神戸教授のおとなの社会学 『故郷論』

「今日の授業ですが、少し音楽を聞いてみましょうか。

 そんなに過激な話にするつもりはありませんし」


(絶対嘘だ……)


 神戸教授の今日のテーマは『故郷論』。

 そんな私以下の面々の顔色なんて気にせずに神戸教授はいくつかの曲をかけてゆく。

 さすがにリアルタイムでは聞いたことがない曲ばかりである。


「さて、じゃあ曲を聴きながら、それが出た年代を書いておきましょうか。

 最初の曲は77年。故郷の兄が、弟もしくは妹に手紙を出した感じの曲です。

 長男は故郷に残り、次男以下は都会へ、そういう事も分かりますね」


 最初の曲ではしんみりする生徒も結構いる。

 帝都学習館学園は地方から来るエリートの育成機関でもあるからだ。

 故郷の田舎に両親や一族を残してってのは、栗森志津香さんをはじめとして結構いる。


「二曲目ですが、元々出たのは83年。

 ちょうど経済が上り調子の頃ですね。

 中卒、女性、故郷から出てゆく際に脅されたりと、心にしみる曲ですが歌詞は暗いんですよね。これ。

 なお、少しだけ話をそらしますが、プラザ合意が85年です。

 この言葉は大学の経済で必ず出てきますから、覚えておいて損はないですよ」


 この人の歌は、基本こんな感じである。

 何人かファンがいるらしくて、体を揺らして聞いている人もいた。

 なお、この授業でかけた曲の歌詞をプリントしてくれたので、歌詞を読んで私はドン引きしている。


「三曲目ですが、この人は今TVで大活躍している方ですね。

 この人本業は歌手なんですよ。

 この曲が出たのは93年。バブルがはじけたあたりですね。

 大阪から出て、東京で恋に出会い、その恋が終わってもまだ東京に居る歌ですね」


 こうやって歌詞を並べると、ある一定の人の流れが見える。

 この教授は手を変え品を変えて生徒を魅了するのが本当にうまい。

 それは、この人もTVという四角い魔界で活躍しているからだろう。


「まぁ私の選択で、今日のテーマに合うものを持ってきたのですが、流行歌というのは必然的にその時代背景を内包します。

 これらの歌が流行したという事は、その流行に至る背景があった。

 今回はそういう所から、この国の人の移動を見ていきましょう」


 現代史、特に近現代史はどうしても授業では飛ばされてしまう分野である。

 日本における歴史の授業が、過去、つまり縄文時代から現代に帰ってゆく形になっているから、大体明治か戦争前で時間が無くなってしまうのだ。

 その為、私たちは本当にこの時代を知らない。


「一曲目である77年。

 明確に故郷が地方である事がわかりますね。

 そして、その故郷に対する郷愁と同時に、相手が返事を出していない事にも注目してください。

 地方から都会への出稼ぎから、都会への定住が本格的に始まろうとしています」


 そして二曲目に移る。

 83年。

 既に田舎においては過疎化が問題になっていた。

 それでも、経済の過熱はこの都市部への集中を許容した。


「過疎についてはいくつかの理由があります。

 一次産業から二次産業へのシフトによる、都市部への労働者の移動。

 貿易立国の代償として資源を海外から格安で求めたことで、日本におけるエネルギー革命が起こって過疎化のとどめとなりました」


 神戸教授はホワイトボードにいくつかの漢字を書く。

 これが詰まる所、この国の過疎化の元凶なのだとばかりに。


『炭』>>『石炭』>>『石油』


「過疎化の進行と、都市部の経済発展は必然的に地方の人口流出を招きました。

 それに対して、田舎側はなんとかして引き留めようと努力しますが、そのほとんどは徒労に終わります。

 この曲は、そういう田舎側の徒労の一面を表してもいるんですよ。

 それに対する、女性の、若者の抵抗も。

 この曲では、はっきりと故郷に対する拒絶が出ていますね」


 地方と都市部の断絶はこのあたりからはっきりと顕在化する。

 そして、多くの人々は都市部を故郷としたのだ。


「という訳で三曲目です。

 93年。

 野党連立政権ができたり、近年まれにみる凶作でお米がなくなったりと私には懐かしい思い出ですが、きみたちには物心ついたあたりでしょうか?

