桂華金融ホールディングス上場記念式典 その周囲にて

『……以上。桂華金融ホールディングス上場式典の模様でした。

 この式典の裏では様々な抗議活動が起こっており、浜町公園では上場式典に反対するデモ隊が気勢を上げ、越中島公園や佃公園やあかつき公園のデモ隊からは逮捕者も出ております。

 また、一風変わった抗議活動も行われていました。

 〇〇記者です』


『はい。私は桂華グループの実質的本社となっている九段下桂華タワー前に来ています。

 ご覧ください。

 武器は持っていませんが盾を構えたメイドたちの前に威圧感をもって立っている装甲兵。

 その前で、仮面をつけた一団が謎の踊りを踊っています。

 彼らはマスコミ各社に向けて「我々は現在の政府に反省を促すために、やむを得ず一曲踊ることにした」と声明を発表しており、何かのイベントと勘違いした通行客が立ち止まり……あ、踊り終わってバラバラに去ってゆき、現場は大混雑しています。

 彼らの正体はフラッシュモブと呼ばれるパフォーマンスとみられており、警察および警備会社は背後関係を洗っているそうです』


『ありがとうございました。

 今日のコメンテーターは神戸総司教授です。よろしくお願いします』


『よろしくおねがいします』


『神戸教授。桂華金融ホールディングスの上場ですが、思った以上に抗議行動が発生していますね』


『ええ。政府主導の不良債権処理が一段落するという象徴であると同時に、政商であり財閥であり華族である桂華グループの肥大化に対しての反感の大きさというものを表しているのでしょう。

 この不良債権処理はもちろん国民の為に行われたのですが、特権階級が特権を行使して己の身を守らせただけでなく肥大化したという側面も否定できない所に、これらの反感があります』


『その割には、抗議活動が散発というか分散していましたね?』


『反感はあれども、それぞれの抗議ごとに特徴も違っています。

 浜町公園の抗議は警察及び自治体に申請を出し、炊き出し等を行った弱者救済としての側面が強く出ています。

 それに対して、越中島公園や佃公園やあかつき公園に集まったデモ隊は抗議活動が目的であり、兜町東京証券取引所で行われていた桂華金融ホールディングス上場式典の中止を狙い暴徒として警察や警備員が対処し衝突することになりました』


『では、九段下のデモ隊……失礼。パフォーマーについてはどういう理由があるのでしょうか?』


『九段下で集まったフラッシュモブですが、狭義の定義だと政治的な主張は含まれません。

 あくまで踊れる理由があり、踊れる場所があり、踊りたいと思った人間が自発的に集まった。

 そういうものなのですが、仮面をつけた事によって不特定多数という概念を得て方向性に変化が現れました』


『方向性の変化ですか?』


『このあたりは90年後半からの高度情報化社会にこの国が突入した事が大きいのですが、ネットにおいて匿名性という仮面をかぶり何かを発信するという意味に気づいて、それをパフォーマンスに昇華した人間が居ます。

 背後を探られず、その時の自分の思うがままの言葉を、行動を、仮面は担保してくれたのです。

 おそらく、今回の九段下のダンスは踊った人間と声明を出した人間、それを見ていた人間に関係性もなく、踊るという状況において集まり、去っていった。

 そういう関係の無さにこそ特徴があります』


『踊るというのも面白いですね』


『とはいえ、この方向は目新しい手法ではありません。

 近いところではインド独立の父であるマハトマ・ガンディー師や南アフリカのネルソン・マンデラ師が行った非暴力・不服従運動もこの方向性にあります。

 古代中国では歌というのがとても大事で、不平不満まで歌に残していました。

 そして、踊る場合に音楽は欠かせません。その感情の発露が見ている者を虜にし、さらに人々に伝播させてゆくのでしょう。

 人と人がつながって構成される社会において、この感情の伝播を時の為政者たちはとても恐れてきました。

 それに対する為政者の回答はその発信源を粛正して根絶する事だったのですが、先ほど言った仮面という匿名性がこの根絶を難しくさせます』


『なるほど。

 こういう抗議行動に違法性はあるのでしょうか?』


『この国においてはデモについては警察に申請する必要があり、公園などを利用する場合は管理する自治体の許可が必要になります。

 越中島公園や佃公園やあかつき公園に集まったデモ隊が暴徒として鎮圧されたのがわかりやすいですね。

 ですが、九段下のフラッシュモブたちは集まって一曲踊って去っていった訳で、道路使用などで法に違反するといえば違反するのでしょう。

 ただ、それをすると警察や警備会社が悪者になります』


『それはなぜでしょう?』


『「歌い踊る事が罪なのか?」「それは反省を促す政府の悪よりも悪なのか?」体制側が弾圧をした時点で、彼らの主張が正当化されてしまうからです。

 現在の恋住政権は年金未納と消えた年金という二つの問題で支持率が急落しており、その意味では彼らの「反省を促す」という主張は正しそうに聞こえます。

 本来、罪は罪であって大小の問題ではないのですが、特権階級がその特権を行使して肥え太っているように見える現状で、彼らを捕まえるという事で「痛いところを突かれたからだ」と周りに思わせてしまうのが狙いなのでしょう。

 非暴力不服従運動の戦略はここにあります。自分たちの正義を主張する為に、相手の暴力を誘発し大衆を味方につける。

 フラッシュモブが政治運動化する場合、この戦略はあながち間違いではありません』


『それに対して政府はどう対応するべきなのでしょうか?』


『一番簡単なのは、主張を受けいれる事でしょう。

 「反省を促す」なので反省すればいいんです。

 最悪手が弾圧でしょうが、それを多くの独裁国家がして体制が崩壊しています』


『ありがとうございました。

 続いてのニュースですが……』




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流行にはのってゆくスタイル

別名『これが使いたかっただけだろう』シリーズ


もちろん元ネタは『連邦に反省を促すダンス』。

https://dic.nicovideo.jp/id/5624647


フラッシュモブ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A2%E3%83%96


アノニマス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%82%B9_(%E9%9B%86%E5%9B%A3)


非暴力・不服従運動

https://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%83%BB%E4%B8%8D%E6%9C%8D%E5%BE%93%E9%81%8B%E5%8B%95-2129394


古代中国における歌の考察

 中国古代の歌の禁忌 富田美智江

https://core.ac.uk/download/pdf/230218711.pdf



 真面目に考えだして、上の言葉たちと映画『ジョーカー』が与えた考察とかを考えてたらパンクしたのでぶん投げることにした。

 なお、映画の元である『閃光のハサウェイ』の小説は90年代に出ている訳で、リアルがフィクションを飛び越えた一例なんだろうと感慨深く思ったり。



7/30 追記

 ハーメルンで連邦に反省を促すダンスの話を書いている先駆者の人がいて、許可をいただいたのてリンクを張らせていただきます。


偽マフティーとなってしまった。

  https://syosetu.org/novel/264447/

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