ある警官たちの宴席
「おぅ。先に始めさせてもらっているぞ」
「お久しぶりです。先輩」
「こっちは連日泊まり込みってのに暢気なもんだ。
とりあえずビール」
都内某所の酒場。
穴場みたいな場所は再開発でどんどん消えていったが、だからといって残ってやっている店もある訳で。
そういう店は常連が強かったりするのだが、ここはそういう店の一つである。
何よりもやばい話をしても問題がないという所がすばらしい。
そういう警察御用達の店の奥の一室、前藤正一警視、夏目賢太郎警部と小野健一警部の三人で酒と食事を前に話が盛り上がる。
前藤警視と夏目警部がキャリア組の先輩と後輩、小野警部がノンキャリで前藤警視の現場指導をしていた縁で夏目警部を預けたという関係である。
「まぁ、内々の話ですが、小野さんの警視昇進と麹町警察署副署長は決まりです。
代わりに、夏目が九段下の交番に入る事になっています」
「二枚目の始末書が痛かったですね。
とりあえず、現場で一回休みという所でしょうか」
「まったく、退職前に副署長ねぇ……お嬢様さまさまと言うべきか」
春の人事が基本こうやって冬までに内示されるのは、色々な人間関係の処理をしておけという裏返しでもある。
キャリア組は出世のためにはそれこそ一つのミスも許されないのだが、大体のやらかしはこの異動時の人間関係によく出る。
「で、それぞれの椅子を用意した前藤はどこに行く事になったんだ?」
「外事第三課管理官のままだが、出向という形で日米露の樺太疑獄合同対策チームですね。
樺太道警の内部粛清具合次第ですが、樺太道警監察官として出向くかもしれません。
そうなると数年は向こうでしょうから、二人の人事に絡める今のうちに場所を用意しておいたという訳です」
ノンキャリの小野警部の警視昇進と麹町警察署副署長はキャリアの実質的な終点である。
別名お嬢様対策係で、お嬢様が何かやらかした場合頭を下げるのは彼という訳だ。
伏見稲荷失踪事件や成田空港テロ未遂事件などあのお嬢様のトラブルで、これ以上のキャリアに始末書の傷をつけるのはまずいという事での貧乏くじを小野警部はありがたく受け取った。
最終的には退職前に署長として終わる事になるだろう。
「華族とコネが作れる警護係は美味しいとは思うのですが、僕みたいなケースが続出したらキャリア連中がやりたがりませんよ。
一回休みで九段下でしばらくはお嬢様と遊ぶとして、警護係の後任は?」
「何人か声をかけたが、しり込みして逃げてった。
俺の知り合いのノンキャリあたりから声をかける事になるから、もうしばらくかかるだろうな」
始末書二枚で一回休みを言い渡された夏目警部はそれを気にすることなく酒をあおり、小野警部が肴をつまみながら返事を返し、前藤警視はそんな二人を見て苦笑するしかない。
キャリアらしからぬ飄々とした雰囲気の夏目警部を前藤警視と小野警部は決して嫌ってはいなかった。
「あれだろ?
警護係は大規模な増員をすると同時に米国から研修生を受け入れるって話だろ?」
「ああ。
その研修生ってのは名目上で実態は向こうのシークレットサービス。
成田空港テロ未遂事件がよほど堪えたらしいな」
「あれで始末書書いた僕の身にもなってくださいよ」
茶化しながら三人の話は酒と共に進むが、当時の対テロ戦争のアイドルと化していた彼女を失う事は泥沼のイラクまで波及しかねないと事態を憂慮した米国大統領により、『恩の押し売り』という形で人員が送られることになった。
なお、その後の樺太疑獄で、今や日本でCIAとFBIとシークレットサービスが権限を巡って争うという素敵な状況になって、日本の警察が呆れるなんて話も出るのだがそれは別の話。
「で、こういう席まで設けて、旧交を温めるというだけじゃないだろう?
そろそろ本題を話せよ」
酒が弱い夏目警部が酔い覚ましに部屋から出たところで小野警部が仕掛ける。
実際夏目警部は酒が弱いのだが、それはこういう時の理由というのも無い訳ではない。
このあたりの嗅覚が、ノンキャリの彼をここまで導いたのだ。
「……かなわないな。小野さんには。
特捜が動いています」
特捜。この場合は東京地検特捜部。
政治家などを対象にした検察の花形部署である。
「お嬢様絡みでか?」
「もっと昔の話ですよ。
お嬢様の御父上の話で、お嬢様の御父上が東側内通を理由に自殺した。
その自殺に関与したのがお嬢様の執事である橘隆二氏という訳で」
「あー。
華族特権の剥奪が通ったら、パクれるのか」
「あの人は昭和戦後史最後の生き字引の一人ですからね。
酒田の土地取引がらみでパクろうとしたのは官邸がそれとなく囁いたみたいですが、地検側が取りこぼした彼を仕留められると焦ったってのが真相です。
まぁ、お嬢様が傀儡で、橘さんが操っているって普通は見ますよねぇ」
その筋書きで攻めようとした理由だと、桂華院家は橘隆二が乗っ取っていると見える訳で。
だからこそ、地検の捜査で桂華院家は動かないと踏んだのだが、実際に桂華院家は華族の不逮捕特権を行使してまでも彼を守った。
「樺太疑獄で向こうからあの東側内通事件の新資料が出てくる可能性もあります。
あの人の事だから、既に身綺麗にはしているでしょうが、伝えておいてください」
「じゃあ、こっちも気になる話をしておこう。
裏とりなしでお嬢様の警護関係者から聞いた話だが、『世直し』を称する馬鹿どもが華族を襲う可能性があるそうだ。
少なくとも政府はそれを非公式でこっちに伝えたとか」
「その話は、こっちにも届いています。
中にはその世直しで成敗されてもいい連中が……おっと失礼。我々は警察官。法を守る立場の人間でした」
「そういう訳だ。
嬢ちゃんが映画よろしく世直しをするとは思えんが、釘はさしておくさ」
「あ。終わりました?」
わざと音を立てて夏目警部が戻ってくる。
こういう気の使い方ができるから二人は彼を可愛がっているのだ。
「ああ。
じゃあお開きにするか。
しかし、ここ高いんだよなぁ……」
「安心して話せる場所はそれだけ大事ですから、諦めてください。
私はこのままとんぼ返りですよ」
「ご苦労様ですが、体だけは壊さないでくださいよ」
「夏目。
もう一軒行くから付き合え」
「はいはい。
帰りはタクシーだな。こりゃ」
数日後。
九段下交番所長なのに、小野警部は早朝のパトロールに出る。
ラッシュ前だけあって、街は思ったより静かだった。
「おはようございます。小野警部。
パトロールご苦労様です」
「おはようございます。
橘さん。
ビル前の掃除なんて別の人間にさせればいいのに」
「年を取ると早起きになって、やる事がなくなるんですよ」
ごく普通の日常。
朝のさわやかな会話の中、小野警部と橘が情報交換をしているなんて事を見ている人間はいなかった。
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CIAとFBIとシークレットサービスの争い
樺太疑獄は対東側工作の流れでCIA
マネーロンダリングの本丸がウォール街だからFBI
お嬢様警護で出たは良いが、上二者の争いに巻き込まれたのがシークレットサービス
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