ソチから見たバラ革命

 ソチ。

 黒海沿岸の都市で古くはソ連時代から、今でもロシア有数の観光地としても知られている。

 そんな冬のソチの別荘地でアニーシャ・エゴロワは休暇と称してホテルのバーでお酒を堪能していた。


「こういうホテルを利用すると、かつての祖国が何故負けたのか思い知るわね。久しぶり。アニーシャ」

「まったくね。何しろ盗聴の心配もあまりしなくていいし。懐かしき友人さん」


「再会を祝して」

「同じく」


 かくして乾杯の後に彼女たちは本題に入る。

 アニーシャがここに来たのは少なくとも休暇目的ではない。


「で、極東でお嬢様のお世話をしている一介のメイドをわざわざこんな所にまで呼びつけて、何をさせたいのかしら?」


 酒の軽口でアニーシャが切り込むが、相手は乗ってこずに重たい口を開いた。

 それだけやばい話という訳だ。


「アニーシャ。お隣の騒動、どこまで掴んでる?」


「極東からだと当たり障りのない程度しか」


 隣というのはここソチから少し離れた所にあるグルジア共和国の事で、現在反政府運動で大統領が辞任に追い込まれ、その後の選挙で民族主義の政治家が有利に戦いを進めていた。

 このままでは彼が大統領になるだろう。


「背後の米国の動きについては?」


「テロとの戦いにおいては一致しているはずだけど、こっちでは裏庭に手を出してきた訳か」


 アニーシャがグラスをあおる。

 超大国というのはこうだと分かっていたが、下っ端からすると飲まないとやってられない。


「奴ら、チェチェンゲリラがイラクに行く事を恐れているわ。

 グルジアを通るパイプラインの件もあったから、その時に浸透されたのかもとこっちは考えている」


 このパイプラインはバクー・トビリシ・ジェイハンパイプラインと呼ばれており、カスピ海の天然ガスをアゼルバイジャン・グルジア・トルコの三か国を通り運ぶパイプラインで、ロシアを通っていないのが最大のポイントだった。

 このパイプラインの工事は欧米資本によって今でも進んでいた。

 なお、グルジアの北側国境であるカフカス山脈の向こう側にチェチェン共和国がある。


「まぁ、グルジアの前大統領を穏便に引きずりおろしたのにはうちも絡んだけどね。

 問題は、彼がソ連の元外相でソ連の権威が否定されてグルジアの民族主義が勃興しているという所。

 米国は相変わらず選挙でしか物が見れない!

 民族主義にかつてのソ連がどれだけ気を使ったのか、それでもソ連は崩壊したという歴史を学ぼうともしない!!」


「学んでいたら、あの国に9.11なんて起きなかったでしょうに」


 アニーシャの突っ込みはキレキレである。

 なお、イスラム武装勢力の源流の一つが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗するように組織され、それが湾岸戦争後に反米に転じたものだとこの二人は知っているからこそのやり取りである。

 だからこそ、アニーシャの旧友の笑みに影がちらつく。


「アニーシャ。この騒動は間違いなく周辺国に波及するわよ。

 ベルリンの壁崩壊の国々みたいに」


「祖国を守っていた外壁はあの時崩され、今回グルジアという内壁が崩された。

 どこまで広がるのやら……」


 黄昏るアニーシャだが、目は酔っていない。

 現実と最悪の可能性が彼女を酔いに逃がさない。


「民族主義に対抗するには、歴史のある大いなる権威しかないわ。

 その上でまとまっておかないと、西側に食い物にされるわよ」


「……なんとなく読めてきたわ。

 あなた、お嬢様がその権威の蓋になるのを恐れているのね?」


「だったらまだましよ。

 アニーシャ。あなたのお嬢様がツァリーツァになるならば、祖国もまだ歓迎するでしょうね。

 今、一番上が恐れているのは、そのお嬢様を搔っ攫われる事よ」


 アニーシャはその結論に理解が及ぶや、思わずグラスを乱暴にテーブルに叩きつけた。幸い空になっていたグラスは割れず、しかし甲高く音を立てた。


「まさかルーシ!?

 ウクライナの連中、そこまで頭が酔っ払ったの!?」


「EUの拡大がウクライナの連中に夢を見させた。

 ある意味私たちに近かったセルビアが、NATOにどれだけ痛い目に合わされたと思う?」


 EUの拡大はロシアの想定以上に進んでいた。

 来年の2004年には、チェコ、エストニア、キプロス、ラトビア、リトアニア、ハンガリー、マルタ、ポーランド、スロヴェニア、スロヴァキアの10カ国が加盟する予定だ。そしてNATOは1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーの三か国が加盟しており、2004年にはスロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニアの七か国も加盟する事になっていた。

 もはや、ロシアを守る外壁は存在しておらず、内壁であるグルジアは今まさに崩されようとしていた。

 その動揺をウクライナは見ていた。

 内部のロシア人とウクライナ人の対立を抱えながら。


「アニーシャ。

 私はさっき言ったわよ。『米国は選挙でしか物が見れない』って。

 ウクライナの馬鹿どもが民族主義を選挙で隠して歴史からルーシを引っ張り出してきた時、米国は、日本はあのお嬢様を守り切れるの?」


 アニーシャは答えなかったし、旧友も答えを求めていなかった。

 とはいえ、こういう話をしたという事はそれ相応の代価は必要な訳で。


「で、何が望みな訳?」


「あら?

 古今東西こういう話の代金ってお金でしょう?

 アニーシャ。

 上はここで五輪を開きたいみたいよ」


「なるほど。その金を出せと来たか。

 払うならば、今の話では足りないわよ」


 旧友はあっさりと手札を、切り札を晒す。

 それは彼女がロシア大統領から直で渡された切り札である。


「『立憲君主国としてロシア帝国を再興させる』。

 大統領はそこまで言い切ったわよ」


 言うべきことは言い、聞くべきことは聞いた。

 そこから先の決断はアニーシャではない。


「ごちそうさま。悪酔いしそうだけど、伝えておくわ」


「ええ。アニーシャ。状況はどんどん動いているわ。

 誰にその言葉を伝えるか、あなたならば間違えないでしょう?」




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バラ革命

 2003年グルジアで発生した革命はカラー革命として周辺国に拡大した。


ソチ

 2014年冬季五輪が開催される。

 なお、その決定の総会は2007年。


グルジアの前大統領

 エドゥアルド・シェワルナゼ。

 ソ連外相からソ連崩壊後に故郷グルジア大統領に就任して現実路線を主導するが、民族主義の勃興と米露両面に良い顔を売って双方から失望された結果、バラ革命にて大統領を追われることになる。


バクー・トビリシ・ジェイハンパイプライン

 wikiぺたり。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3


 出資を見ると日本企業も5.9%出資している。


ルーシ

 いろいろ意味があるけど、ここではこれをペタリ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A8%E3%83%95%E5%A4%A7%E5%85%AC%E5%9B%BD

 これがお嬢様バッドエンドルートの背景である。

 ここからのカラー革命がお嬢様の血筋にクリティカルに刺さるんだよ……

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