一言ではなく桂華グループの意思でグループが動くようにしてゆく事が大事になってきます」
「つまり『ママ。お人形買って』と言うなら、買ってもらえる理由を提示しろと?」
「世間一般ではそれをアカウンタビリティ。株主への説明責任というのですよ。お嬢様」
桂華金融ホールディングスは上場した結果、株主への説明責任が発生する。
会計基準が時価会計に移行しつつある今、私のお金だからと言って気軽に引き出すという事がしにくくなっていた。
まだ裏道や裏技を行使すれば何とかなる程度ではあるが、それも私が大人になるにつれて塞がれてゆくのだろう。目の前にいるアンジェラによって。
「で『スマートであれ』か。
何をスマートにすればいいの?」
アンジェラは人差し指を横に振って、私の質問を遮った。
この仕草、実にビジネスウーマンらしくて様になっている。
「スマートであるためには、その定義を設定しなければなりません」
そう言ってアンジェラは『スマートであれ』の下に日本語でその単語を書いた。
「『ルール』の設定です」
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その国の多数の国民の支持
以外と見落とされているのが、上から50.1%の支持でも過半数という所。
これに経済格差だけでなく地方格差や他国だと民族格差や宗教格差まで入るから政治家は大変である。
このあたりの支持者のレイヤーについて語った本で面白かったのが『武器としての世論調査』(三春充希 ちくま新書 2019年)なので紹介しておく。
トップの方針は最重要機密
仮想戦記畑にいた私にとって、これでいつも思い出すのはゾルゲ事件の『日本南進を決意』の報告だったりする。
だからここをいじればというのが、この物語の一つだったり。
言語明瞭、意味不明瞭
竹下登総理の国会答弁を評して。
この経世会支配全盛期にアンジェラがこっちでキャリアを積んでいたのが背景に合ったりする。
「この国が真珠湾でやらかしたように?」
「ええ。どこかの狂信者がツインタワーに突っ込んだ時のように」
米国の対日観は9.11からイラク戦争での日本の米国オールインによって融和に切り替わっていった。
このあたりから『リメンバーパールハーバー』の掛け声が『テロへの戦い』へ米国内の言葉が切り替わってゆく。
この配当は東日本大震災のトモダチ作戦によって支払われ、日米安保の強靭化という形で世に出る事になる。
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