桜並木文学談義

 帝都学習館学園は、華族や財閥の御曹司が通う学校だけあって都内にかなり大きな敷地を持っている。

 その校門には桜並木が植えられており、春になれば桜が在校生を出迎える。

 桜はちょうど見頃で、私は少し早く家を出てちょっとしたお花見と洒落込むことにした。

 その桜並木では先客が一人佇んでいた。


「おはよう。桂華院。

 桜を眺めていたのか?」


「ええ。

 綺麗だなって思って」


 桜並木の中央に立った光也くんは桜に連れ去られるかのように美しく、そして儚かった。

 そんな彼の隣で私も桜並木を眺める。

 青空の下程よいそよ風が光也くんと私の髪を揺らし、はらはらと花びらが舞い落ちてゆく。

 それはなにかの舞踏のようで、日本人の多くが桜を好むのも納得するなと思ってしまう。


「知ってる?

 桜の下に何か埋まっているって」


「梶井基次郎『桜の樹の下には』だろう?

 桂華院も読んでいたのか」


 そしてそのまま会話が途切れるが、その沈黙は嫌いではなかった。

 金髪についた桜色の花びらを摘んでその手を離す。


「近代文学の文豪たちって結構好きなのよね。

 その生き方とか」


「……本気か?」


 怪訝そうな目で見る光也くん。

 当時の文豪たちの生き様はなかなかダメ人間な生き方が多かったのだ。

 それでも彼らは、ペンから吐き出された文章というものによって肯定された。

 圧倒的な芸術というものは、善悪や道徳を吹き飛ばす凄さがある。

 私はそれを太宰治の『走れメロス』で思い知った。

 『走れメロス』の元ネタとは提示されていないが、絶対に影響あっただろうよ。

 宿代払えなくなって友人を借金の形として宿に置き去りにした太宰治先生よぉ。

 話がそれた。


「私は近代日本文学の文豪たちで誰か一人の作品を挙げるならば、芥川龍之介の『杜子春』を推すわね」


 杜子春が大金を得て散財して没落するが、没落時の人の冷たさに愛想を尽かして仙人になろうとした話だ。

 その修業で、杜子春は母への思いを捨てることができなかった。

 まだ何処かでこの生を借り物と考えている私がいる。

 そんな私に、芥川龍之介の『杜子春』は人間らしい生き方とは何かを突き付けてくれた一冊である。

 これから私は莫大な富を得る事が確定しているのだから。


「俺は新美南吉の『ごん狐』かな」


 悪さをしたごん狐が反省して人の役に立とうとしたが人によって撃ち殺され、その善行は死んで初めて露見するという実に救いのない話である。

 困ったことに、こんな事がこの世の中ありふれているからまた救いがない。

 光也くんは唯我独尊系ぼっちだから、そんな彼が選ぶ物語とは少し違うなと私は違和感を感じた。


「またどうして?」


「現実って救いがないなって教訓話としてこれ以上ないから」


 小学生がする会話ではないな。改めて思うと。

 互いにランドセルを背負っているのが、かえって滑稽に映る。


「もしかしてだけど、光也くんは大人になりたいと思っているの?」


「また唐突だな」


「大人びている、いや、大人になろうとしている。

 そんな風に思っただけ」


 私の言い方が気に入ったのか、光也くんは少し笑って、私の質問に首を縦に振った。

 その言葉に決意が宿っている。


「そうだな。

 早く大人になりたいと思っている」


「もったいないなぁ。

 子供である時間って貴重なものよ」


「帝西百貨店グループの顔になったお前が言っても説得力はまったくないな」


 ですよねー。

 そこで口を閉ざす私に光也くんは己の思いを口に出した。


「ここ最近父が帰ってくるのが遅いんだ。

 例の事件で、いろいろ大変らしく、朝早くから夜遅くまで仕事漬け。

 顔すら見ないことが多くなっている。

 何もできないのがもどかしくて、何か両親の手伝いができたらと思うけど、結局俺にできるのは勉強だけだ」


 何もできないというもどかしさが分かってしまうからこそ、はやく大人になりたいのだ。

 けど、親の心子知らずで、親からすれば子供が子供らしく育つだけで嬉しいものという事を光也くんは理解できない。

 私も前世でこれを理解して、やっと大人になったと思ったものだ。


「いいんじゃない?

 私なんて、両親は桜の樹の下よ」


 あっさりと言った私に光也くんはバツの悪そうな顔をして謝る。


「すまない。

 桂華院。

 軽率な発言だった」


「いいわよ。

 そんな事もあって、なんだか私の生は宙に浮いている感じがするのよ。

 もし私が杜子春と同じ場所に立った時、私は声を上げることができるのか?

 正直、分からないのよ」


 風が舞って、花吹雪が私達の視野を奪う。

 光也くんが私の目を見て告げた。


「桂華院は桂華院だよ。

 俺の知る桂華院ならば、きっと声を上げるさ。

 『仙人なんてつまらない』と言ってな」


「ぷっ。なにそれ?」


 鐘の音が鳴る。

 そろそろ朝礼の時間だった。


「行きましょう。

 遅刻しちゃうわ」


「ああ」


 光也くん。ごめんね。

 多分、今の私、既に仙人みたいなものなのよ。 

 だから、その事だけは光也くんだけでなく他のみんなにも秘密にしておこう。




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桜の樹の下には

 死体が埋まっている。私がこのフレーズを知ったのは実はCLAMPの『東京BABYLON』だったりする。

 昴流と星史郎さん好きだったなぁ。

 ああなるなんて……


走れメロス

 なお、メロスじゃなかった太宰先生はいつまでも帰らず、しびれを切らした友人が行くと、将棋を打っていたらしい。

 ぶん殴っていいと思う。


杜子春

 なお原作は仙道の話が絡んでかなり鬼畜な模様。

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