本物の価値
羽田空港から長崎空港まで飛行機で大体二時間。
そこから、連絡船でオランダ街に向かう。
海から見るこの街を、なんとなくヴェネツィアと思ってしまったのはあの尖塔のせいだろうか。
「モノは本物ですよ。
それは保証します」
視察に付いて来たマークの説明に耳を傾ける私とアンジェラ。
こちらが食指を伸ばしたことを知ってか、穂波銀行の役員も付いて来ている辺り笑える。
向こうからすれば、二千億円の不良債権が無くなるかどうかの瀬戸際だから必死である。
「じゃあ、何でこんなに苦しんでいるの?」
私の質問にマークは嘲笑する。
それは、この街に向けてか、それを支えきれない穂波銀行に対してか、その事を知らない私に対してか分からない。
けど、その答えは納得がいくものだった。
「決まっているでしょう。
本物だったからですよ」
そのまま、住宅地みたいな建物の方にマークは視線を向ける。
プロらしく、この手の仕組みはしっかりと叩き込んできたらしい。
「遊園地というビジネスは、基本的にその遊園地という設備でリターンを得るものではないんですよ。
人を集めるというのが目的であり、それを原動力にして他の所で稼ぐというのが王道です」
だから、多くの遊園地というかテーマパークはバックに鉄道会社が付いている。
その遊園地に人を運ぶという形で建設費用を回収するのだ。
「とはいえ、建設費用は膨大で、支払い時の金利も馬鹿にならない。
初期投資の回収として、裏技があるんです。
この手の遊園地の建設と同時に住宅地を造って、それを売るんですよ」
なるほど。
人が来るから交通が整備され、交通が整備されるからこそ通勤等にも使えるという訳だ。
遊園地の周辺が住宅地として売れるのにはそういう背景がある。
「とはいえ、佐世保で住宅地?」
「無理でしょう。
あれ、全部別荘なんですよ」
マークの答えに納得する私。
人口およそ25万人ほどの地方都市である佐世保市は住宅地を造成する必要がない。
というか、それだけの住宅地を作る需要がなかった。
時はバブル真っ只中のリゾートブーム。
それにこの街も乗ったという訳だ。
「あの時に、この別荘地を全部販売していたら、ここまでの危機にはならなかったでしょうね。
当時の社長は、その販売を拒否したんですよ。
『青田売りになる』と言って」
「青田売り?」
また聞き慣れないワードが出てきたぞ。
青田買いなら分かるが、青田売り?
首をひねる私にマークは肩をすくめて、その説明をした。
「青田買いが、稲が青いうちに買う事でしょう?
青田売りですから、稲が青いうちに売りに出したんですよ。
つまり、別荘地造成前からここは注文が殺到していたのに、それを売らなかったということです。
転売や造成後のトラブルを避けるためと言われていますがね」
なるほど。
そこまで聞いて、縮こまっている穂波銀行の役員の方を見る。
投資の回収なんて銀行が最も重視している事だ。
マークですら語れる事を、この穂波銀行の役員が進言しなかった訳がない。
「なんで、当時の銀行はそれを指摘しなかったのかしら?」
「そ、それは……そのぉ……」
汗びっしょりでしどろもどろで口ごもる役員を見兼ねて、アンジェラが理由を暴露する。
実に日本的な理由だからこそ、私に刺さる。
「当時計画を推進していた工業銀行のカリスマ元頭取の案件なんです。これ」
「あー」
カリスマゆえ手が出せず、その結果致命傷。
これは今の私にも当てはまりかねない。
「私も下手したらこうなりかねないわね」
「お嬢様がそれをお学びになるのでしたら、二千億円はお買い得かと」
そのカリスマに成り果てた私もこのような末路を進まないように。
それを身に刻むならば、二千億円はたしかに安く見えなくもない。
「それについては置いておくとして、救済後の経営はどうなると思う?」
「テーマパークとしては、かなり厳しいですね。
観光地として佐世保は外れるんですよ」
マークがあっさりと断言する。
九州観光は福岡空港、もしくは博多駅が起点となる。
そこから、佐賀や長崎に観光をする場合、福岡市に泊まるか長崎市に泊まるケースが主体になる。
その上、周辺には嬉野温泉や武雄温泉、島原等の温泉宿があるのでそこと戦うことになる。
このテーマパーク目当てに一日を取るツアーもあるが、宿泊地は温泉が良いとなるのは日本人あるあるである。
「とはいえ、繰り返しますがここにあるものは本物なんですよ。
オランダ政府もこのテーマパークについては注視していますし、環境問題についてはこのテーマパークのメインテーマなので、産学研究を通して推進しています。
企業メセナとしては本当にお買い得ですよ。ここ」
オランダはEUの一国であり、イラクによって目に付く米欧確執に対して影響力を発揮するのも悪くはない。
そして、二十一世紀は環境問題が重要ワードとして政治経済に登場するようになるので、ここの本物は政商と叩かれる桂華グループにとって良い看板になるという訳だ。
「ここをテーマパークと定義すると失敗します。
しかし、街として五十年、百年単位で抱えられるならば、お嬢様に、桂華院家に掛け替えのない利益が得られるかと」
「あら?
ここを私の国にしろとでも言う訳?」
私の冗談をマークは笑わなかった。
つまり、二千億円で国にしろとマークは暗に言っているのだ。
私にはそれができる血があり、政治力がある。
けど、私はそれを鼻で笑った。
「私は、ここで女王様ごっこをする気はありません。
けど、桂華のメセナ事業として、できるだけ赤字を削れるようにして頂戴。
以上!」
「かしこまりました。お嬢様」
マークが恭しく頭を下げるのに対して、穂波銀行の役員は汗をハンカチで拭うだけで精一杯だった。
帰り道、私はアンジェラにささやく。
「あれ、有能だけど、どこまで信用していいの?」
「信用はしないほうがいいですが、見ての通り使えるんですよ」
つまり、彼女の中でもどこまで使うか判断が付いていないらしい。
それを知って私は苦笑し、意味を察したアンジェラも笑ったのだった。
────────────────────────────────
参考文献
『ハウステンボスの挑戦』(神近義邦 講談社)
この人経歴が面白いんだよ。
ミネベアの高橋高見社長の番頭格やっていて、そこから興銀の中山素平氏知り合う事になる。
なお、再建したH.I.Sの澤田秀雄社長の彼の評がなかなかシビアで笑う。
テーマパークビジネス
典型例が阪急の宝塚。
東京ディズニーランドも初期は宅地を売る事で投資を回収する事になり、拡張に苦労したなんて笑い話も……
カリスマ頭取
興銀頭取で『財界の鞍馬天狗』と称されたバンカー。
多くの業績を誇る彼の傷の一つがこのハウステンボスであり、そごうであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます