一度目は悲劇として二度目は喜劇として
「あーうー」
「かわいいでしょ?」
生まれるはずのない命を眺めながら、私は桜子さんの言われるままに、その赤ちゃんの手を触る。
桂華院家本家。
生まれた甥を見にやって来たというのが今日来た目的の一つである。
「名前は何というのですか?」
私の質問に仲麻呂お義兄様は嬉しそうに答える。
その顔は父親の顔になっていた。
「道麻呂」
桂華院家は華族としては新興なので、名の継承で一族の結束を図ろうという事なのだろうなぁ。
この麻呂の名前を継がせることで、桂華院家の後継者としての立ち位置が約束された訳だ。
桜子さんが、私に楽しそうに尋ねる。
「瑠奈さんは今日は夕食を一緒に食べていかれるでしょう?」
「ええ。
久しぶりの本家ですから、みんなと一緒に食べようかなと」
「嬉しいわ。
学校のこととか聞きたかったのよ」
後で知ったが、桜子さんも実は帝都学習館学園出身である。
勉学についてはそこそこながら、教養と立ち振舞いは朝霧侯爵家によってしつけられ、岩崎財閥の政略結婚の大駒として育てられた彼女が仲麻呂お義兄様の所に嫁いだのは、桂華院家との絆というより、出来物として知られていた仲麻呂お義兄様を取り込みたかったのだろうなと思った。
事実、本家管理の桂華岩崎畑辺製薬は、メガファーマであるアーツノヴァ社との戦略的提携をうまく使って内部を舵取りしているのだから、無能であるはずがない。
お義兄様の事をアンジェラはこう評価しているのだから。
「有能ですね。
ただ一つ、足りている事を知っているという欠点さえ見なければ」
そう。
彼は正しい二代目・三代目の会社を維持し発展させるタイプの人材だった。
私みたいな、前世知識というズルがあるとはいえ、一から創業に近い拡張をする人材ではない。
そういう意味では、桂華グループの主流から本家が外れて私を頂点とした組織改編が進んでいるのも、この義兄が先に降りた事がものすごく大きい。
「桜子さん。
少し兄妹の話をしたいのだけどいいかな?」
「ええ。
今のうちにこの子を寝かせてくるわ。
終わったら呼んでくださいね」
新婚ホヤホヤなのだが、お義兄様は『桜子さん』呼びなのか。
そんなどうでもいい情報を入手しつつ桜子さんが退場すると、兄妹間の心温まる実に救いようのない話が始まる。
「桂華グループ内部で私を引きずり降ろそうとする動きがあります。
その原因の一つがあの子ですね?」
「ああ。
こっちでも必死に抑えているが、莫大な金が絡むと人はこうも狂うという訳だ。
覚えておきなさい」
私と桂華院本家との関係だが、私が女性であるという事が話をややこしくしていた。
つまり、どこの馬の骨ともわからない男が私を操って桂華グループを壟断する、という可能性が否定できないのだ。
まぁ、栄一くんや裕次郎くんや光也くん以上の馬の骨が出てくるなら出てこいという感じではあるのだが。
「本家が抑えきれないという事は、その周りですか?」
「正解。
この場合、二つのケースがある。
まずは、桂華院家の一族やその譜代たち。
彼らは、私達が捨てた桂華グループへの大政奉還を諦めていない。
父や私が桂華グループを率いるべきだという意見は、内外にくすぶっているからね」
ここでも中学生という年齢が足を引っ張る。
実質的支配者は私なのだが、その社会的な保護者という枠でこのお義父様やお義兄様を引っ張り出してしまうのだ。
保護者代理という枠で動けた橘が社会的な立場から退くデメリットがここで噴出していたのである。
お義父様やお義兄様を引っ張り出しておいて、実権は私が握ったまま。
『それはおかしくね?』という一族や譜代の意見が分からんではないのがまた……
とはいえ、一族と譜代なので無理はしないし、最後はお義父様やお義兄様が抑えるだろうと私は期待している。
問題はもう一つの方だ。
「で、もう一つが、私達に恩を売ることで桂華院家に取り入ろうとする連中だ。
これが思った以上に馬鹿にできないのだよ」
今の桂華グループは私が一代で作り上げたから、譜代も側近も基本居ない。
そのくせ、保護者として桂華院家が出てくる現状なので、
「桂華院家に恩を売ってお嬢様を引きずり下ろせば、桂華院家に取り入ることができるんじゃね?」
という忖度が働いてしまうのだ。
ここで厄介なのが、桂華院家がそれを認めた場合、華族不逮捕特権を行使できるから合法どころか非合法な排除も視野に入ってしまうという事。
これが結構あったから困る。
「桂華グループを瑠奈に渡した結果、こちらでもこの手の馬鹿の把握ができていない。
正直、いつ誰が暴発するか分からないから、橘にはそれとなく伝えているが、直接瑠奈にも言っておきたかったんだ」
仲麻呂お義兄様はため息をつく。
これが綺麗に編み上げられた一つの陰謀だったら話は楽なのだが、実際は複数の陰謀が私の引きずり降ろしという点で交わっているだけなのだから、厄介なことこの上ない。
おまけに、日本や世界の未来は一旦余所に置き、私の生存確率は私から桂華グループを取り上げた方が上がるという判断がこの馬鹿たちの行動をある程度黙認させていた。
何処にどれだけ馬鹿がいるか分からないので、私の押し込めと失脚というストーリーを流布して私の身の安全を図ろうとしている訳だ。
「お義父様はどこまで動きそうですか?」
「父はこの件に関しては動くつもりはないらしい。
その上、その引きずり下ろしに政府が関与しているのならば、枢密院にて瑠奈を守るために動くそうだ」
およそ考えうる限り最悪の行動に頭を抱える私。
だったらまずクーデターを止めろ……いや、私の身の安全を考えたら引きずり降ろしたほうが安全だから黙認するのか。
その上で、裏で糸を引いた政府に対しては私を、桂華院家を守るために立ち上がるという。
「止められませんか?」
「無理だよ。
父は少なくとも伯父さん、つまり瑠奈のお父さんの二の舞をさせるつもりはない」
淡々と話す仲麻呂お義兄様の声に、義父との間でかなり話し合ったことが察せられた。
そこで出てきた過去が私をぶん殴る。
「伯父を自殺に追い込んだのは時の立憲政友党政府で、米国の怒りを避けるためと、当時の加東官房長官を守るために伯父は詰め腹を切らされた。
父も私も瑠奈を伯父のようにしたくはないし、する気もない」
あー。
そりゃ、野党支持に行くわ。義父様……
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非合法な排除
要するに『犬神家の一族』における犬神家の家督継承。
あれかなり死んだけど、それを華族特権で罪に問わせないとなれば、ほら楽しいことに。
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