文化祭 中等部編 二日目

 二日目。雨。

 夜から降った雨はしとしと降り続いていた。

 そのせいもあって屋外展示より室内展示の方に客が多く入っている。


「遊びに来たわよ」

「昨日ぶりだが今日は少し空いてるな」

「いらっしゃい。

 栄一くんに桂華院さん」


 二日目お昼。

 クラスのみんなへの差し入れという事で、裕次郎くんのいる剣道部の焼きそば屋に出向く。

 客はそこそこいるが、雨のせいで昨日よりは少ない。


「たしか昨日頼んだ注文だと、焼きそば八つだよね。

 四個四個で袋に入れたので持って行ってよ。

 お代は、一つ400円なんで3200円」


「はいはい。領収書おねがいね」


 焼きそばが入れられた袋を持つ。

 ソースの香ばしい匂いが鼻をくすぐるが、隣で作っている高橋さんの焼きそばを眺めて一言。


「あれ?

 具、多くない?」


「桂華院さん。

 それ営業妨害。

 泉川くん。

 先上がっていいわよ」


「ん。わかった。

 じゃあ、一緒に戻ろうか」


 そして、栄一くんと裕次郎君が焼きそばの袋を持ったので、私は見事にてぶらとなる。

 じっと手を見つめて一言。


「よし。何か買おう」

「太ってもしらんぞ」


 固まった私を男子二人は放置したので慌てて追いかける事になった。

 この恨みはどこかで晴らしてやる……


「「「かんぱーい!」」」


 バックヤードで残った人間たちによる宴会が始まる。

 昼間なので昼シフトが働いているのにというが、ちょくちょくジュースと菓子パンを取りに戻るので、そんな人たちも戻った時に一口二口つまんで戻ってゆくという訳だ。

 なお、買ったのは、焼きそば8人前とお好み焼き4人前とタコ焼き4人前である。

 さらにクレープに、ホットドックに、から揚げに、フライドポテト。

 バックヤードからの美味しそうな匂いが廊下にまであふれてくる。


「うま……うま……」

「瑠奈は日ごろ美味しいもの食べているのに、本当に美味しそうに食べるな」

「あら?

 常日頃、食べ物には手を合わせて感謝している私ですよ。

 美味しくいただくのは当然でしょう?」

「桂華院さんのそういう姿勢は僕は嫌いじゃないな」

「俺もだ。

 当人を前に失礼だが、良い意味で庶民的なんだよな」


 何よりもみんなで食べるご飯が美味しくない訳がない。

 ついでに言うと、できたての食事がまずい訳がない。

 

「……あ。そろそろごみ回収の時間か。

 相方はまだ戻ってないみたいだが、ちょっと行ってくる」


「待って。

 私も手伝うわ」


 食べ終えた光也くんが立ち上がってごみ袋を手に持ったので、私も慌ててついてゆく。

 美化委員会との契約ではこの校舎の一年部分の全てのゴミ箱の点検と回収なのだが、お昼という事もあって結構ゴミが多い。

 という訳で、二人とも両手にゴミ袋をもってダストボックスに向かう事になる。


「桂華院はこういう裏方の仕事は断らないな」


「まぁね。

 上に立っているから、こういう事を忘れないようにって大事だと思うのよ。

 ちなみに、それを教えてくれたのが桂華金融ホールディングスの一条CEO」


「あの人か。

 父の知り合いで、金融系の人はそれなりに見るけど、どうも違う感じがしていたんだよな」


「それはそうよ。

 元は第二地銀の極東銀行の東京支店長だから、現場のドサ回りをやり切って上がった人です……きゃっ!」


 ばしゃっ!

 ふいのフラッシュに目を閉じるが前に光也くんが出て私を庇う。

 パパラッチらしい。


「申し訳ないが、この場での撮影はご遠慮願いたい」


 即座に二枚目を撮ろうとするパパラッチに光也くんが英語で警告する。

 同時に、うちの警備員がパパラッチを捕まえてフィルムを没収して事務所に連れてゆく。


「申し訳ございません。お嬢様」

「いいわよ。

 これは許容リスクです。処罰はしないように」


 今日の警護担当だったアニーシャ・エゴロワが頭を下げるが、私は気にしないでという形で手を振る。

 公爵令嬢ともなるとゴミ捨てすらやりにくいからこそ、そういう事ができる今がとても愛おしい。


「うわ!

