名古屋駅新幹線ホームのきしめん屋にて

 東海道新幹線名古屋駅。

 知る人ぞ知るきしめんのうまい店で男が二人きしめんを食していた。


「しっかし、桂華商会の副社長なんてどんな悪だくみでのし上がったんですか?」


「さあね。

 ごく普通のビジネスを心掛けているに過ぎないよ。

 恩を忘れない、困っている人を助ける、成功は部下の功績、失敗は私の責任。

 簡単な事だ」


 見た目は上司と部下だが、正しくは元上司と元部下である。

 天満橋は経営統合によってできた桂華商会の副社長に出世して、男の方は旧帝商石井の社員で複雑怪奇な経営統合作業に巻き込まれて現在宙ぶらりん状態になっていた。


「その簡単な事ができないのがこの世の中というものなんですがねぇ……

 わざわざこうして人目を避けて名古屋まで来てきしめんを食べる事になろうとは……」


「仕方ないだろう。

 今、私の所でまだ所属が固まらない人間が君しかいなかった。

 食べながらでいい。報告を聞こうか」


 総合商社に成り上った桂華商会副社長ともなれば、派閥を率いていない訳がない。

 そんな自分の手駒の一人を秘密裏に動かして探らせていたのは、あるビジネスの後始末だった。


「ご推察の通りですよ。

 現在、旧赤松商事資源管理部が管理していたウズベキスタンとタジキスタンのネットワークは、ほぼ機能していません。

 元々がアフガニスタン侵攻の拠点として目をつけたのと、管理していた岡崎祐一桂華資源開発社長が湾岸方面に回された事、そして米軍の目線がイラクに向いた事でビジネスの重要度は低下しており、一部には撤退意見も出ている模様です」


 9.11同時多発テロ事件の報復として始められたアフガニスタンへの侵攻は、北部のウズベキスタンとタジキスタンに拠点を作る事から始まった。

 その拠点構築を見据えて現地にネットワークを構築した赤松商事資源管理部はアフガニスタンへの米軍の物流の下請けで今でも収益をあげていたが、両国の合弁先となるロシア企業との交渉が思うように進んでいないのが実情で、特にロシア国内のオリガルヒの粛清と経営統廃合が原因で話すら始まっていない始末。

 今となっては、ロシアとの合弁はアフガニスタン侵攻の為の物流構築のカモフラージュというのがバレつつあり、その米国の視線がイラクに向かっているのならば儲けが出ている内に手じまいをというのは悪くない話である。


「少数運営のつけですね。

 桂華資源開発、いや、ムーンライトファンドは元がお嬢様と一条桂華金融ホールディングスCEOや橘桂華鉄道会長で始めた金融部門がスタートで、桂華商会の藤堂社長や岡崎社長の個人商店状態でした。

