カサンドラの慟哭 その4
世界が隠密裏に核テロの脅威と戦っていても、世間というものは関係なく平穏そうに動く。
この夏はアニメ映画監督の巨匠の新作が映画館を賑わし、東京湾には新しい遊園地の開園で多くカップルが賑わっていた。
平和である。
その平和が破られるという事が理解できないぐらいに平和だった。
「面白かったな。映画」
「そうかな?
あの余韻のぶった切り方は少しもったいないかなと思うけど。
TVでやっていた奴なんかはまだその余韻があったし」
「とはいえ、かなりの意欲作だぞ。あれは。
民俗学に伝承や風俗まで入れてる。
色々解説本を読んでいるが、よくぞあそこまで入れて、まろやかに仕立て上げたものだ」
「ん?
どうした?瑠奈?」
「ああ。
ごめんなさい。
ちょっと色々言えない事絡みで厄介事が持ち上がってね」
久しぶりに息抜きと、休日にカルテットのみんなで映画を見てアヴァンティーで駄弁っている所を突っ込まれて、私は苦笑しながらグレープジュースを飲む。
私がこの夏色々追われているのは知っているので、三人共心配そうな顔になった。
「大丈夫か?瑠奈。
何か手伝えるなら協力するが」
「その気持だけでも十分よ。
ちょっとこの話は政府レベルの話でね」
何度でも言うが、私達は小学生である。
その時点で政府レベルの話というのがおかしいが、それも更に輪をかけて話せないトップシークレットである。
裕次郎くんも会話に加わるが、さすがに泉川副総理が何に奔走しているかまでは知らされていないらしい。
「防災の日から丸々一月大規模災害訓練計画を都と行うとかで父も走り回っているからね。
桂華院さんもどうせそれ絡みでしょう?」
「当たらずとも遠からず。
事が事だけに色々と言えないことが多くてね。
うちの警備会社も参加するのよ。それに」
「ああ。
それはご愁傷様」
光也くんが納得そうに頷く。
この防災大訓練は史上空前の大動員をかけており、財務省でもその規模とそれに伴う支出に悲鳴を上げていた所だった。
東部方面隊の第一師団と近衛師団が動員され、警視庁も95年の新興宗教テロ事件以来の機動隊総動員でこれに対抗。
更に、法律改正で警備員等が警察の下請けをする事になり、彼らとの相互連携の確認を名目にしているから国内大手警備会社は全て、東京に警備員を送ってこの訓練に参加する事になっていた。
「うちなんて北海道の警備会社なのにこっちに出てくる羽目になって、宿が無いからって完成したばかりのフェリーを港に付けてそこを拠点にしているのよ。
九段下のビルがはやく本格稼働してくれないかしら」
なお、九段下のビルは既に本格稼働していたりするが、今回の件で北海道にいる主力をこっちに持ってきて対核テロに備える羽目になったのだ。
間に合ったと言うか間に合わせたというか、秋就航予定だった『ダイヤモンドアクトレス』号が東京港に横付けされて臨時拠点として大活躍している。
九段下ビルが中隊規模約200人の拠点で、『ダイヤモンドアクトレス号』には三個機械化歩兵中隊約600人が乗り込んでおり、都内で合わせて1個大隊約800人運用ができるようになっていた。
うちですらこれで、自衛隊・警察・消防・同業他社まで入れた総動員人数は軽く十万を越える。
そりゃ野党が『ちょっとした戦時』だの、『戒厳令同然』と騒ぐ訳だ。
それでもこの批判があまり話題にならないのは、この世界のこの日本が地域覇権国家として、戦争に関与して異国の地で血を流しているからに他ならない。
「ああ。そうだ。
それで思い出したわ。
はい♪」
実にわざとらしい話題変えで私は持っていた鞄から招待状を三通出してみんなに手渡す。
もっと前にスケジュールは告知しており、既に家からはOKが出ているのだけどこういうのは気持ちの問題だ。
「招待状。
手書きなのよ」
「ありがとう」
最初に受け取った栄一くんがお礼を言って、みんな受け取った後また雑談をして当たり前の日常を終えた。
今の東京は、災害訓練と称して街路に警官や警備員が物々しく立ち私達を見続けている。
「お嬢様。
良い報告と、良くない報告と、ものすごく良くない報告がありますがどれからお聞きになりますか?」
「全部聞きたくないというのは駄目?」
リムジンの中で、私は対テロモードに頭を切り替える。
私の軽口を無視して、アンジェラは良い報告から口にした。
「まずは良い報告から。
都内で爆弾用精密機械を購入していたロシア人を逮捕しました。
ソ連崩壊時に元北日本政府に逃れた流民の一人で、反政府活動の経歴がありイスラム過激派に傾倒していました。
警戒は予定通り月末まで続ける予定ですが、全貌解明のために共犯者等を取り調べているそうです」
その報告にため息をつく。
少なくとも、東京でのテロについては目立つものは防げそうだ。
ハッカーが情報を調べ、探偵が足で稼ぎ、警備員が原発及び核廃棄施設の警備を強化した結果、核廃棄物質の入手に手間取って足がついた格好となった。
