デザイナーメモ 核のお話

 この世界に於いて、実験以外で核が投下されたケースが4つある。

 一つが第二次大戦時のドイツで、ドレスデン・ライプツィヒ・ケムニッツの三都市で死傷者は数十万人に及ぶ。

 これはノルマンディー上陸作戦の失敗で第二戦線の構築が遅れた事と、日本帝国が政変で連合国側に降伏し太平洋戦線の戦力を投入できた事、それに伴う戦力の再配置で時間が掛かった事が挙げられる。

 この結果、44年の連合軍の第二戦線はイタリア半島に集中し北部イタリアで戦線が膠着。

 東部戦線はソ連軍がドニエプル川を突破し、ドイツ軍の全面敗走が見えだした頃、日本軍が欧州戦域に到着。

 45年のクレタ島奪還、ロードス島奪還、ギリシャ解放作戦、イタリア戦線等に投入されて、独伊軍が奔走している間に英米主力軍が南仏上陸作戦を敢行。

 ヴィシーフランスが崩壊すると、カレー上陸作戦とパリ開放でフランス領内のドイツ軍は崩壊。

 東部戦線でもバグラチオン作戦でソ連領内のドイツ軍を一掃する事に成功するが、この段階で連合軍はドイツ軍の反撃に悲鳴を上げるようになる。

 ジェット機の投入でドイツ領内の制空権をドイツ側が一時的に取り戻すと、∨2ロケットの生物化学弾頭使用でロンドンを始めとした連合国諸都市が大パニックに陥り、これらが報復としての核兵器使用を決断させたと言われる。

 45年8月の三都市核攻撃の後、ドイツ内部でクーデターが勃発。

 総統の死亡と連合国への降伏という事で第二次世界大戦は終結し、飛び地となった東ベルリンとポーランド-チェコスロバキア-ハンガリー-ルーマニアの線で鉄のカーテンが引かれて冷戦が始まる事になる。


 最後の核が落とされたのは満州戦争で、場所は虎頭要塞。

 第二次世界大戦で甚大な被害が出たにも拘わらず取り分が少ないと感じたソ連が中国共産党を利用して満州を騒乱状態にし、それを支援するという形で義勇兵を派遣して満州戦争が勃発。

 満州の帰属を巡って連合国と交渉中だった日本帝国は米軍に支援を要請して満州戦争が勃発する事になる。

 一時期は、遼東半島まで押し込まれた日米軍だが、攻勢を凌ぐと反抗を開始。

 ソ連は満州ではなく樺太に侵攻して日本の目を逸らそうとしたが失敗し、満州より中国共産党及びソ連義勇軍が駆逐される寸前で、この核攻撃は行われる事になった。

 虎頭要塞は開戦冒頭でソ連軍の猛攻撃を受けてソ連軍に多大な被害を与えながらも玉砕。

 その後ソ連軍の拠点として整備されていたが、満州戦争における共産軍全面崩壊時にソ連はここで開発に成功した核兵器を味方ごと炸裂させ、世界第二位の核保有国になった事を宣言。

 これにびびった米国が手仕舞いを進め、北日本人民共和国の建国黙認、満州を国民党に譲渡しそのまま国共内戦に雪崩込むのだが、黄河堤防破壊等で河北の民に恨まれていた国民党はこの国共内戦に敗北。

 共産勢力が掃討し終わっていた満州に逃げ込むことで国共内戦は一応終結し、現状となる。

 この結果、共産中国とソ連は良好な関係を維持せざるを得なくなり、ベトナム戦争では日米軍に一矢報いる事になる。




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ここで出すという事は……


第二次大戦

 44年に日本が連合国に降伏し対枢軸宣戦しているので、核が落ちていない世界線になっている。

 スターリングラードドイツ勝利だけど息切れ>>ハリコフ攻防戦・クルスクでソ連勝利から反攻>>ドニエプル川とかなり粘られて海軍支援が行える地中海で日本が暴れてあとは本文の通り。


4発目の核

 もちろんベルカ式国防術のオマージュ。

 やるとしたらあの人ぐらいだろうなぁと思いつつ、史実より早く死ぬ(意味深)んじゃなかろうかと心配する今日このごろ。

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