カサンドラの足掻き その1
2001年。
この年は歴史のターニングポイントであり、多くの人たちの運命がここで変わろうとしていた。
太平洋上で起こった米軍の原子力潜水艦と実習船衝突事故では、泉川副総理が危機管理担当大臣として終始指導をしたが、裏返せば林内閣そのものが指導できない機能不全に陥っていたからである。
もちろん理由は財団法人中小企業発展推進財団の汚職事件だ。
村下副総裁が議員辞職の後逮捕、さらに現役閣僚が辞職に追い込まれて、その支持率は低空飛行どころか墜落寸前だった。
そんな中で経済界でも激震が走る。
業界最大手だったスーパー太永のカリスマ会長がついに辞職し、グループの解体に動き出したのである。
帝西百貨店も最も高値で売れるコンビニ部門の買収に名乗りを上げたが、撤退。
これで、破綻したサチイの救済に次いで二連敗となったのだが……
「これ、邪魔が入っていますよね?」
秘書として付いたアンジェラの一言が耳に痛い。
困った事に事実で、私はなんとか笑顔を作ってごまかすしか無かった。
何しろ相手は、財閥の宿敵である独占禁止法の番人である公正取引委員会なのだから。
独占禁止法は太平洋戦争後に連合国からの政治介入によってできた法律だが、戦後の財閥解体が行われなかったこの日本において、財閥を宿敵とするのはある意味定められた運命とも言えよう。
そのため、時勢に応じてあの手この手で財閥を弱めようとし、政府与党と連なる財閥を敵にしている事から、規制緩和を狙う外資系企業や野党系の影響力が強い政府組織でもあった。
彼らはこのバブル崩壊とIT革命をチャンスと捉えて、財閥を解体し健全な経済状況を作ろうと奮闘し、それは半ば成功していた。
地方財閥や中小財閥は次々と耐えきれず崩壊し、大手財閥ですらその中核である金融機関が不良債権建処理に沈んだ結果、多くの企業が独立しITバブルでベンチャーが生まれて健全な経済活動が行われつつあったのである。
政商として君臨し、必死にその経済活動を支え続けた桂華グループを除いて。
いや、桂華グループとて岩崎財閥に飲み込まれる事で生き残りを図ろうとしたから、私がかかえる企業群と言った方が正確か。
彼らは、私の功績は評価しつつも、これ以上の私の活躍は阻止したいらしい。
その結果としての企業買収二連敗である。
サチイ救済とスーパー太永のコンビニ部門を買収すれば、スーパー太永以上の巨大物流企業の誕生を意味するのだから。
「アンジェラ。
基本米国政府は我が国の規制緩和については歓迎する方向だったわよね?」
「ええ。
もっとも今の政府はお嬢様に物を言うほどの度胸はないと思いますけど?」
さらりと共和党政府をDISるアンジェラは民主党員である。
これで、合衆国そのものにちゃんと忠誠を誓っているのが、あの国の凄い所だと思う。
政権交代に伴って米国内部では人事の大移動が継続中であり、その機能は平時より低下していた。
「まぁ、いいわ。
しばらくはおとなしくする予定って、あなたの旧友あたりに伝えておいて」
私の言い方にアンジェラの目が細くなる。
間違いなくCIAとのラインは切れていない。
ならば、遠慮なく利用させてもらおう。
「はて?
なんの事やら」
「いいけどね。
ここから独り言を言うわよ」
独り言なのにアンジェラの前にレポートを投げ出す。
インド西部地震で復興支援にあたっている、現地駐在員からのレポートだった。
「あっこがきな臭いのは知っていると思うけど、そのきな臭さ煙が上がっているわよ。
あまり良い傾向じゃないみたい」
インドとパキスタンの対立は宗教対立であり、カシミール地方を巡る領土対立でもある。
何度か軍事衝突も起こしており、それでも地震という自然災害においてパキスタン政府は人道支援を申し出て、インド政府もそれを受けいれていた。
なお、両国とも核保有国である。
「インド政府への支援物資をパキスタンで調達したのだけど、それがどうもアフガニスタンの政権にまで流れているみたいなの。
で、彼ら水面下で武器調達を私達に依頼してきたわよ。知ってる?」
私の一言にアンジェラはレポートを読みだす。
その目には、驚きが隠しきれていなかった。
この手の災害の復興支援には基本現地政府の手を借りなければならない。
今回のケースだと、日本が金を出してパキスタン政府に渡し、パキスタン政府が人道支援として物資をインド政府に渡す。
その調達から運搬を日系企業、今回は赤松商事が担当し、現地の企業を使ってそれらを管理運営するという形である。
問題なのは、現地企業が支援資金を着服する所ではなく、いやこれだけでもかなり問題なのだがそれは置いておく。
その管理運営している赤松商事に対して、現地企業が物資調達を依頼し、その物資がアフガニスタンに流れるという点だった。
現在アフガニスタンの大半を制圧している政権は、93年の貿易センタービル爆破事件を始めとした対米テロを起こしているテロ組織を匿っているとして、米国を始めとした世界から非難を受けていた。
そんな彼らはこれが返事と言わんばかりに、バーミヤンの仏像をこの間派手に爆破して世界に衝撃を与えたばかりである。
「総合商社は『ラーメンからミサイルまで』と調達できるものが多いわ。
これ幸いと、色々調達したいのでしょうね。
我が国は北日本政府が無駄に作った旧東側製武器の処分に困っていた所だし、今の政府の惨状だと政商である桂華財閥が話せば通るかもしれないと考えたのでしょう。
甘いもいい所です」
調達要求リストには、東側の武器弾薬から戦車に戦闘ヘリまで欲しいと来たもんだ。
明らかに戦争準備に入っている。
おまけに、その資金源だがパキスタン政府の資金ではない別の資金が入っている影がある。
「お嬢様。
すいませんが、これ、お友達に流してもいいですか?」
「もちろん。
私の所で止めた意味もちゃんとアピールしてよね♪」
案の定、アンジェラからもたらされた私の報告に米国政府は驚愕した。
政府レベルでの協議が行われ、林総理に米国大使が原子力潜水艦衝突事故について謝罪するという政治的演出が行われたのは、このレポートのおかげだろう。
それでも、支持率は上がらず、ついに林内閣は総辞職を決断する事になる。
かくして、時代が求めた天才的役者が政治舞台に立つ。
彼に対して私はどう接すればいいのか、まだ掴めていなかった。
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この先を書くために『小泉純一郎・進次郎秘録』(大下英治 2015年イースト新書)を買ってきた。
あの2001年総裁選は本当に華々しい劇場の幕開けだったのに、資料は驚くほど少ないんだよなぁ。
実習船衝突事故
えひめ丸事故。
これで森政権はとどめを刺された。
現役閣僚の辞職
この人の評価も難しいというかなんというか。
山田洋行事件にも絡んで防衛庁長官を辞任に追い込まれている。
それでも、時の政権中枢に食い込んで派閥のボスにまで登っている。
カリスマ会長
現実より経済状況は良いから、余力を残しての退場である。
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