天満橋副社長案件 ヨルダン総合開発計画
お嬢様こと桂華院瑠奈が恋住総理によって『人殺しは駄目』と叱られて引っ込められたとしても、彼女の指摘とその解決策は日本の国益として生き続けた。
恋住総理が名と功績を横取りしたという見方はある意味正しく、それゆえに横取りした詫びを恋住総理は内々に提示し、桂華グループはそれに乗った。
その詫びの桂華グループ担当者が岡崎祐一桂華資源開発社長でなく天満橋満桂華商会副社長なのは、岡崎が持っていないものを天満橋が持っていたからに他ならない。
中東のコネである。
「……トランス・イスラエル・パイプラインの権益20%掻っ攫ってくるってどんな魔法使ったんだ?
あのおっさん……」
ムーンライトファンドのオフィスで岡崎がぼやく。
トランス・イスラエル・パイプラインとは、紅海のアカバ湾から地中海まで伸びるイスラエルの石油パイプラインで、元々はイラン産の原油をイスラエルや欧州へ輸送するために建設されたものである。
その計画はイラン革命によって頓挫したのだが、2003年にロシアとの合意によってタンカーで運ばれたロシア産原油をアジア・アフリカ諸国に輸出する目的でこのパイプラインを使う事が発表されたのである。
物流のボトルネックであるスエズ運河を使わなくていいので、採算性は高いと目されていた。
その計画を進める為の費用を出す代わりに、権益の20%を得るという取引合意が桂華商会からプレスリリースされた時、桂華資源開発が絡んでいなかった事から取材に対して「ノーコメント」と答えざるを得なかった笑い話がさっき発生したばかりである。
ムーンライトファンドこと桂華資源開発はロシア国債を引き受けて、その代金として格安で得たロシアの原油やガスを欧州に売り、その金で中東の原油やガスを買って国内に運んで売る事で莫大な利益を上げている。
つまりこの権益は表向き美味しい話なのでもろ手を挙げて歓迎する話なのである。
当事者がまったく絡んでいなかったという事を除くのならば。
「あの話、外務省が主導したそうですよ」
「あの外務省が仕事する訳ないだろう。
多分官邸が動いている。
でないと、この案件にODAがつく訳がない」
船上庄忍のボヤキに岡崎がつっこむ。
このプロジェクトそのものではなく、それに派生するプロジェクトにODAこと政府開発援助がつけられていた。
このパイプラインの紅海側の出口であるイスラエルの都市エイラートだが、その隣にヨルダンのアカバがある。
この両都市をパイプラインで繋ぐ事業に政府開発援助がつけられたのである。
中東戦争の因縁もあってイスラエルとヨルダンの仲は良くはないが、中東諸国の中ではめずらしく外交関係を樹立している仲だったりする。
日本政府が仲介したのだろうが、それでこの両国間のパイプライン建設にGOサインが出るなんてと気づいた岡崎が船上庄忍に言う。
「おい。今回発表されたヨルダンへの政府開発援助の一覧を全部持ってこい!」
「既にこちらに」
このぐらいの機転と才能がないと、この場所に居る事は出来ない。
ここはモザイク細工の桂華グループの成り上がり野心家たちの巣でもあるのだ。
「……こいつだ!
アカバから首都アンマンに向けての鉄道建設事業支援……」
岡崎が察しない訳がない。
お嬢様こと桂華院瑠奈が目指していた『バクダット発エルサレム行き』という中東問題最終解決策を誰かが引き継いだ事を。
「総理の嫌がらせですか?」
「だったら、こういう形であの狸親父を絡ませたりしないよ」
船上庄忍の質問に岡崎がぼやく。
この手の話は、一番利を持つ人間が犯人になりやすい。
恋住総理?いや違う。ここまでする割には詫びという形でこちらに配慮している。
天満橋副社長?これも違う。この話は下手すればお嬢様が激怒する案件であり、お嬢様に抜擢された彼がそれを行うリスクを理解していない訳がない。
となれば、最大の受益者が犯人となる。
「イスラエル政府か。
そりゃ、喉から手が出るほど魅力的だよな。彼らからすると」
湾岸戦争から9.11にかけて、イスラム教原理主義勢力は『世界の敵』となった。
それに悩まされ続けたイスラエルにとっては、米国の力で大手を振って彼らを殲滅できるこのチャンスに、その殲滅の最上手を放棄する訳がない。
何しろヨルダンの経済的安定はそこにいるパレスチナ難民の救済に繋がり、パレスチナ過激派というテロリストが出にくくなる事を意味する上に、宗教的に手を差し伸べたくない怨敵を他人の金で助けるという至れり尽くせりの案なのだから。
「あの人、中東戦争の時に色々やっていたそうですよ」
船上庄忍の一言で最後のピースがハマる。
中東にせよ、イスラエルにせよ、その内幕は強烈なコネ社会だ。
そのコネの本質は『恩と怨』な訳で、よほど強力な『恩』を売ったなと察するぐらいの事は岡崎にもできた。
「ちょっと中東に行ってくる。
数日で戻るが、その間にあのおっさんが来たら好き勝手してもらってくれと言っておいてくれ」
「わかりましたが、何をしに行かれるので?」
「やられっぱなしのは嫌だろう?
