不良債権処理最終章 その5

「五和尾三への一兆円のコミットメントラインに、月日生命の救済、穂波案件のオランダ街救済ですか。

 取締役会案件ですね」


 会社というのはトップの独裁組織ではない。

 この手の重大事の決定は、取締役会の承認が必要になってくる。

 この辺りを好き勝手していたのは、私が桂華金融ホールディングスの唯一無二の株主様であるというのが大きい。

 正確にはムーンライトファンドがなんだが。

 とはいえ、恋住政権との確執で私へのクーデターが囁かれている今、その取締役会が危ない可能性があった。


「あると思う?

 一条の解任決議」


「仕掛けるでしょう?

 私が敵ならこのチャンスを逃しませんよ」


 私の確認にマークがとてもあっさりという。

 じゃあ何でオランダ街救済を言い出したと言おうとしたら、先読みされてこんな事を言いやがる。


「あくまで私の仕事は株主のお望みを提案することです。

 利益の極大化を選択しないのは理解しかねますが、お嬢様が取りうる選択を考えたまでの事です」


 畜生。有能だぞ。こいつ。

 正体を探れないから、完全に信頼できないのがつらい。

 アンジェラがため息をつく。


「月日生命の救済は見逃されるでしょう。

 生命保険の救済は手間が掛かるので、口だけ出して上場後に本格的に救済という時間稼ぎが打てます」


 生命保険会社は株式会社でなく相互会社という形態を取っている。

 そのため、救済の際には株式会社化してという流れがあるのだ。

 桂華金融ホールディングス入りを表明すれば、少なくとも今の信用圧縮による破綻からは抜け出せる。

 つまり、口約束だけで金を出さないというのが可能なのである。

 もちろん、そんな事にするつもりはないが。


「オランダ街の救済ですが、こちらもギリギリセーフだと思われます。

 桂華金融ホールディングスではなく、ムーンライトファンドからの救済にすれば文句は言われなくなるでしょう」


 穂波銀行への間接的支援と勘定系システムのごたごたに対する手打ちのサインであるため、これも桂華金融ホールディングス内部で異論は出るだろうが、反対にまでは回らないだろう。

 ムーンライトファンドというワンクッションがギリセーフのバッファーになっているのだ。

 アンジェラは次期桂華金融ホールディングスを率いる者として、最後の一つを強調する。


「五和尾三へのコミットメントライン。

 これは駄目です。

 言い逃れできません」


 桂華金融ホールディングスは、株式上場作業の途中である。

 この巨額コミットメントラインは、その上場作業を致命的なまでに狂わせ、武永金融大臣の面子を決定的に潰し、恋住政権を確実に敵に回す。

 それだけではない。

 帝都岩崎銀行と二木淀屋橋銀行の二行を相手に、五和尾三銀行の奪い合いをすると見られるからだ。

 ある意味ハゲタカ的な動きと見られて、世論から叩かれかねない。

 そうなると、私の腹が切れないから必然的に一条が詰め腹を切らされ、アンジェラを次期CEOにする路線が完全に頓挫する。


「けど、ここは金を出しても解決しないのよ。

 インターバンク市場での金詰りが問題なんだから。

 いやでも、桂華金融ホールディングスの名前を使わないといけなくなる」


 どうする?

 ここで強行するか?

