血の一滴

 石油。

 現代社会に無くてはならないもので、これを巡って過去戦争まで起こったものである。

 基本的に資源を輸入に頼っているこの国は、特にこの産油国から輸入した石油を加工貿易のエネルギー源とすることで経済大国に成り上がった。

 そんな大切なものなので当然国が管理しようと動くのだが、お役所仕事は経済観念というか時間の規模が民間とは違う。

 国家百年の計なんてものは四半期決算に耐えられないのは当然であり、冷戦が資本主義陣営の勝利によって終わった事で、こんな事を考える輩が出てきたのは必然と言えよう。


「安定して石油が買えるのならば、大金出して掘るより市場から買ってしまえばよくね?」


 ここで注意しなければならないのが、この世界の石油輸入が私の前世と違っている所。

 私が暗躍したことも理由の一つだが、中東からだけでなく、結構な量のロシア産原油がこの国に入ってきているのだ。

 こういう状況で、密かにそれを憂いていた連中の一つが経済産業省である。

 何しろ石油開発公団の民営化が決まっており、その下の日樺石油開発には天満橋副社長のおっさんの話を信じるならば、二兆円という巨額の負債が隠されているときているのだから。


「しかしまぁ、なんでそれをこっちが受けると思っているのかしら?」


 九段下桂華タワーのムーンライトファンド中枢。

 そこで椅子に座った私のぼやきに藤堂社長が苦笑する。

 この辺りはその現場に居ただけに説得力がある。


「彼らの悲願の一つが和製メジャーの設立ですからね。

 それができる所にお嬢様が居る。

 だったら、仕掛けるでしょう」


 なるほど。

 ロシアだけでなく中東にも巨大な権益を持つ私だからこそ、和製メジャーの夢を見ちゃったか。

 理解はしたくないが、納得はできなくもない。


「けど、二兆円よ。二兆円。

 いくら私でも、この金額はきついわよ」


 それを藤堂はあっさりと言い切る。

 それが現場から見た私の立ち位置とでも言うぐらいに。


「そうですね。

 こういう言い方の方が適切ですので、こう言いますよ。

 『たった二兆円』です」


 唖然とする私に、藤堂はその『たった』の理由を告げる。

 その意味合いの重さと共に。


「世界第二位の経済大国へ運び込まれる原油総量の三割から四割を握れるのですよ。

 去年の日本の原油輸入金額の総計がおよそ六兆円。

 その三割をコントロールできるとしたら、二兆円。

 おまけに、原油価格は上昇基調にある。

 十年で回収できると思いますよ」


 石油王という言葉の重さを思い知る。

 何しろ日本には原油が出る油田がほとんどない。

 市場価格という言い値で買わないといけないのが原油というものなのだ。


「この話、乗れって言うこと?」


「そのまま乗るのは無理でしょう。

 ですが、お嬢様に利が無い提案でもないという事を、私はお伝えしたかったのです」


 私の持ち物を勝手に奪うのならば、当然私は抵抗する。

 だからこそ、この手の提案は私にも利がある形になっている。

 つまり、経済産業省幹部が差し出す私への利益は、和製メジャーの石油女王という事だろう。


「で、彼らが得る利益って何?」


「決まっているじゃないですか。

 組織がそこまで大きくなれば、中の人間が必要です。

 組織の乗っ取りですよ」


 株主として巨額の配当を受け取りつつ、中は彼らの好き勝手。

 もちろん、寄生虫として宿主を殺したら意味がないので、私に配当という形で支払いながらという事だろう。

 悪い提案ではない。

 強調するが、悪い提案ではないのだ。

 ただ一つ。

 ムーンライトファンドを差し出し、私が政治経済に関与するための手足が喪われることを是認するのならば。


「つまり、一昔前の桂華金融ホールディングスみたいになると?」

「それが一番分かり易いでしょうな」


 ただ、その一昔前の桂華金融ホールディングスよりもこちらの関与は低くなる。

 ここで、ムーンライトファンドの構造的欠陥が露呈する。


「会計制度も連結決算重視の流れが来ています。

 そうなると、ムーンライトファンドみたいな存在が会社組織の中にあるのがまずくなるのです。

 事実、天満橋副社長がムーンライトファンドの本社直轄を提案したのはこの流れがあります」


 で、そのムーンライトファンドの体裁を整えるならば、ついでに和製メジャー作りませんかという訳だ。

 実にいい感じに踊らされている気がするが、何か違和感を感じる。


「ん?

