帝都学習館学園七不思議 音楽堂の鏡台 その2

 栗森志津香の実家は新潟県の地方財閥である栗森グループである。

 元々江戸時代から続く商家だった栗森グループは米相場で財を成し、海運と農林水産業及び食品加工業と事業を拡大していった。

 そんな栗森グループを窮地に陥いれたのがバブル崩壊による土地価格の下落である。

 多くの地方財閥と同じくリゾートの名目で山野を開発し、ものの見事に買い手がつかないままバブルが崩壊して多額の不良債権を抱え込んでしまったのだ。

 そのまま没落かと思われた栗森グループを救済したのが、かつて新潟支店で副支店長をしていた一条進だった。

 極東銀行が桂華金融ホールディングスに変わる過程での不良債権処理過程で、新潟に縁のあった一条は栗森グループに救済プランを提示し、栗森グループもそれに従った事で首の皮一枚繋がったのである。

 そんな一条は栗森グループにこんな提案をする。


「私がお仕えする桂華グループのお嬢様が居らっしゃるのですが、ご友人を欲しているのです。

 東京の生活には不便をかけないよう便宜を図ります。

 どうか、お嬢様のご友人になってくださらないでしょうか?」


 栗森志津香はその時既に地元新潟の小学校に通っていた。

 二重学籍制度があったからこその提案だったのだが、栗森家はこの一条の提案に全力で乗った。

 つまり、栗森志津香を一人東京に転校させたのである。

 それは、人質であり生贄でもあった。

 地元の友人たちと別れ、召使いと共に一人東京の地にて生活を行う彼女の前に、彼女が東京に来ることになった元凶が現れる。


「私は桂華院瑠奈。

 栗森さん。よろしくね♪」


 彼女が悪役令嬢ならば恨むこともできよう。

 彼女が普通のお嬢様ならば、心の中で舌を出しながら己の心を守っただろう。

 けれど、彼女が出会ったのは飛び切り異色なお嬢様だった。


「ええ。

 よろしくね。桂華院さん」


 この時、栗森志津香は『憧れ』という呪いにかかった。




 この後の栗森志津香の小学生生活は桂華院瑠奈の取り巻きという形で紡がれる。

 桂華院瑠奈が学校内に居る時はいつも側に追随する彼女に他の女子は裏で陰口を叩くが、彼女は気にしなかった。

 彼女にとって桂華院瑠奈は特別であって、そんな特別の側に居ることが誇らしかったのだから。

 桂華院瑠奈の取り巻きにも序列がある。

 幼稚園からの付き合いである春日乃明日香や開法院蛍、桂華院家分家筋である華月詩織は別格であり、伯爵家息女である待宵早苗や県警本部長を父に持つ高橋鑑子の次という位置付けにも文句はなかった。

 だが、中等部に入ったことでこの序列に変化が生じる。

 橘由香を始めとした側近団が桂華院瑠奈を取り囲んだからだ。

 クラスが別になった事も彼女にとって悪い方に働いた。

 彼女は、ここに来て初めて『孤独』という苦しみを自覚した。




「はぁ……私、何をやっているんだろう?」


 音楽堂に足を運んだのは、桂華院瑠奈がこの音楽堂で歌う事があるからだ。

 彼女は欧州の音楽家を招いて声楽のレッスンを受ける。

 その際に設備が整っているこの音楽堂を借りてレッスンを行うのだ。

 桂華院瑠奈が音楽堂を借りる前日、栗森志津香は音楽堂に忍び込んで誰もいない楽屋に入り一人ぼやく。


「最近、桂華院さんとお話できてないなぁ……あんな事があったから仕方ないのだけど」


 あんな事とは、桂華院瑠奈の名前を一躍国内外に轟かせた成田空港テロ未遂事件であり、あの後から桂華院瑠奈の周囲には常に側近団が張り付いて警護すると同時に威嚇していたのである。

 側近団に話せば取り次いでくれるだろう。

 だが、そこまでして何を話したいかと言えば、話す話題もない。

 学業もなんとかついていっているぐらいで、運動も芸術も秀でたものはない。

 新潟に帰ってしまおうかとも考えた。 

 だが、かつての友人たちは中学校で新しい生活を始めているだろうし、経営再建中の栗森グループは桂華グループとの取引が打ち切られたらそのまま倒産まっしぐらである。

 バブル崩壊直後の帰宅するたびに資金繰りに苦労していた父を、気丈に振舞いながら彼女の東京行の列車が出る際に泣き出した母の顔が浮かぶ。


「わたしも桂華院さんみたいになれたらなぁ」


 誰に聞こえる訳もないその声に、返事が返ったのはその時だった。


(なれるわよ)


 その声のする方に振り向いたら、彼女が映っていた鏡台の一つから声がする。

 鏡の向こうの彼女は、まるで桂華院瑠奈みたいな笑みを浮かべて、彼女の呪いをえぐった。


(私ならなれる。

 桂華院瑠奈みたいに輝いてみせるわ)


 その誘いに彼女は抵抗できない。

 栗森志津香にとって、桂華院瑠奈というのは憧れなのだから。

 だから、彼女は自然と声を出してしまう。


「どうやったら、桂華院さんみたいになれるの?」


 そこから先の展開を読めなかった訳ではない。

 代償に何を差し出すのか、自分が自分でなくなる事も考えなかった訳ではない。

 それでも、彼女は望んでしまったのだ。

 あの憧れの桂華院瑠奈になりたいと。

 その願いは叶えられた。




 それから、栗森志津香は変わった。

 勉強にもスポーツにも積極的になり、友達も増えた。

 ただ、雑談でこんな話をクラスの友人たちに振るようになった事を除いて。


「ねぇ。

 この間聞いたんだけど、音楽堂の鏡台に……」




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