不良債権処理最終章 その3
桂華金融ホールディングス本社。トレーディングルーム。
数百のモニターとチャートに人間たちが張り付き、売り買いを続けてゆく。
その顔色は悪い。
「コール市場が良くないな。
みんな警戒して貸し借りがしにくくなっている。
これは明らかに98年と同じ動きだぞ」
「あの時はうちのお嬢様がウルトラCをかましてくれたが、今回は規模が違うぞ」
「大変だ!
府築紡績が会社更生法を申請した!
負債総額は二千四百億円!!」
「名古屋支店に確認に走らせろ!
多分連鎖倒産が愛知県を中心に起こるぞ!!」
「あそこは五和尾三案件か。
こりゃ、本気で持たんぞ……」
学校を休ませて私をわざわざこの本社トレーディングルームに呼んだ一条の顔色も強張っている。
状況説明をしようと思ったが、先にその状況がやって来た口らしい。
「『倒産は月曜日に起こる』。
この業界の格言ですが、何故だか知っていますか?」
「土日は金融機関が休みだからでしょう?
その二日で資金繰りができるかどうかで、運命は決まる。
五和尾三は駄目みたいね」
つまり、ここでの話し合いはついに断末魔の悲鳴を上げ始めた五和尾三銀行の対策である。
事が事だけに、橘を始め別件で来たアンジェラとその部下のマークもこの席に来てもらっている。
「先頃大阪府の月日住建が民事再生法を申請しました。
負債総額はおよそ三千六百億円。
同じく大阪府の帝国ゴルフ振興も近く民事再生法を申請するとみられていますが、その負債は三千億円を超えるでしょう」
一条の説明に頭を抱えたくなる私。
あれだけ処理したと思った不良債権がまだ出てくるのだから、頭を抱えたくなる私の気持ちを理解してほしい。
巨額倒産にゴルフのワードが出てきた場合は要チェック。
土地・株についで金融商品として派手にバブルの空に舞ったゴルフ会員権の事だからだ。
あれもバブル崩壊に伴ってその価値を大幅に落としてしまっていた。
「他にも数社ほどやばい会社がありますが、それらの特徴は不動産系であるという事。
要するに、バブル時に購入した高値の土地の評価損を迫られて、ぶっ倒れるケースですね。
おそらく、全部の負債総額は二兆円を超えますよ」
「株価を考えたら、もう少し減ると思ったんだけどなぁ……」
「株価の恩恵があるのはむしろ金融機関の方でしょう。
株価がある程度堅調でしたので、不良債権処理が進みましたし。
地価はまだ下落していますから、今回の時価会計導入で何処まで損失が広がるのやら。
パンドラの箱が開いたんですよ」
その金融機関である五和尾三銀行と同じくターゲットにされているだろう穂波銀行は、コール市場で資金が借りにくくなっていた。
この状況でプレミアレートの割高で貸しても破綻したら帰ってこないと判断しているからだ。
金融機関は常に手持ち資金を血液のように貸し借りして利益を出している。
ところが、今この二銀行は動脈硬化を起こそうとしており、そうなったら幾ら手持ち資金があっても最後は破綻に追い込まれる。
モニターが府築紡績の破綻のニュースに切り替わる。
データを確認してふと気になった私は一条に尋ねてみることにした。
「あれ?
府築紡績は製造業じゃないの?
紡績って付いているんだから?」
「繊維業で食えなくなって、工場跡地を貸し出して不動産業に手を出して……」
「おーけいわかった」
頭を抱えるどころかもはや私の頭はテーブルにくっ付いている。
結構勢いが付いていたのでおでこが痛い。
ついでに手を耳に当てて聞きたくないポーズをする始末だが、現実は非情である。
「繰り返しますが、これらはこの春導入された時価会計の犠牲になった面が大きいですね。
府築紡績、月日住建、帝国ゴルフ振興、全部五和尾三のお膝元です」
お金は血液で例えられる。
会社や人という臓器を巡り、心臓というポンプ役を担うのが銀行である。
コール市場とかのインターバンク市場が大動脈だとしたら、これらの血管は毛細血管というところか。
その土地に根付いている銀行は、その土地の会社がぶっ倒れると対処をしていても深刻なダメージを受ける。
具体的に言うと、信用圧縮による貸し剥がしの横行。
私の前世において、北海道開拓銀行破綻時に北海道で起こった事が大阪で大炸裂しようとしていた。
そして、それが大阪を本拠にしていた五和尾三銀行を追い込む。
このまま行けば国有化は間違いなく、そうなる前にどこかの銀行に駆け込む事になるだろう。
この会議はその対策会議でもある。
「うちに駆け込む可能性は?」
「ないとは言いませんが、政府がうちをモデルケースにしている以上無理でしょう」
アンジェラの質問に一条が答える。
むくりと起き上がって、私は最低限の支援を口にした。
「五和尾三銀行との取引は継続して頂戴。
最悪、一兆円までならコミットメントラインを結んでもいいわ」
事前に期間・融資枠を取り決め、その範囲内であれば相手の請求に基づいて銀行が融資を実行することを約束する契約で、安定的な経常運転資金枠の確保や不測の事態への対応手段確保に利用される事が多い。
ここでそれを言い出すという事は、今、この瞬間は桂華金融ホールディングスが最後の貸し手として助けるという事を市場に宣言するに等しい。
「そりゃ、向こうは断りませんよ。
けど、桂華ルール適用で食べると政府に見られませんか?」
「市場の安定が第一よ。
忘れたの?
今、経営統合作業中の桂華商会は大阪に多く取引先を抱えているんだから。
上の動揺を抑えながら、下の取引先にも資金を回して、動揺を抑え込みます!」
私の凛とした声にアンジェラの隣りにいた、アンジェラの部下であるマークが一条に確認を取る。
「今のお嬢様の発言を受けてだが、うちは旧共鳴銀行系で大阪に関係がある。
その辺りの対策はしているのですか?」
「大阪本店に行員を出向させて、向こうに対策本部を既に立ち上げています。
貸出枠の拡大と専用窓口の拡大で状況把握に努めていますが、大阪にはあと数社危ない会社があって、何処まで広がるか見当も付きません。
安全地帯を見極めないと、助け船を出しても一緒に炎上するんですよ。
……失礼。
一条です……」
一条の携帯が鳴り、一条が会議中にも関わらず話をする。
つまりそれだけやばい話という事だ。
それを見ながら、私はちらりとマークの方を見た。
ここに来る前、アンジェラとの話し合いで得た情報を反芻する。
「彼の正体を探るな!?
どういう事なのよ!!」
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この時期の日本経済の不良債権額を舐めてはいけない。
数年後のリーマン「やぁ」
コール市場
金融機関同士で資金を貸し借りする市場
大阪
東京よりやばい土地絡みの不良債権の本丸は実はここ。
伏魔殿の関西国際空港を始め本当にここはもぉ……
この処理が実は大阪維新の会躍進の伏線になっていたりする。
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