第参章
千里を駆ける虎も時には休む
一週間。
恐怖の大王との戦いにて負傷した
相棒のシルヴェストール・エルネスティーヌ――愛称シルヴィは、ここ一週間ずっと見舞いにやって来ていた。
陰陽師の、それも男性寮。
周囲からは奇異の目で見られる事もあり、少々恥ずかしい。
が、元はと言えば自分の力不足が招いた結果なのだから、毎日の見舞いは必須。ペアになったのだから当たり前の事で、恥ずかしがる必要性は本来ない。
そう言い聞かせ、十二天将白虎の称号を預かる虎徹の部屋へと赴く。
何となく前髪を弄り、身なりに乱れはないか確認し、バスケットの中身を改める。そうして大きく深呼吸し、ノック。数拍の感覚を開けて、彼と同室の魔導書少女が返事を返す。
入ったシルヴィの目にまず最初に映る光景はと言えば、返事を返してくれた少女――ミシェル・
「来たか」
「来たか。じゃないです! 今すぐやめて下さい! ミシェルちゃんも危ないですし、あなたも絶対安静と言われたのでしょう?! 何で毎度毎度、扉を開ける度に筋トレしてるんですか!」
「体が鈍る」
「だからって限度と言うものがあります! せめてミシェルちゃんを重し代わりにするのを止めて下さい!」
ミシェルの両脇を持ち上げ、ゆっくりと下ろす。
虎徹は重し代わりにしていたが、彼女自身そこまで重くはなく、強いて言うならば軽い方。
だがどうも、それは今の内の話で、魔性を封印すればするほど重くなり、体も成長していく仕組みなのだと、最近になって本人から聞いた。
今の彼女は12、3歳くらいだが、虎徹が保護した時は5、6歳くらいだったそうだ。
だがどちらにせよ、彼女に戦闘能力もなければ自己防衛能力も乏しい。
大事に扱うのは必至なわけで。
「もう、ミシェルちゃんも虎徹の無理に付き合わなくていいんですよ?」
「でも楽しいよ? さっきもブンブンやったし」
「ブンブン?」
「うん! 虎徹ぅ、やってぇ」
「ん」
向かい合って、すかさず足払い。
側面に倒れそうになるミシェルの体に手を添え、流し、回す。
勢いを増しながら空中で側方回転するミシェルの体が、風を切ってブンブンと言い始めた。
ミシェルはキャッキャッと楽しそうだが、とても安全とは言い難いのですぐさま中止。二人並んで正座させる。
「今の含め、危険な体術訓練は全て禁止です! 特に安静を命じられている今のような状況なら尚更です!」
「虎徹怒られてるぅ」
「ミシェルちゃんもです!」
「ぶぅ」
虎徹の性格上――いや性質上、ミシェルに対して警戒こそすれ、構ってやったりはしないと思っていた。
だが一応、危なっかしくも利用しつつでありつつも、彼女を相手に構っているのだとわかった一週間は、ちょっと有意義だったようにも思える。
が、だからと言ってこの危ないトレーニングを容認して良いはずはないので、こうして全力で止めるのだが。
「安静にはしている。今出来る最低限のトレーニングついで、これを黙らせているだけだ」
「とか言いつつ、何だかんだ遊んでくれてる。虎徹、優しい」
「そうか」
「ん」
「そうか」
「優しいのは否定しませんが……もっと付き合い方を考えて頂きたいですね」
「そうか」
「はい。考えて下さい? 虎徹」
「ん」
なんて説教してみるが、虎徹からシルヴィへの御咎めはない。
本当ならば、先に自分が言われるべきなのだ。
十二天将のペアを名乗るなら、もっと力を付けろ。今のままでは弱過ぎる、と。
鍛えるべきは虎徹ではなくシルヴィの方で、見舞いなどではなく、鍛錬、練磨にこそ時間を費やすべきであり、出来ない虎徹の分まで、シルヴィが時間を割かなければいけないのだと、虎徹に指摘されて然るべきだった。
しかし未だ一度も、虎徹は彼女に何も言わない。何も求めない。
肩を並べて戦うペアと認められても、互いに意見し合えるだけの仲に至れていない証拠であり、彼がまだ、他人との在り方を理解出来ていない証拠と言えた。
せいぜいがミシェルのような、戦いと絡めた関わり合いしか――そこまで考えて、シルヴィは思い付いた。
虎徹とコミュニケーションが取れる。そして、自分の罪悪感をも払拭出来る術を。
「虎徹。少々お話しませんか? 柔軟体操をしながらでも」
★ ★ ★ ★ ★
体術の重要性は、陰陽師、
魔性を倒すには強力な術が必要である事は否定しないのだが、術を重きに置く考え方が浸透し過ぎる傾向が顕著に表れており、結果、ここ数年の術師の平均体力は低下傾向にあった。
故に体術訓練場に人が来る事も珍しく、更に言えば強い術を持つが故に今の地位を得たはずの十二天将が来るとなると、場は一瞬でも騒然となって、誰もが一切の行動を停止させた。
「失礼。お邪魔します。が、生憎と彼は見世物ではありません。皆、各々の訓練ないし特訓に戻って下さいませ」
シルヴィの一声で、皆が自分の時間に戻る。
いるのは訓練生ばかりで、少しでも強くなろうともがき、足掻いている最中だ。
当然そんな彼らにとって、特に陰陽師にとって、十二天将は憧れの的であるはずだが、当然と言うべきか。金刀比羅虎徹にそんなファンは一人もいなかった。
「ではストレッチを」
「わざわざ訓練場に来てまで、やる事か」
「二人でやるには、あの部屋は狭いですから」
「……そうか」
「えぇ、そうです」
きっとずっと横になっていたせいで、体も凝り固まっているだろう。
そう配慮し、広いスペースを借りての伸縮運動を提案したのだが、杞憂だった。180度開脚した虎徹はそのままシルヴィの補助もなく前のめりに倒れ、地面と顔を接触させたのである。
「か、体柔らかいのですね……」
「柔軟な体は、戦いに必要だからな。おまえは……やらないのか」
「へ? え、えぇ。やりますとも」
実はそこそこ体が柔らかく、柔軟性に自信があったシルヴィは、それなりの反応を求めていたりしていたのだが、まさか虎徹が自分以上に柔らかいと思っておらず、妙に意地を張る感じになってしまった。
結果、どうなったか。
「……どうした」
「……」
「戻れないのか」
「……す、みませ……手伝って、貰って、いいでしゅか……?」
「ん」
(もういっその事、笑って下さい……!)
虎徹に負けじと顔を突こうとしたらそのまえに胸が邪魔をして、せめて顎を突こうとしたら背中がピキッ、と短い断末魔のような悲鳴を上げたので体を動かせず、患者の虎徹に助けを乞うと言う何とも恥ずかしい結末を迎える事となったのだった。
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