不良債権処理最終章 その4
「彼の正体を探るな!?
どういう事なのよ!!」
桂華金融ホールディングス本社地下大金庫。
ここには私と橘とアンジェラの三人しか居ない上、時間限定で大金庫の扉を閉めてまで確保した完全防音の密室。その大金庫の中で私の叫びが反響する。
それにもアンジェラは憂い顔を崩さない。
「お嬢様。
今、私が明かせる最大限の情報を開示しますね。
成田のテロリスト。
自爆を企んだのは武器を受け取りに来た末端構成員で、彼らの本来の狙いは九段下桂華タワーでお嬢様を襲うことだったんです」
あ。
あの時に感じた違和感が急に繋がった。
あの過剰警備はそういう裏事情があったのか。
待てよ。
それだったら、どうしてテロリストが成田空港郊外に居たんだ?
読まれた?
いや。
何か違うな。
私が成田の件を考えているのを察したアンジェラがさっさと答えを告げる。
「成田空港郊外に立てこもった連中は彼女に武器を渡す以外にあそこに居た理由がありました。
……私の暗殺です」
「……は?」
まてまてまて。
非公式に現CIAと繋がっているアンジェラに暗殺指令が出た!?
それは、少なくともCIAと喧嘩をしても構わないという組織からの……
思い出してゾクリと背中が震える。
震えた私を見て寒かったのかと橘が私に背広を掛けてくれた。
私の目の前に深淵が広がっている。
知れば……多分帰れなくなる……そんな深い深い闇の底が。
その時、栄一くん、裕次郎くん、光也くんたちの顔が、楽しい学生生活の記憶が、深淵に落ちようとした私を現実に引き戻す。
「質問、いい?
これ、聞かなかったら、私はまだ大丈夫なやつ?」
「ええ。
暗殺未遂事件が全世界に広がったので、今、お嬢様を襲うと彼らとて集中砲火を受けます。
問題なのは、お嬢様がそれを知った場合、お嬢様のことですから必ず反撃に出られます。
それも、容赦なく突拍子もない形で全面戦争に。
今の米国にはその混乱を許容できる精神的余裕がないんです」
ジト目で睨むアンジェラ。
暗に岡崎と組んでウォール街で大暴れした事を未だに根に持っているというか、多分一生のネタにされるな。これは。
けど、今の会話で分かったことがある。
私と彼らが対立した場合、米国は彼ら側に付くという事。
そして、私が裏を知らず、表舞台に立ち続ける限りは、私の命は保たれると米国側が保証したという事。
私が成田空港で大立ち回りをした結果、少なくとも闇の中でそんな手打ちがなされたのだろう。
私の知らない間に。
私の幸せの為に。
「……聞かなかったことにします。
何をしても私は関与しません」
「お嬢様のご配慮、非公式ですが米国を代表して感謝を」
だから、それを無碍にして突き進む事が私にはできなかった。
今までの幸せが、彼らの思いと願いが私を縛ってゆく……。
「ちょっと待ってください。
今、スピーカーに繋ぎます。
……ええ。
もう一度繰り返してください」
一条の声で我に返る。
彼は携帯をスピーカーに繋いで、内容をもう一度相手に繰り返させた。
電話相手は下のトレーディングルームの幹部からだった。
だんだんその数字に慣れてきたが、やっぱり聞きたくない金額である。兆単位の赤字というのは。
「……今、穂波銀行の会見があって、一兆三千億円の赤字に転落すると発表が……
一兆円の増資と、二兆円の公的資金の申請をすると……」
忘れてた。
公的資金の申請。
日本的横並びの弊害極まりなく、こいつのおかげでクーデターまで起きかねないのだから罵倒したくもなるがぐっと我慢する。
「うちも穂波銀行形式で行くわ。
五千億円の増資に、五千億円の公的資金の申請でどう?
どうせ、当日に返すつもりだし」
「それなんですが、一つうちに駆け込みに走った所がありまして」
え?
あれだけ目を付けられているうちに駆け込むもの好きっているの!?
そんな顔をした私に一条はその相手の名前を告げる。
「月日生命保険です。
他社と生き残りのグループを組んで統合作業を進めていたのですが、路線対立と派閥争いから離脱を決定。
そして、そのタイミングで成田のテロが起こって」
「あー」
あのテロ事件はお茶の間に話題を提供しただけでなく、金融市場を強烈に揺さぶったのだ。
一応の鎮静化はしたのだが、その日東京外国為替市場は私のあのシーンで3円の円高に動いて元に戻るというアクロバティックな動きをして、市場関係者の頭を掻きむしらせていたのである。
もちろん、そんな状況で株式市場が良い方向に行くわけもなく、日経平均株価が千円近い大暴落を記録する事になる。
時価会計導入による評価損計上の穴埋めに金融機関は保有株の売却を進めており、それが更に株価を押し下げるという負のスパイラルに突入しようとしていた。
何よりも、そんな混乱にも関わらず、恋住政権は一切手を打たなかった。
それを市場は、『株価が下がっても不良債権処理を今度こそ行う』と判断し、信用不安に煽られるように支持率は上昇しつつあったのだから笑うしかない。
「どうします?
お嬢様?
食べますか?」
今まで黙っていた橘が、わざとらしく確認をとる。
私はグレープジュースで喉を潤して、腰に手を当てて言い放つ。
「この状況でうちに逃げ込むのだから、その覚悟や良し!
助けてあげようじゃないの!」
「でしたら、一件、助けても面白い案件があるのですが?」
ふいにマークが私にそんな言葉を投げる。
何と言う前に、彼はその案件のレポートを私に手渡した。
「長崎のオランダ街というテーマパークです。
街づくりに本物に拘って二千億円ほど負債を抱えている穂波銀行の不良債権。
この信用不安で、おそらく見捨てられます。
お嬢様。
二千億円で態度が硬化している穂波銀行への手打ちと考えるならば、お買い得と思いますよ」
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穂波銀行の赤字決算
お嬢様が頑張ったので軽減されている。
なお、現実のみずほ銀行の決算二兆三千七百億円の巨額赤字を計上し、公的資金はおよそ三兆円となった。
月日生命保険
感想にあったのでネタに。
ネタ提供感謝。
不良債権処理のあの時
『公的資金投入をめぐる政治過程 -住専処理から竹中プランまで』 (久米郁男)という論文がネットに上がっていて、精緻にダメージ軽減をしながら対処する宮沢蔵相の失敗が最終的に壊れてもいいから終わらせる竹中プランに繋がっているのを見て、歴史の継続性をつくづく思い知る今日このごろ。
オランダ街
これも色々面白いんだよなぁ。
一話書けるから書くか。
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