9月11日 その1
その日は多くの人にとってごく普通の一日だった。
少なくともその日を境に世界が変わるという事を知っている人間は居ないはずである。
……私を除いて
2001年9月11日。
この国の人達はいつもより多い警備員や警官に疑問を持ちはすれども日常を演じ、ニュースは他愛のない芸能ニュースで盛り上がり、美味しいスイーツの話題で時間を消費していた。
会社ではいつもの仕事をいつものように行い、学校では不景気だった経済が少し明るくなりそうなので就職を何にしようかと考えたり、冬の受験に向けて勉強をしたり。
恋に遊びに勉強に、日常は変わることなく、それが永遠に続くかのように飽きもせず繰り返されてゆく。
午後になると主婦は掃除や洗濯が終わって晩御飯の献立を考えながら買い物にでかけ、学校の終わった子どもたちはTVゲームに興じる。
そんな当たり前の日常。
誰も世界が変わることなんて気付きもしないし、望んでも居なかった。
「周辺の警備はどうなっている?」
「既に警護課の指揮の元で、都内要所に警備員を立たせ、官邸から九段下までのルートは複数確保しているそうです」
「台風がやってきているから、首都圏の警戒は厳重に。
災害名目に大動員をかけているんだから、被害を最小限にしろよ」
「ネットの情報で怪しいものは無いか?」
「日本周辺でテロを示唆するものはありませんね」
「色々なコネに当たってみたけど、こっちもそれらしいものは無いみたいです」
都内でダーティーボムのテロを行おうとしたロシア人の捜査だが、そのやり取りがネットを通じて行われたものであり、指示は海外からのアドレスになっていたのが捜査を厄介にさせた。
それでも、このテロ未遂は爆発物製造を行おうとしたという罪で逮捕されたと発表され、世間はこのニュースをほとんど気にしていなかった。
マスコミが気にしているのは、今日の夜に行われる九段下桂華タワー落成パーティーであり、ゲストとして時の人である恋住総理の動向や私が何を歌うのかぐらいなものだった。
「北部同盟の将軍がテロに襲われたって本当!?」
パーティー会場の準備を放り出して、私はムーンライトファンド東京本拠のトレーディングルームに飛び込む。
情報を統括していた岡崎が苦笑しながら、その報告を私に告げた。
「お嬢様の心配どおり、報復テロでしょうな。
どこから情報が漏れたかを考えると、一番現地に近い彼が候補に上がるだろうから、どっちにしても狙われる。
警告とこちらから護衛を送ったのが功を奏した形になって将軍は無事です」
そこで言葉を区切って苦笑が完全な苦り顔に変わる岡崎。
間一髪だったからこそ、その場に彼自身が居ないのがもどかしいのだろう。
「ただ、仕掛けてきたテロリストは自爆。
背後関係を洗いたい所ですが、世界中の諜報機関はそれどころではなくて核テロの恐怖に大慌て。
正直、東京は一月と期限を区切っての大動員だから良いものの、欧米のその手の筋は終わりの見えない残業で24時間拘束されて他の業務に支障が出だしているみたいです」
少しずつ仕掛けが露わになってゆく。
それでもこのテロの全貌は私にも分からない。
少なくとも私が知っている世界では核なんてものは出てこなかった。
「その将軍とのパイプは絶対に確保して頂戴。
今後、その将軍がキーマンになるわよ」
「わかりました。
お嬢様。
少しよろしいですか?」
真顔で岡崎が私を見る。
久しぶりに私についている橘に頷いて、私のオフィスに岡崎を招き入れた。
「率直に聞きますが、お嬢様。
この事態を予想なさっておられましたね」
聞いていた橘が何か言う前に私が手で制する。
打つ手打つ手が正し過ぎるから、誰かが感付くだろうとは思っていた。
それでも私は無駄だと思いながらもとぼける。
「その根拠は?」
「打つ手が的確過ぎます。
そのくせ、起こるかもしれないのに、資産整理に手を付けていない。
損が出ることを前提でこのテロの阻止に動いている。
そこから考えられる事を納得するのに、酒の力を使う羽目になりましたよ」
私は笑顔のまま岡崎を睨みつける。
それが真実だからこそ、足掻いて、足掻いて、それでもなお己の手が小さいことを思い知らされる。
「お嬢様。
貴方本当に小学生ですか?