 仕切りができる頭が居ないんですよ」


「だから私が付け込めたのだけどね」


 それを隠そうともせずに堂々と言うから敵も作るが味方も作る。

 男はそれで味方になった人間の一人だった。

 総合商社のビジネスであるネットワークはつまるところコネである。

 会社内だけでなく現地にまでも有力なコネを構築して何でも屋として働き口銭を取る。

 その為、世界各地にジャパニーズビジネスマンが闊歩していた時期が確かにあったのだ。


「気に入らんな」

「何がです?」


 平日昼間の名古屋駅の新幹線ホームのきしめん屋。

 入れ替わり立ち代わりビジネスマンがきしめんをすすりながら出てゆくのにこの二人はゆっくりときしめんを味わっていた。


「嘘はいかんよ。嘘は。

 合弁とはいえやると言ったんだ。

 だったら、しなければな」


「副社長の事だから、そういうと思っていましたよ。

 一応素案を作っておきました。

 桂華単独、しかもお嬢様決裁なしではさすがにきついですね。

 組むとしたらアルミニウム精練は岩崎マテリアル、発電事業は岩崎商事と組む事を想定しています」


 桂華グルーブを支配する桂華院公爵家と岩崎財閥を支配する岩崎一族は血縁関係にある。

 コネというのはこういう時に発揮される。


「岩崎を動かすという事はODAも投入して現地政府とも手を組む計算になるな?」


「ですね。

 個々に投入するよりアフガニスタン復興支援事業の一環として、大々的にPRした方が金は落としやすくなります」


 ODAこと政府開発援助は金を外国にばらまくのが目的ではない。

 ばらまいた金を回収するところまでがセットであり、その役割を担うのが総合商社である。

 現地とのコネで何でも屋として働き、金を回収するだけでなく、資源や商品を日本に持ち込む総合商社は貿易国家日本の主役と言えよう。


「タジキスタンのアルミの精錬とウズベキスタンの天然ガスを使った発電事業に共通するのは電気だ。

 で、国がめちゃくちゃになっているアフガニスタンは、発電だけでなく送電網が決定的に崩壊している。

 その立て直しから始めるか」


「表向きの美談はそれでいいと思いますよ。

 そこから儲けをどうやって出すかですが、案が二つあります。

 天然ガスと綿花です」


 総合商社の源流は綿花である所が多い。

 複数の総合商社の経営統合によってできた桂華商会も綿花を扱う繊維部門を抱えていた。

 そして天然ガスは今の桂華商会の一番の稼ぎ頭である資源部門、桂華資源開発の担当だった。


「綿花については両国とも主要産業になっていますから、うまくやればトントンぐらいの収支に持っていけるでしょう。

 最悪、儲けは天然ガスに任せて採算度外視でも構わないと思っています」


「現地雇用。

 どこもそうだが、最後に問題になるのはそこだな」


 天満橋副社長が懐かしそうに呟く。

 食えなくなった農家がゲリラ化するならまだいい方で、麻薬栽培に切り替えて大々的にばら撒くなんて事をし出したら目も当てられない。

 ……アフガニスタンの事である。

 

「天然ガスは魅力ですが、運び先がロシア経由なので、確実にカザフスタンとロシアのパイプラインを使う、つまり管理しているロシア企業に使用料を払わないといけないので悩ましい所です」


 天満橋副社長がきしめんを食べ終えて資料の地図を眺める。

 桂華グループはロシアとの関係は良好ではあるが、それがいつ急変してもおかしくないということは、総合商社で世界各地の戦乱を体験した天満橋副社長には痛いほどわかっていた。


「ロシアに近すぎるのはあまり良くないな。

 少し保険をかけておくか。

 今、君以外に手の空いている連中は何人いる?」


「副社長の声掛けなら、全員集まりますよ。

 資源開発の連中に喧嘩を吹っ掛けますか?」


 男が腕まくりするのを天満橋副社長が苦笑で押しとどめる。

 彼の元部下たちは、経営統合作業中のそれぞれの部署で要職につきつつあった。

 彼が推した訳でなく実力で。

 そんな彼らをまた引っ張り出す事を天満橋は好まない。


「喧嘩はいかんよ。喧嘩は。

 あくまで暇でまだ行き場が決まっていない人間だけ集めておいてくれ。

 政府と岩崎に利を回すのを忘れずに、お嬢様にはまだ目の届かない先にも世界がある事を教え、我々は少しの利と恩だけ頂く事にしよう」


 そう言った天満橋副社長は男の肩をぽんと叩く。

 とてもいい笑顔で。


「という訳で、君。出世な。

 君が期待と信頼を裏切らない人間であるとこの件でよく分かった。

 がんばりたまえ」


「一応お聞きしますが、何を考えておられるので?」


 男が引き気味に尋ねる。

 こういう時の天満橋副社長の仕掛けに間違いは無いが、ほぼ確実に修羅場になる事が分かっていたからだ。

 天満橋副社長は資料を鞄に入れて、東京行の新幹線ホームに立って笑った。


「いい事に決まっているじゃないか」




 数日後。

 日本政府・ウズベキスタン・カザフスタン・タジキスタン・キルギスの政府と桂華商会と岩崎商事の合同記者会見が開かれ、ODAによるアフガニスタン送電支援プロジェクトとアラル海再生プロジェクトが発表。

 後に参加各国の政治体制と弾圧を理由に欧米人権団体から抗議が来たが、『我々人間が無茶苦茶にして百年は戻らないと言われるアラル海再生プロジェクトをその人権で止めるのか?』との反撃に口をつぐむ事になった。




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名古屋駅のきしめん

【検証】名古屋駅の新幹線ホームで食べるきしめんがサイコーにウマい説、ホントのところどうなんだ? https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/masaki-nagaya/18-00159 #メシ通

実際に食べた事があるが、本当に美味かった。


アラル海

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%AB%E6%B5%B7

 小学生の時に見た地図だと丸かったんだよ。これ。

 現在は少しずつ経済状況が良くなっている事もあってか改善に向かっているらしい。

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