あのおっさんの根回しに行ってくる」
「せめて、その根回しが何なのかぐらいは言ってくれると嬉しいんですが」
第三者の声が聞こえたのはその第三者がドアを開けてからだった。
多分出待ちしていたなと二人は察するが、それを指摘するほど野暮でもなかった。
「トランス・アラビアンパイプラインとヒジャーズ鉄道の復活。
わてはイスラエルと仲が良すぎて、そっちは手つかずや。
がんばりや」
「……本当にこの人は……。
では、行ってまいります」
苦々しいというより呆れた顔で岡崎が天満橋の隣を通って部屋を出ていく。
残された船上庄忍にジト目で睨まれた天満橋は、その笑みを崩さず、しかし目は笑っていなかった。
「怖い顔をしなさんな。
ここに来たんは、ゴミ箱に捨てられとる物を拾いに来ただけやさかい」
「ゴミ箱?」
そのままゴミ箱を見てしまった生まれと根はいいらしい船上庄忍に天満橋は本当に微笑む。
見た目はただの中年サラリーマンにしか見えないのが天満橋の武器でもあった。
「そっち見てどないするんや。
嬢ちゃんも放り出したままのカリフォルニア州の淡水化事業の件や」
「あれ進めるんですか!?」
カリフォルニアの淡水化事業は、提携相手のゼネラル・エネルギー・オンラインが破綻後宙に浮いたままだった。
おまけに、カリフォルニア州に本拠がある総合建設多国籍企業がある事で、進めるならば絶対ちょっかいをかけてくると判断してお嬢様も岡崎も全く進める気がなかった案件だったりする。
「中東って土地はな、欧州の縄張りやから向こうに仁義を切っとかなあかんのや。
アメさんはイギリスに欧州を任せとるからフランスを怒らせる。
せやからウチがフランスの怒りの矛先を用意してやろうおもてな」
英国三枚舌外交の典型例として受験生に良く出される、サイクス・ピコ協定の当事国の一つがフランスである。
その為か、トランス・アラビアンパイプラインの地中海側出口だったレバノンには、フランスの影響力が結構残っていた。
「フランスの顔を立てつつ、アメさんの怒りを買わんような嫌がらせを用意する。
もちろん、アメさんにも我慢してもらう程度の根回しはやらんとあかんけどな」
「嫌がらせで淡水化事業って……」
絶句する船上庄忍だが、天満橋はにべもない。
先に挙げた英国三枚舌外交のサイクス・ピコ協定だけでなく、フサイン=マクマホン協定、バルフォア宣言と合わせて現在のパレスチナ問題の現況を作り出したのだから。
なお、仏国は第二次大戦後に英国と組んで第二次中東戦争ことスエズ動乱に絡んだりしているので、米国と英国及び当時者である中東・湾岸諸国と同じぐらい無視してはいけない国だったりする。
「捨てられとるもんなら、拾って使ても怒られへんやろ。
これをやりたがっとる人がおってな。
まぁ、迷惑はかけんよって持ってきてくれへんか?」
その後、欧州とイスラエルの企業の合弁によるカリフォルニア州の淡水化事業が発表され、元俳優のカリフォルニア州知事がいい笑顔で支持率を上げているのを船上庄忍はお嬢様と共に見る事になる。
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天満橋のおっさんの狸ぶりが光る
Wikipediaぺたり
トランス・イスラエル・パイプライン(英語注意)
https://en.wikipedia.org/wiki/Trans-Israel_pipeline
トランス・アラビアンパイプライン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
ヒジャーズ鉄道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BA%E9%89%84%E9%81%93
天満橋の狙いは、トランス・アラビアンパイプラインをヨルダンで南下させてアカバにおろし、トランス・イスラエル・パイプラインを繋げて地中海と紅海と湾岸の往復パイプラインを作り出す事であり、米国とイスラエルと湾岸諸国の利害が一致する仕掛けでもある。
カリフォルニア州淡水化事業を拾った企業
トランス・イスラエル・パイプラインの地中海側出口のアシュケロンを見ていたらそこの淡水化事業が2005年にできるらしく……イスラエルはともかく仏企業が絡んでいてね。
なお、カリフォルニア州の某企業はイラク復興事業を6.8億ドルで請け負ったばかり。
イラク戦争における米仏のギスギスぶりを知って振ったら乗ったという感じ。
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