 少し迷う私に、一条は自らの権限でできる事を指示する。


「一条です。

 緊急取締役会の開催の準備をしてください。

 内容は、月日生命の救済と、ムーンライトファンドからの資金引き出しについてです。

 あと、穂波銀行の会長もしくは頭取との会談のセッティングも」


 即断即決。

 まずできる所を確実に潰す。

 その上で、私がためらうコミットメントラインについて裏技を使う。


「トレーディングルームに指示を。

 今日から暫く、五和尾三のコールは金利1.5%のプレミアムを付けて無制限に受けるように」


 ああ。

 一条は、ここまで立派なバンカーになったのか。

 ぼったくり金利を提示して『裏ではお断り』という日本的謙遜表現を逆用して、五和尾三に最後の手を差し出すなんて。


「けど、1.5%はぼったくりだと思うんですけどー」

「私も首になりたくないですからね」


 私のぬけた声に一条が冗談を言う。

 ただ、これがその場しのぎでしかないのは分かっている。


「おそらくこの一週間が勝負になります。

 帝都岩崎あるいは二木淀屋橋のどちらかが奪うなら良し。

 話が破綻したらうちが出ていく、でいいですね?」


 最悪のケースを想定して私は真顔で一条に対して頷く。

 けど、悪い時には悪いことが重なるものである。


「はい。橘です。

 ……ちょっとお待ちを」


 今度は橘の携帯がなる。

 何があったか知らないが、ろくでもないことだろうというのは想像できた。


「お嬢様。

 桂華商会の藤堂社長と天満橋副社長がこちらに向かっております。

 緊急の要件だそうです」


 つまり、電話口で言えない悪いことですね。わかります。

 額に手を当てて私はうめく。

 かつて私が北海道開拓銀行救済時に大暴れできたのは、先を知った上で主導権を握り続けていたからだ。

 今回はその主導権がない。

 だから、対処が後手後手に回ってゆく。


「分かったわ。

 みんなここに居て頂戴。

 どうせ絡んでくる厄介事よ。多分」


 それから一時間後に藤堂社長と天満橋副社長が真っ青な顔でやって来る。

 聞きたくないが聞かないといけないのが、お嬢様のお仕事である。


「すっげー聞きたくないけど、何があったか言って頂戴」


 私の言葉に藤堂が話す。

 初っ端からぶん殴られるような衝撃が私を襲った。


「今日、経済産業省の幹部が秘密裏に接触してきまして、『石油開発公団を独立行政法人化させる際に、現状の日本の石油開発会社を一元化したい。その際に貴社の資源管理部を独立させて、この一元会社の中核にしたいのだが?』だそうです」


 ……見事だ。

 誰が組んだか知らんが、見事に私の中枢を取り上げに来やがった。

 こっちのアキレス腱をここまで見事に直撃するとは。


「まだ接触の段階で、本格的な動きにはなっていませんが、脅しだとしたら見事だと言わざるを得ませんな」


 不思議な感覚に私は笑いたくなる。

 立ち上がれ。桂華院瑠奈。

 まだ命はあるし、負けたわけではない。


「で、天満橋副社長はどんな話を私にしてくれるの?」


「それ絡みなんですが、その話、乗ったらあきまへんで。

 箝口令を敷かせましたが、北日本政府併合時に統合させた石油開発公団傘下の日樺石油開発。

 あれには巨額の含み損が隠されてとるんですわ。

 多分、額は二兆円に届きまっせ」


 私を含め絶句する一同。

 だが、たまたま見えたマークの唇が声を出さずにこんな動きをしたのを私は見逃さなかった。


(ふーん。

 あの損失、あそこに押し付けたのか……)


と。 




────────────────────────────────


マネーゲームはインガオホー。

誰かが得すれば誰かが損をする。


取締役会

 感想より。

 ネタ提供感謝。


問題のポイント

 インターバンク市場でお金が借りれなくなっている点。

 動脈硬化を起こしている血管に血液を大量に流しても破裂するだけである。


プレミアム

 ジャパンプレミアム時最大1%。

 いかにぼったくりであるか分かるが、京都ジョークのぶぶ漬けみたいなもの。

 追い詰められた五和尾三は間違いなく食べる。

 ついでにお替りもする。


経済産業省

 ここの産業統廃合指導は結構有名。同時に彼らが出てうまく行ったこともあまりないのも結構有名。


石油公団

 2003年倒産ランキングで見つけて、ああ。あったなと。思い出す。

 そして、石油で利益を日本に運んでいるお嬢様に直撃するこれと頭を抱えたのは言うまでもない。

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