 この曲は、この人にとってはかなりの売り上げをあげましたが、当時のオリコンBEST10には入れなかったのです。

 それでもリクエストで火がついて、私もそれで知った口ですね。

 東京に出て、東京に居る理由がなくなったのに、それでも東京に居る歌です。

 この曲を選んだ理由は二つ。

 東京に残るという選択をしている所と、この曲で出てきた女性が大阪出身、つまり日本第二位の都市圏なのに、東京に残る選択をしているという事。

 東京一極集中化の始まりが、このあたりから出ようとしています」


 あ。明日香ちゃんの顔が真っ青になっている。

 神戸教授が何を言いたいのか察したのだろうなぁ。


「それを強烈に後押ししたのがTVです。

 TVの東京発の情報は、疑似的に日本国民を文化的差異をなくしたと同時に、東京を疑似的な故郷にしてしまった。

 必然的に、本当の故郷は忘れ去られる事になった」


 明日香ちゃんの他にも結構な数の生徒の顔が真っ青である。

 今日もTVは元気に『無駄な公共事業をなくせ!』『地方より都市部に金を!』と叫び続けている。

 いつの間にか、地方は敵となっていた。

 新宿新幹線をはじめとした桂華鉄道の大規模工事に批判が少ない一因を私は察した。

 それが、都市部の、東京の工事だからだと。


「誰だって故郷は大事です。

 この国の多くの国民にとって、東京が故郷になってしまった。

 この話は、たったそれだけなんですが、どうしました?

 幾人か顔色が悪いみたいですが?」


 それを仕掛けた神戸教授あなたが言うか!あなたが!!!

 私の心のツッコミを知ってか知らずか、神戸教授は最後の曲を授業の終わりにかけた。

 私を含めた多くの人間が、その曲にピンとくる。

 少し前大流行のTV番組のテーマ曲だったのだから。


(ああ。そうか。

 もう、東京が故郷なんだ……)


 それは、私もそう。

 過去や縁があるかもしれないが、今の私、桂華院瑠奈は東京を故郷にした人間の一人なのだと。この歌を聞いて悟らざるを得なかった。


「ねぇ。

 せっかくだから、この歌の舞台に行ってみない?」


 私の提案に、近くに座っていた栄一君や裕次郎君や光也くんが振り向く。

 この歌の舞台は意外に近いのだ。


「桜は咲いていないぞ」


 栄一君のつっこみに私が苦笑する。


「わかっているわよ。

 けど、雰囲気は味わうぐらいはいいでしょう?」


「悪くはないな」

「賛成。

 少し気分を変えたかったんだ。僕も」

「そっか。じゃあ行くか」


 裕次郎君や光也くんも賛同したので行く事で盛り上がっていたのだが、神戸教授はそんな私たちを見て微笑みながら何も言わずに講堂を出て行ったのだった。




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神戸教授の歌のチョイス


7/4 23:00

 書いていたのですが、感想にてBANされかねないという事で削除しました。


三曲目の人

 この人は本業であった歌手としての評価は定まっているが、多分日本政治史にいやでも出る上に、評価はあと二・三十年は定まらないだろうなぁ。

 なお、私は東京でこの人を知ったくちである。


プラザ合意

 wikiは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E5%90%88%E6%84%8F#:~:text=%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E5%90%88%E6%84%8F%EF%BC%88%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%81%94%E3%81%86%E3%81%84,%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%82%80%E3%80%82


 これによって円高が進行し、それに伴うバブルが形成され……

 なお、ベルリンの壁崩壊が89年。

 後出しじゃんけんだが、本気で覇権国家を狙うならば、ここからの10年が本当に大事だった……

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