神戸教授のおとなの社会学 『平等論』
「皆さん。
人は平等ではありません。
だからこそ、社会は平等であるようにみせかける必要があるのです」
神戸教授は今日も絶好調である。
そして私たちは今日もドン引きである。
今日の講義のタイトルは『平等論』。
「せっかくですので、この国の偉人がこの平等について語っているので、そこから始めるとしましょう。
この国の近代化の父である福沢諭吉先生です。
有名な『学問のすゝめ』、ここから始めてみましょうか」
ホワイトボードにあまりに有名な一文が刻まれる。
『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』
「皆さんは疑問に思ったことはありませんか?
福沢先生はたしかに本質をおっしゃっているけど、では、現代社会に広がる人の格差とは何なのか?
その答えは、この一節の続きにちゃんと書かれているのです」
『人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり』
その言葉の下に『実語教』と書かれるあたり、福沢先生の言葉でなく、福沢先生がこの『実語教』から引用したのだろう。
けど、私たちはこの言葉を見てやっと納得する。
「人は学ばねば知恵がつかず、知恵無き者は愚か者である。
だから、タイトルに繋がるのですよ。『学問のすゝめ』。つまりちゃんと勉強しなさいと」
神戸教授は私たちを見渡して、理解した事を確認してから次の話に移る。
次に書いたのは、『知恵の差』である。
「さて、この知恵ですが、これにも差というものがあります。
皆さんがこうしてこういう授業を受けている傍らで、世界では初等教育すら受けられない子供たちがいるのもまた事実です。
これは、皆さんの生まれの差であり、歴史的蓄積の結果でもあります。
皆さんがこのように授業を受けられるのは、福沢先生をはじめとした昔の人たちの不断の努力の結果でもあるのです。
それに感謝してくださいね。
では、質問です。
我が国は産業革命から百年遅れて近代化を進める事になりましたが、当時の発展途上国から現在の世界第二位の経済大国の地位まで駆け上がる事に成功しました。
先ほど言った先達の努力もありましたし、時代的な運などもあったでしょう。
それでも、我々がここまで来れたのはどうしてなのだと思いますか?」
神戸先生は少し考える時間を与えてから、その答えをホワイトボードに書く。
私を含めて、その答えに届かなかっただろう漢字一文字の答え。『欲』。
「欲。
この言葉は知識にも使われていますね。
『知識欲』。と。
我々はこの『欲』を源にこの国をここまで押し上げました。
現代社会ではこの『欲』を別の言葉に置き換えています」
そして、神戸教授はその言葉を漢字四文字で書いた。
『資本主義』
と。
ああ。ここに繋がるのかと納得する私をまっすぐ見据えて、神戸教授は授業を続ける。
「資本主義。
この言葉は奥が深くて、大学で四年間みっちり学んでもその神髄にまで届かない人が多くいます。
私だって、こうして偉そうに語っていますが、本当にこの言葉を理解できているかどうか……
ですが、この資本主義が欲と共に歩んできた事は歴史的事実と語らせていただきましょう」
そこまで語って、神戸教授はホワイトボードの『資本主義』と『平等』を丸で囲んで赤線でつなげる。
神戸教授の言葉に熱が入っているのが私にもわかった。
「わかりますか?
個々の欲が必然的に格差を作る以上、資本主義社会において人は平等ではありえないのです!
ですが、この資本主義は数年前に東側と呼ばれた社会主義陣営に対して、その欲によって勝利した!
では、平等たらんとした社会主義に対して、平等ではない資本主義がどうして勝利したのか?
資本主義は、この平等の意味を変える事によってその勝利を手にしたのです!!」
そう語った神戸教授は二つの平等を書く。
『機会の平等』と『結果の平等』を。
「結果の平等については説明しなくてもいいでしょう?
レースで最後手を繋いでゴールというやつですね。
過程はどうでもよく、結果はみんなでという訳です。
これに対して、機会の平等というのはその参加資格の事です」
いったん呼吸を置いて神戸教授は私たちを見渡す。
これもまた機会の平等というやつなのだろう。
「この授業、正確には帝都学習館学園の正式授業ではないのですが、参加は自由となっています。
ですが、その自由に対してきていない人もいるし、この授業を知らない人もいる。
ここが欲の、知識の格差なのです」
神戸教授は少し悪戯っ気をだして笑う。
間に挟む冗談は苦笑とか失笑の類なのだが、それが緩急になって話が頭に入ってゆく。
「ちなみに、このあたりの話はもう少し専門的に語れるのですが、ここではよしておきましょう。
この欲の格差の肯定と機会の平等を資本主義ではなく別の言葉で評しているので、覚える人はこれだけ覚えて帰ってください」
神戸教授がホワイトボードにその言葉を書く。
前世のこの国は散々に振り回され、私を含めた弱者が切り捨てられていったその魔法の言葉を。
新自由主義
たしかに、この言葉で西側は東側に勝利したのだろう。
だが、この言葉は前世の私を、いや、私たちを、幸せには決してしなかった。
「まぁ、私の戯言は聞き流していいのですが、今日の授業で出た福沢先生の話に興味を持って勉学に打ち込んだなら、ある程度の所まで行く事は私が保証します。
ある程度なのは、生まれによって私よりはるかに高度な教育を受けた人間とか、純粋な天才とか、尋常でない努力家とか、世に出るとそんな連中がやって来てぶん殴られるからなんですが、新自由主義は格差を欲によって肯定するがゆえに、そういうものの台頭を許容するのです。
そして、そんな彼らが社会を引っ張ってゆく事になります。
幕府時代は中津藩の下級武士でしかなかったのに、明治維新後に日本近代化の父なんて呼ばれるようになった福沢諭吉先生のように」
そして、授業の〆とばかりに、神戸教授はホワイトボードに新自由主義の本質を書いた。
「チャンスはあげるが、ハンデはあげない」
「思ったのですが」
「何を?」
神戸教授の授業の帰り道、野月美咲がぽつりとつぶやいたので、私は彼女の方を振り向いた。
そこから出た彼女の言葉は、彼女なりに新自由主義を理解した呟きなのだろう。
「あの『チャンスはあげるが、ハンデはあげない』って、私たちがやっているMMOの廃人たちの言葉と同じじゃないですか?」
あー
確かに……
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青空文庫
福沢諭吉 『学問のすすめ』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html
この話をかくきっかけとなった、新自由主義とMMOのまとめはこちら。
新自由主義者=MMOの廃人説について - Togetter
https://togetter.com/li/664826
お嬢様と野月美咲がやっているMMO
RO
アマツ実装とちょうど新二次職がくる当たりで本格的に廃人とそれ以外の差が開きつつある時期にさしかかろうとしていた。
エンジョイ勢だった私がやっていたのはこのあたりまでである。
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