ムーンライトファンド インテリジェンス会合

「アフガンはどうやら峠を越えたな……」


 アフガニスタン北部の要衝マザーリシャリーフが北部同盟によって奪還されるという報告を聞いて、岡崎祐一はトレーディングルームでタバコを吹かす。

 モニターが並び世界中の情報が集まるここは九段下桂華タワーにあるムーンライトファンド東京本拠の中枢であるが、その主たる桂華院瑠奈は滅多に入らない。

 あまりにもタバコ臭いからだ。

 お嬢様への報告は、『謁見の間』と冗談で呼ばれるお嬢様の専用室で大体行われる。


「ヒヤヒヤしたわよ。

 いつ米軍が核で吹き飛ばされるのかって。とりあえずこれでパシュトゥン人武装勢力は核を持って無いと判断していいのかしら?」


 秘書姿ではあるが岡崎と同じくタバコを吹かしているアンジェラが厳しい視線でモニターを見ている。

 お嬢様が帰るまでにはシャワーを浴びてきっちりとタバコ臭さを消してみせるあたり、プロ意識は凄いものがある。

 今回のマザーリシャリーフ奪還作戦は、米軍の空爆という支援の下で北部同盟が自主的に奪還作戦を行なったというプロパカンダが既に流れている。

 その実態は、義勇兵という皮を被った連隊規模の米軍特殊部隊による強襲であり、米国大統領は核の脅しに対してただ一言「go ahead!」と言い放ち、核に屈しない米国の姿勢をこれ以上無く明確に見せ付けることになった。


「可能性があるとするならば、首都カブールだろうがここで核を爆発させると完全に民心を失う。

 守るべき首都の直近で核を爆発させたんじゃ首都を自らの手で潰すのと同義だからな。問題はパキスタンだ。はねっかえりが核を持ち込むとかの可能性は悪夢だし、無くてもパキスタン正規軍の兵力は脅威だ。

 必死に抑えてはいるが、かなりの数の義勇兵がアフガンに入っている。

 首都攻略戦はかなりきつくなるだろうな」


 北部同盟の将軍は戦力を温存し首都攻略に向けて準備を進めている。

 また、トルコに亡命していた別の将軍が他国の支援を元に帰国の準備を進めており、流れは完全に北部同盟に移っていた。

 とはいえ、パキスタンの動き次第ではインドが反応せざるを得ず、そうなったらアフガニスタンどころかインド・パキスタンまで巻き込む大戦争に発展しかねない。


「パキスタン軍内部の怪しい連中をアフガンの方に送り込んだという事でしょう。

 パキスタンの外交筋からは非公式ながら『彼らは義勇兵である』というコメントをもらっています」


 現役CIAのエヴァがメイド姿で淡々と言い放つ。 

 要するに、ゲリラとして処理してくれと暗に言っているに等しい。

 それぐらい、パキスタン内部の政情は不安定化しており、米国は彼らを吹き飛ばすためにもアフガン領内に航空基地を作る必要があった。

 その最重要候補地こそが、マザーリシャリーフである。


「やっぱりするの?」

「むしろしないほうがおかしいと思いますよ」


 岡崎はわざとぼかしてアンジェラに質問し、アンジェラははっきりと言い切った。

 二人の見ていたモニターに映っている地図の国名はイラクと言った。


「我々には敵が必要なんです。

 ツインタワーを吹き飛ばし、ホワイトハウスやペンタゴンにまで攻撃を仕掛けた悪の正体がこんな砂漠の民では合衆国の市民が納得する訳無いじゃないですか」


 アフガニスタンはあくまで前座。

 本命はイラク、いや、湾岸戦争のやり残しの清算こそが米国の意思。

 それぐらい米国は激怒していた。


「まぁ、真珠湾であんたらを激怒させてえらい目に遭いかかった国の人間として、何も言わないでおくよ。

 で、アフガンで核を撃つの?」


 米国が払う血の代償のデカさを察して岡崎の口も重たくなる。彼らを怒らせた代償に日本は第二次世界大戦だけでなく満州戦争やベトナム戦争や湾岸戦争で血を流し、北日本政府なんていう民族分裂の悲劇まで味わっているのだから。