 桂華院瑠奈と警備員さんだ!!」

「警備員さんも美人だなー」

「警備員さんの写真お願いできないかな……」


「あれは?」

「無視の方向で」

「本当に桂華院も大変だな……」




 17時。

 喫茶店はそろそろ終わるころだが、片付けてこっちに来るのはギリギリの時間だろうか。

 そんな事を考えている私は楽屋で衣装相手に格闘していた。


「なんというか……違和感あるわよね」


 歌うのはオペラ『蝶々夫人』の有名曲である『ある晴れた日に』。

 蝶々夫人が日本人なので、この曲を歌う場合和服というか花魁衣装でというしゃれっ気が格闘理由である。

 お、重たい……

 ガチ装備で20キロ。さすがにそれはという事で色々省いた結果でも4-5キロの重さで金髪花魁が爆誕である。


「うわぁ……桂華院さん。凄いですわ」

「うん。これは綺麗だわ」

「舞台楽しみにしていますね」


 楽屋に応援に来てくれた栗森志津香さんと待宵早苗さんと朝霧薫さんが褒めるのだが、『蝶々夫人』悲劇なんだよなぁ。

 物語そのものを知ると色々と感情が。が。

 薫さんが髪飾りを褒める。


「けど、この着物に髪飾りは素晴らしいですわね」

「それはまぁ、とある筋からの提供がありまして。はい」


 そのとある筋の提供者とは、佳子さんと神奈水樹の師匠である神奈世羅である。

 なお、この二人後で知ったが、顔見知りらしい。

 両者とも極上の夜の蝶だったのでこの手の衣装はちゃんと持っていたらしい。

 というわけで、ガチ衣装でガチメンバーの『ある晴れた日に』の公演はその筋の音楽関係者が我も我もとチケットを奪い合い、出てきたダフ屋が警備に来た警護係の警官に捕まるなんて笑い話が。

 衣装の箱に置かれたままの小箱を栗森さんが見つける。


「これは何ですの?」


「小刀。

 つけて出る事もないから、おいてゆくけど、これも本物なのよ」


 スタッフが待合室に入って私を呼ぶ。


「すいません。

 そろそろ時間です」


「はい。

 じゃあ、舞台楽しんでいってね」


 そう言って、私は舞台の方に向けて歩く。

 『蝶々夫人』の最後は悲しいもので、最後蝶々夫人はその刀を己に刺して命を絶つのだ。

 桂華院瑠奈となってこの『蝶々夫人』を原作から確認して、出てきた感情が不意に零れた。


「あなたは良かったわね。蝶々夫人。

 自らの意思でちゃんと死ねたじゃない……」


 多分桂華院瑠奈はそれすら与えられなかったのだから。

 その憐憫と郷愁を歌声に乗せて、彼女を弔おう。

 蝶々夫人のために。桂華院瑠奈のために。


 幕が上がる。

 たくさんの観客の拍手の後、私は歌いだした。




────────────────────────────────


『蝶々夫人』の超簡単なあらすじ。

 米海軍士官が日本人現地妻との間に子供を作ったけど、帰った本国で結婚していた海軍士官は本妻を連れてきて別れを切り出す。

 そして蝶々夫人は子供を士官夫婦に渡して命を絶つ。


 実にクズだなぁと思った貴方は森鴎外の『舞姫』を読んでみよう。

 古今東西男ってクズだなぁとつくづく思い知る。

 なお、『舞姫』が出たのが1890年。『蝶々夫人』の小説が1898年で、1904年初演。

 時代を把握する為に歴史イベントを置くと日清戦争が1894-95年。日露戦争が1904-05年。

 日本が欧米列強に追い付けとばかりに富国強兵に邁進していた時代である。

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