このテロの本質が劇場型犯罪であり、テロが目的ではなく手段である事に気付いている。
だからこそ、ここでは資産整理をせずに、各国情報機関がお嬢様を疑う事ができないようにした。
ここまでした上で、テロで市場が混乱して損まで出したら、少なくとも第一容疑者からお嬢様は外れるでしょうな」
「……起こるなと思ったのは、インド西部地震で人道支援を始めた頃よ。
アフガニスタンの過激派がバーミヤンの石仏を破壊した時に私は確信に変わったと言ったら貴方信じる?」
「そういうことにしておきましょう。
俺はオカルトは信じないたちなので。
ですが、現在狼狽えている米国はTVドラマじゃないですけど、超常現象を扱う部署がある事をお忘れなく」
そこで私を脅迫でもしてくれたらまだ気が楽なのだが。
少なくとも彼は私の味方である事を選択したらしい。
つまり、彼と私の契約交渉なのだ。これは。
「で、何時から疑っていた訳?」
「そりゃもう最初から」
そう言って岡崎は懐から大事に折り畳まれた一枚の小切手をヒラヒラと見せる。
彼がもって来た情報の報酬として渡した私の小切手で金額は未だ書かれていない。
お守りだそうだ。
「あの情報にはそれだけの価値があったから払ったのだけど?」
「違いますよ。お嬢様。
これを出したことで、お嬢様はロシア大統領に全賭けした。
一つの決断が別の側面の影を浮き立たせる。
これはそういう事なんですよ。
あとは疑念を持って調べれば出るわ出るわ。
お嬢様。
お嬢様はここぞという時の全賭けが神がかっていますよ。
この間の参議院選挙もそうだ」
小切手を懐にしまって岡崎は飴を口に咥える。
煙草を吸うのだが、私が煙草を嫌うので私のいる場所では飴で我慢しているらしい。
「あれは恋住総理の高支持率を見れば当然じゃない?」
「ええ。そこまではいいですよ。
それに乗る形で、東京・神奈川・千葉・樺太、ついでに比例と取れる所を総取りで持っていった。
おまけに幹事長が選挙の仕切りができない事をいい事に、副総裁と副総理に権限を集中させて、独立王国と名高い立憲政友党参議院幹事長に貸しを作る始末。
完勝で幹事長の面子は丸潰れ、参議院幹事長は副総裁と副総理に高い借りを作ってこの大規模災害訓練という対テロ行動を賛同させた。
その読みは小学生の読みじゃないですよ」
「失礼な」
実にわざとらしく怒るが、ここだけは全力を出したのだ。
知っているから。
今日という日の意味を知っていたから。
だから持てる力の全てを出したが、届かなかった。
あとはもう祈ることしかできない。
「で、そんな貴方に私は何を見返りにすればいいのかしら?
赤松商事の社長?
億万長者?
私以外だったらそれぞれ美女を花束のように用意してもいいわ。
大概のものは用意できるわよ♪」
「それを小学生が言うあたりシュールを通り過ぎて何か色々と悟りそうですな。
俺が欲しいのはそんなものじゃないですよ」
とてもいい笑顔で岡崎は笑う。
これが彼の本性らしい。
「お嬢様。
貴方が世界に紡ぐ歴史を特等席で見させてくれ。
そのチケット料金として、お嬢様の手足として動く事を約束しよう」
「橘。
これ使えると思う?」
「これでも使わないと、我々は手駒が足りません」
「お嬢様に橘さん。
これ呼ばわりはひどいですよ」
岡崎が笑うがこっちはため息をつく。
ある意味趣味人であり、組織への忠誠より己の興味を優先。
分かりやすい一匹狼だが、こちらは信頼できる人間がとにかく居ない。
そして、信頼できる人間で、忠誠を期待できる人間は橘と一条しか居ない現状、岡崎は手放せない人材だった。
「いいわ。
こき使ってあげるから覚悟しなさい♪」
「女王陛下の仰せのままに」
岡崎が頭を下げた所で、岡崎と橘の携帯が鳴る。
トレーディングルームからの緊急コールだ。
私は頷いて、二人を連れてトレーディングルームに入ると、アメリカからの緊急電が届いていた。
この部屋に残っていたアンジェラが顔を青ざめさせながら報告した。
「米国からです。
コロラド州で核廃棄物を搭載した貨物列車がトレインジャックされ、デンバーに向かっているそうです。
FBI、州兵、米軍が動いて対処に当たっているそうです」
世界が変わる瞬間。
その舞台の幕が上がった。
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台風
たまたまyoutubeにあの時のニュースが上がっていたので見たけど、台風がやって来ていたらしい。
そのニュースを読み上げる前に、飛行機がツインタワーに突っ込んだのだが。
TVドラマじゃないですけど、超常現象を扱う部署
『Xファイル』。
ここまでやることなすこと的中させていたら未来予知を疑われて、良くて実験監禁。
悪けりゃ、某型月世界の封印指定よろしく脳髄ごとホルマリン漬けという可能性もワンちゃん。
もっとも、この世界には魔術師が居ない上に、血脈と資金とコネと実績が良い感じで絡みまくり、手を出したら総攻撃を受けることになるのだが。
デンバー
郊外にロッキーフラッツという核兵器製造施設があった。
『アトミックトレイン』はそのあたりはちゃんと設定練っていたんだなと書きながら納得。
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