「こっちはなんとか防げそうね。
で、良くない話とものすごく良くない話は何なの?」
「モスクワのアニーシャから報告が入りました。
紛失した核ミサイルですが、核弾頭は定数を満たしていなかったみたいです。
多弾頭ではなくその予備として秘密基地に残っていた500キロトンの核弾頭が二発。
まず間違いがないそうです」
岡崎の読みは外れて核ミサイルそのものはあったが、案の定報告については信用できないものだったらしい。
報告の不正確さは社会主義あるあるではあるが、これが悪い報告というのが気になった。
「良くない報告には聞こえないわね。
少なくとも最大20から二発に減った。
良い報告じゃないの?」
「問題は核弾頭の行方です。
ミサイル搭載列車はカザフスタンの方に逃げたのは間違いがないですが、その逃亡資金として核弾頭はその時に既に売却されていたそうです。
ルーマニア旧秘密警察に」
あ。
たしかにこれは良くないニュースだ。
孤児を抜擢し教育を施した者たちで構成されたルーマニア秘密警察は、当時のルーマニア大統領の子どもたちと恐れられ革命時にも大統領側に立ち、革命後はその組織は解体され弾圧された。
その結果、多くの元秘密警察の人間は犯罪組織に身をおとしていると噂されている。
また、バルカン半島は人身売買や武器・麻薬までのブラックマーケットのメインルートとなっており、ルーマニアに核弾頭が消えたという事は欧州のブラックマーケットに核が流れた可能性が高い。
「黒海からルーマニアに上げられた核弾頭はロマに偽装した秘密警察員の手によって陸路ハンブルクに渡って、そこから海路どこかに消えたそうです」
ルーマニアからハンガリー、チェコスロバキア、ドイツと陸路を通ってときたか。
このルートは流石に予想していなかった。
しかもロマに偽装してという事は欧州のどす黒い闇の所を隠れていったわけだ。
流浪の民である彼らに対して欧州は弾圧の歴史があるがゆえに、ロマ達は迫害されると同時にそのコミュニティーに政府側は強い関与ができない。
黒海故にトルコで網を張っていた我々は見事に裏をかかれてた訳だ。
「ブラックマーケットに流れたのに、その情報がこっちに漏れなかったわね?」
「それが、ものすごく良くないニュースに繋がるのですが、ソ連のクーデター軍にスポンサーが居たんです。
ソ連軍保守派および、旧ルーマニア秘密警察を使って核を手に入れたがったスポンサーが。
核弾頭はそこに運ばれたと考えています」
アンジェラはそのスポンサーを告げた。
出てきた名前は、ある意味納得ができるものだった。
「リビアとイラクです」
ああ。
そういう伏線だった訳だ。
その後の国際政治を知っているからこそストンと腑に落ちる私が居た。
「既に米国ではIAEAに訴える準備を始めています。
インテリジェンス・コミュニティーでは、これら二カ国がスポンサーとなってテロ組織を扇動し、テロを起こそうとしていたと判断。
東京でのダーティーボムテロ未遂を陽動として、本命が米国及び欧州で起こると警戒を……」
その時、私に衝撃が走る。
そう。防いでしまったのだ。
核テロを。
その結果、誰もが核テロ対策にシフトした隙をテロリストは突く格好になってしまう。
「他の陽動とかはありそうだけど、どうするの?」
ここで飛行機が突っ込むなんて言っても意味がない。
もっと大きなリスクが目の前にあるのだから。
だから元CIAのアンジェラは私を安心させようと、決定的な一言を私に言い切った。
「たしかに起こる可能性はありますし、未然に防ぐ努力はします。
ですが、核テロやダーティーボムが炸裂した場合、その被害は想像もつかないものになります。
そのため、陽動テロについては『コラテラル・ダメージ』として割り切ることもまた必要なのです」
知っていたのに。
私はそれを起きないようにと祈る事しかできない。
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アニメ映画監督の巨匠の新作
『千と千尋の神隠し』。
最初あの余韻ぶった切りの終わり方になんだコレと思ったけど、TVで何度も見るようになるとあれも味があっていいなと思えるようになったから不思議。
新しい遊園地の開園
『東京ディズニーシー』。
作者はディズニーランドには行ったけど、ディズニーシーには行ったことがない。
近衛師団
うまく立ち回って残っている設定。
第二次2.26事件時の自衛隊の治安出動の主力の一つ。
皇居警備の他に厚木か横田か立川のどこかに駐屯地を構えていると妄想。
ルーマニア秘密警察とロマ
このあたりを知る切っ掛けになったのは、保険のオプの考古学者先生の漫画から。
改めてあのあたりの話を読むと欧州の闇が深い事深い事。
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