 やられたらやり返すのが国家の面子というものである。

 ベトナムでの敗北で失った米国の面子は、結局湾岸での勝利まで回復しなかった。


「撃ちたいのですが、撃つものが無いんですよ」


 エヴァがかなり危ない発言をする。

 同時多発テロに炭疽菌テロという非対称の攻撃に対して、核を始めとした大量破壊兵器を米国がアフガンで使用しかけていたと暴露しているからだ。

 それが結局見送られる事になったのは実に簡単な理由で、核でぶっとばす価値のあるものがアフガンには無かったからである。


「米国は、この国がベトナムで行ったような『ナガシマ・ドクトリン』は使用できないんですよ」


 織田信長の長島本願寺攻めを手本にした『ナガシマ・ドクトリン』の戦略は至ってシンプルだ。

 敵及び現地住民までを海岸近くに密集させて逃げられないようにした上で、戦艦の主砲で全部吹き飛ばすという。

 テト攻勢時、派遣された自衛隊の受け持ちエリアでベトコンが壊滅して被害が殆ど出なかった代わりに、テト攻勢の政治的打撃の一つとして野党から猛烈な批判を浴びて内閣が吹っ飛んだこれは米国では対ゲリラ戦の切り札として研究が続けられ、湾岸戦争ではその作戦が大いに効果を上げる事になるがそれは別の話。


「それもイラクでやるつもりという訳だ。

 前座だからこそ、ここにかまけてはいられないか」


 岡崎がため息をつく。

 アフガン戦争は米軍は空軍と特殊部隊しかまだ派遣していないが、陸軍の派遣準備は進んでいた。

 問題はその陸軍の集結拠点が、バーレーンという事を除けば。

 島国バーレーンは隣国サウジアラビアと橋で繋がっており、サウジアラビアの隣がイラクである。

 当然PMCの集結地もバーレーンであり、既に米国PMC企業の皮を被った米軍が、桂華太平洋フェリーが保有する総トン数30000トン30ノットで、トラック搭載数300台、旅客定員1000人を超える超高速大型フェリー『ダイアモンドアクトレス』号と『ダイヤモンドプリマドンナ』号の長期レンタルを申し込んでいた。

 彼らはこの超高速大型フェリーが何を意味するのか、理解していたのである。


「あの船、東京と北海道の航路を結ぶやつだろう?

 代替どうするんだか……」


 岡崎のボヤキに返事をしたのは北雲涼子。

 警備部門との連絡係である。


「現在使っている船を延命して使うしか無いですね」


 『古い船舶を大切に末永く使いましょう計画』の発動である。

 なお、現在の船は14000トンぐらいの船で、四隻運行していたものを二倍の大きさの船で二隻運行に替える事を計画していたのだがめでたく白紙に戻ることになる。


「やるならば早く。

 ユーロが力を持つ前にです」


 アンジェラの一言が岡崎にとって容赦ない説得力となって耳に届く。

 ドルが金との兌換を停止しても未だハードカレンシーたり得たのは、石油取引決済がドルを中心にして行われていたからである。

 ところが、来年にはEUという巨大市場を背景にしたユーロが誕生する。

 既にイラク・リビアを始めとした反米国家では石油取引のユーロ決済を宣言しており、それは基軸通貨ドルの信用を揺るがしかねないものだった。そんな時に米国の面子が潰れていては通貨の主導権争いで勝てるものも負ける。なんとしても手ごわい敵に勝利して面子を回復させる必要があった。

 なお、リビアは同時多発テロ後から融和姿勢を見せているが、イラクは相変わらずだった。


「やるなら、うちが見付けた核関連のネタ?」


 岡崎のツッコミにアンジェラはただニコリと微笑んだ。

 今回の同時多発テロの背後に核を購入しようとしたイラクという分かりやすい敵を用意する。

 それで米国の正義は迷う事無くイラクに向けられるだろう。

 なお、イラクが湾岸戦争時に使ったロジックであるパレスチナ問題を封じるために米国はパレスチナ解放機構と接触しており、この騒動で米国の機嫌を損ねたイスラエルは大幅な譲歩を迫られる事になったのは言うまでもない。

 

「そのために国際社会の合意形成は大事っと。

 ただいま♪」


 有給をとって実家に里帰りしていたという名目でロシアに行っていたメイド姿のアニーシャがこの部屋に入ってくる。

 岡崎はお嬢様が目を付けた男という事もあって、諜報機関出身の女たちからすればハニトラ対象でもあるのでちやほやもする。

 もっとも、それに靡くが決定的な尻尾を掴ませない所が岡崎という男の有能さでもあった。


「おかえり。

 アニーシャさん。

 何か土産話はあるかい?」


「そうね。

 反大統領のオリガルヒの殆どが大統領に尻尾を振ったわ。

 これに伴って、軍部の掌握もほぼ終了したみたいね」


 岡崎が抜擢された、ロシア内部のクーデターの動きの詳細はこうだった。

 去年、ロシアの原子力潜水艦が北極海で事故を起こしてそのまま沈没。

 この責任を問われてロシアの国防相が更迭される事になったのだが、その国防相に連なる将軍たちも失脚する事になるので、生き残りを懸けてクーデターを起こそうとしていたらしい。