 このあたりの計画って、私が失う実権の代償みたいなものよね」


「ですね。

 さすがにお嬢様を押し込めるにはそれ相応の理由がいりますし、大人の都合でおもちゃを取り上げるのだから、相応のお小遣いはお渡しするという事でしょうな」


「そこよ!」


 私はバンとテーブルを叩く。

 ついに見付けた。

 奴らの計画の瑕疵。


「私、成田空港の一件で、表に立つ事で裏で手打ちはしているみたいなのよ。

 にも拘らず、どうしてこの計画が動いているの?」


 決まっている。

 世界第二位の経済大国相手の仕手戦という大仕掛け、一度動き出したら修正が効かないのだ。

 莫大な金と関係各所への根回しが巨大なシステムとして動き出しているため、排除対象の私が排除できないのに計画が進んでいる。 

 それは、一条の失脚のトリガーとなるはずだった新宿新幹線へのテロが失敗に終わり、義父上に恋住総理への反旗を翻させる事ができないというだけでなく、泉川副総理も離反させられない事を意味する。


「天満橋副社長に探らせましょう」

「おねがい」


 藤堂が対処のため一礼して部屋を出て行く。

 腕を組んで思考をまとめようとしたら、コトンと音がして目の前に冷えたグレープジュース。

 それを置いた岡崎が、呆れ顔で報告した。


「橘さんから第一報です。

 恋住総理、内閣改造を決意したみたいですよ。

 永田町は蜂の巣をつついたような騒ぎになっています」


 国会会期中の内閣改造。

 成田のテロ事件で野党の攻撃を受けているこの時期に、総理が内閣改造を決意する意味は一つしかない。


「つまり、総理はヤル気ね」


 内閣改造で中を固めて、会期末に解散に打って出る。

 同時に、これは私への踏み絵でもある。


「馬鹿だなぁ……」


 奴ら、とんでもない間違いを犯しやがった。

 あの政局の鬼の恋住総理を敵に回したのだ。

 あの悪魔に祝福された総理を敵に回したのだ。

 私が必死に敵から外れようとしているというのに、勝てると思い込んで喧嘩を売りやがった。

 どんな精緻な罠か知らないが、あの強運がそれを踏み潰す事を私は知っている。

 グレープジュースをちびちび飲みながら私はぼやく。

 岡崎がさもわざとらしく確認をとった。


「やりますか?」


「まさか。

 お手並み拝見といたしましょう。

 私を追い込んだ闇の某が、あの総理に勝てるかどうかを高みの見物と洒落込もうじゃない♪」


 そして、私は届かぬ呪いを虚空に吐く。

 とても楽しそうに、とても嬉しそうに。




「あれを、今のあの総理を敵に回してみなさい。

 運命が、世界が敵として襲ってくるわよ」




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石油公団自由化

 まさかこのあと原油が高騰するとは誰も思わなかったんだろうなぁ……


和製メジャー

 有名なのはセブン・シスターズと呼ばれた国際石油資本。

 なお、日本の石油元売りは今やJX・出光・コスモにまとめられている。

 新セブン・シスターズなんてのも出ているので、この業界今現在パラダイムシフトが起きているのかもしれん。


内閣改造

 第1次小泉第2次改造内閣。

 現実には9月22日。

 第43回衆議院議員総選挙は11月9日。

 それより早い、7月総選挙になる予定。


あの悪魔に祝福された総理

 感想に書かれていた小泉総理評。

 気に入ったので使うことにした。

 ネタ提供感謝。

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