ルビコンの代償 その1
「……おえっ」
「お嬢様!!」
元砂漠の英雄が差し出したレポートを読んでいた私が嘔吐し、慌てて付いていたエヴァが私を介抱する。
アンジェラは隠していた事の暴露に怒り心頭だが、元砂漠の英雄は嘔吐した私を見て安堵のため息をついた。
「良かった。
これを冷酷に読み終えていたら、私はこの仕事を辞めようと思っていましたからな」
「なんてものを読ませるんですか!
周りが必死になって、隠そうとしていたのに……っ!」
アンジェラのその言葉でこのレポートの信憑性を嫌でも確信してしまった。
吐瀉物でまみれた口を濯いで、エヴァが差し出したハンカチで口を拭きながら私はレポートを投げ捨てた。
「これは何なの!?
こんなのが許されると思うの!!」
「ワシントンのシンクタンクが作成したイラク戦争における、米国が最効率のリターンを得るレポートです。
そして、感付かれたと思いますが、ワシントンではこのレポートを採用しようという声が日増しに高くなっています」
ユダヤ系のシンクタンクが出してきたそのリターンを得る手段とは、NBC全面使用によるイラク国民およそ2300万人を皆殺しにするという計画だった。
「レンティア国家というのはご存知でしょうか?
まぁ、産油国に多いのですが、土地による天然資源収入が国家運営を支える国とお考えください。
このレンティア国家は以下の特性があります。
政府財源が国内経済活動に関係がない。
天然資源生産に従事する国内労働者が少ない。
天然資源以外の経済活動が脆弱。
天然資源収入が国家財政に多大な影響を与え、その収入が輸出によって賄われている。
イラクはこれに該当します」
落ち着いた私に、元経済スパイであるアンジェラが解説してくれる。
こと、ここに至っては、隠すのは無理と判断したのだろう。
「それがどうして、イラク国民ジェノサイドって結論に繋がるのよ?」
「欲しいのはイラクの石油であって、人間ではないという事です」
とてもはっきりと力を込めてアンジェラが言い切った。
その断言に私は言い返せない。
「石油採掘は技術職が必要とされる産業です。
その技術職は、監督者は欧州から来てもらい、技術者も他の産油国で代替が可能です。
反米感情を持つ現地国民を雇う必要性があまりないのです」
だからこそ、あんな言葉が出てくるのだ。
『不良債権』 2300万人。
これらは、少なければ少ないほど米国の利益となる。
また、効率的に処理をする為に、核・生物・化学兵器の全面使用を提唱する。
その際に、油田地帯の施設を破壊しないように考慮する事。
人間ではなく不良債権。
彼らは人ですらない。数字なのだ。
その冷徹さとおぞましさに私は吐いたのだ。
大人たちがやっと私を遠ざけようとした理由が分かった。
私はこの戦争の、開戦理由・兵站・諜報に絡んでいる。
もし、大人たちに追い払われなかったら、私はこの2300万人殺戮計画に連名でサインをしている所だったのだ。
涙が出る。
大人たちの排斥が本当に優しさだと知ったから。
その上で、大人たちは国益の為に、この大虐殺をも是認すると分かったから。
「これは価値の問題でもあるのです」
私にハンカチを渡してくれたエヴァがアンジェラに変わって説明をする。
なお、エヴァはユダヤ人であると後で知った。
「9.11で亡くなった犠牲者が、どれぐらいのレートで交換できるのかという」
米国の戦略を挫折させた二つの事例がある。
ベトナムとソマリアで、この二つは現地米兵の犠牲が本土世論を揺さぶって、米国を敗北に導いた。
その成れの果てが9.11。
だからこそ、米国はレートの決定を迫られているのだ。
米国民を一人殺すならば、その百倍・千倍が殺されるというレートを世界に提示するために。
また、ジェノサイドの場合、後の統治についてあまり考えなくていいというのもある。
何しろ全員殺すのだから。
都市部無差別爆撃から始まって、鉄道や道路などのインフラ破壊に、見せしめとしての核攻撃。
あ、これ、1945の大日本帝国だ。
この世界において、ついに起きなかった事を、このイラクでするつもりらしい。
「湾岸の復讐でもあります。
このレポートを出したシンクタンクは、イスラエル政府の支援も受けていますから」
湾岸戦争時、中東戦争にリンクさせて米国の戦略そのものを瓦解させようとしたイラクは、イスラエルにスカッドミサイルを撃ちこんだ。
それをイスラエルが忘れるわけもなく、虎視眈々とその機会を窺っていたのだろう。
「どうしてこれを私に見せたの?」
やっと落ち着いた私は、元砂漠の英雄を睨みつける。
彼は私の視線を受け止めて口を開いた。
「お嬢様が用意した対イラクの準備は湾岸戦争を元にしていますね。
大体30万人の兵力を運用できる兵站能力を作ってもらっていますが、このレポートが出回ると共に、もっと少ない兵力でいいのではという声がワシントンの中で広がっているのです。
国務省や現場の将軍たちはこのレポートに反対していますが、ペンタゴンの中枢が乗り気で押し切られそうなのです。
彼らの力を抑えるために、お嬢様にも手を貸してもらいたいのです」
そんな連中の事を私は知っていた。
彼らの名前はネオコンサバティズム。
ネオコンと呼ばれる新保守主義者たち。
ワシントンでの争いが、私をルビコンの対岸に引きずり込んでゆく。
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レンティア国家の説明はwikiから。
NBC兵器
核 Nuclear
生物 Bio
化学 Chemical
監督者は欧州から
ナショジオの番組で『ドバイ国際空港』の24時間密着取材があるのだが、出てくる人間の上級役職のほとんどが英国を始めとした欧州で固められているのになんというか色々と思うことが。
人間の不良債権扱い
うろ覚えだが、見たのはギリシャ債務危機より。
『私達は借金では無く人間だ!』とギリシャでデモが起こったとか何とか。
なおギリシャの生活と借金の膨らみぶりを知れば知るほど、『こいつらいらなくね?』と不良債権扱いするドイツ人の気持ちが分かる。
ちなみに、「ギリシャ人居なきゃあの土地ロシアか中国が買って、借金解消できるだろ」という声はSWFの隆盛と絡んで囁かれた覚えが。
ワシントンのゴタゴタ
ネオコン
勝つことは分かっていたので最低限の兵力で攻めてさっさと撤退しよう
……なお、勝った後のことをほとんど考えていなかった模様
国務省
国連による大義名分を得てその後イラクの今後を考えよう
……なお、フランスの国益からの拒否で有志連合となり、戦後復興に多大な制約を受けた模様
CIA
イラク政府転覆計画を練っていたので、イラク戦後のプランを一番持っていた
……なお、9.11を防げなかった責任とアフガン戦で手一杯となって彼らのプランは日の目を見なかった模様
……もうちょっと真面目に戦争しようよ……リアルパイセン……
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