 で、それに資金を出していたのが、反大統領派のオリガルヒでメディア王でもあるロシア政界の黒幕と呼ばれる人物。

 それがバレて将軍たちは失脚しメディア王は国外逃亡。

 これがロシア国内のクーデター未遂の顛末である。

 なお、そのメディア王が新政権の神輿に使いたがっていたのが、桂華院瑠奈だった。


「今や大統領に逆らえる人間は居ない。

 居るとすれば、ロシアで『最後のオリガルヒ』って何でか呼ばれているうちのお嬢様ぐらいよ。

 という訳で、日露政府レベルで北樺太問題の解決に向けて話し合いがしたいらしいわ。

 現在我が国の外務省があのざまだから、うちのチャンネルにも振ってきたのでしょうけどね。

 向こうの最初の要求は唯一つ。


『お嬢様をロシア及び近隣国家の元首にしない事』。


 それさえ飲めるならば、柔軟な話し合いをする用意があるそうよ」


 アニーシャの話に岡崎が眉をひそめる。

 この話が出るのも、先のイラク戦を見据えた動きからだ。

 アフガンとは比べ物にならない中東での火種に備えて、極東方面の緊張を緩和したいのだろう。

 核紛失やチェチェンゲリラの蠢動など、ロシア内部は未だ盤石とはいい切れなかったのである。


「……後で橘さんを呼んで、お嬢様に話す事と伏せておく事を決めておかないとな……」 

 

「ちょっと!

 何よこれ!?」


 岡崎が声を上げたアンジェラの方を見ると、アンジェラはあるニュースに目をひん剥くばかりに驚愕していた。

 米国の権威ある経済誌が、ゼネラル・エネルギー・オンラインの不正会計疑惑を速報で流していた。



(……赤松商事が水事業をカリフォルニア州でゼネラル・エネルギー・オンラインと合弁で行うやつ、お嬢様のワガママで止めていたんだっけな。

 という事は、あのお嬢様これ知っていたって事かよ……怖ぇ……)



 岡崎は内心を声に出さず、代わりに出した声はこんなのだった。


「様子を見ながらですが、しばらくは原油を買い漁りましょう。

 イラク戦争が起こるならば、原油価格はいやでも上がりますよ」


と。




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マザーリシャリーフ奪還作戦

 ほとんどのりが『ガンダム』のオデッサ作戦なのは言ってはいけない。

 けどあの大統領あんなノリが凄く合っているから困る。


アフガンは前座

 これを書くために『溜池通信』の過去ログを見直しているけど、びっくりしたのは、2001年12月に『イラクまで行かない』なんて書いている点。

 裏返せばこの時点で『イラクまで行く』という声があった事を意味している。

 更に進んで、2002年一月の『悪の枢軸』発言に繋がるから、タイムスケジュールを逆算すると、テロ直後時点でイラクまで視野に入れた人がそれぞ米国政権中枢にかなり居たのだろう。

 つらつら読むと当時の米国の過激さが良くで出てて、『2002年イラク攻撃のタイムスケジュール』なんてワードまで出てくる始末。

 なお現実のイラク攻撃は2003年3月20日勃発。


ナガシマ・ドクトリン

 元ネタは『征途』。

 大和は記念館にでもなっているのだろうなぁ。

 ゲリラを住民もろとも吹き飛ばすというのは対ゲリラ戦術では間違いなく有効だけど、国際社会の非難よりやっている将兵の方が持たなくなるというデメリットが……


古い船舶を大切に末永く使いましょう計画

 元ネタはニコニコの『迷列車で行こうシリーズ』。

 魔改造ネタで一気に有名になった。



ユーロ

 2002年1/1から本格流通開始。

 イラク戦争陰謀論の一つに、ドル防衛の為のイラク攻撃というのがあって、この頃から原油相場はWTIだけでなく北海ブレンドというワードを商品先物で頻繁に聞くようになる。


ロシアの原子力潜水艦

 クルスク沈没事故。

 このあたりのネタ元は『ゴルゴ13』。

 あの漫画、知識があってネタを探すと本当にゴロゴロと使えるネタがあるから困る。


ロシアのメディア王

 ちょうどこのタイミングで失脚している。

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