043 風の精霊ジン



 進めば進むほど風が強くなる。しかしそれは、その先に『それ』が存在する、なによりの証明であった。

 風の精霊ジン――四大精霊の力は、伊達ではない。

 それは、炎の精霊イフリートの時にも垣間見たことであった。決して見かけ倒しなどではない。その力は紛れもなく強大であり、味方にすれば確かに心強いが、敵に回せば『恐ろしい』の一言では片づけきれないほどである。

 そしてそれが今、更なる現実となって、目の前に現れたのだった。


「……こりゃ、とんでもないな」


 皆で一旦地上に降り、それを見上げながら、ウォルターは呆然と呟いた。


「誰かから言われなかったら、アレが精霊だなんて思わないぞ」

「うん。あたしもそう思う」

「ぼくも」


 アニーとノアも直立不動でそれを見上げる。

 もはやイフリートみたく、獣の形にすらなっていない。大きな風の塊がしっちゃかめっちゃか大暴れしているようにしか見えない。それでも精霊であることに変わりはないため、アニーとノアはその塊から、精霊の魔力を感じてはいた。それでも本当に精霊なのかと半信半疑でいたが。

 それこそセブリアンたちから、事前に説明の一つでもなければ、目の前の光景を簡単に受け止めることはできなかっただろう。


「なんかすごく暴れてる……ホントになんとかできるのかな?」

「あぁ、まだ手遅れにはなっていない」


 不安そうな表情のノアにセブリアンが答える。


「あくまで魔力を制御できていないだけだ。完全に呑まれたわけじゃなく、まだ辛うじて正気を保っている。恐らくあれでも、かなり抑えているほうだ」

「……そうなんだ」


 セブリアンの言葉にアニーが呆然とした表情を浮かべる。その気持ちはノアも、そしてウォルターも同じくであった。


「オオオオォォォ――――」


 風の音によく似た声が聞こえてきた。必死に抑え込もうとする、苦しみを抱えたその声に、アニーとノアは痛々しい気持ちに駆られる。


「……ノア。やっぱりイフリートの時と同じだね」

「うん。すごく苦しんでる。きっと必死に頑張ってるんだ」

「分かるのか?」


 セブリアンが目を見開きながら振り向くと、双子は揃ってコクリと頷く。その視線を暴走する風の塊に向けていた。

 そしてそれは、ウォルターたちも同じくであった。


「人里離れたこの場所で暴れてるのも、精霊がここを選んだからか」

「えぇ、恐らくそうでしょう」


 ウォルターの言葉は、ヘラルドも考えていたことだった。


「もし本当に正気がないのであれば、ここに留まらず、常に魔界中を移動しながら暴れているほうが自然です。なのにジンは、今のところ綺麗なまでに、人里を避けていますからね」

「つまりそれだけ、魔法をコントロールする意識は残ってるってわけだ」

「そうなるでしょうね」


 ヘラルドはそう言いながらも、心の中ではこうも思っていた。早くしないと手遅れになってしまうと。

 それはもはや考えるまでもないことであった。


「――ノア!」


 頭で思うよりも先に動いていた。セブリアンの声を完全にスルーし、ノアが風の塊に向かって走り出す。

 ヘラルドが剣を抜こうとしたところを、ウォルターが止める。

 その視線は、ノアとジンにまっすぐ向けられていた。臆する様子はない。ジッと目を逸らそうとせずに、最後まで見守ろうとする意志が込められていた。

 それを感じたヘラルドも、身構える姿勢こそ保ってはいるが、今にも飛び出す姿勢は抑えた。

 あの小さな精霊の子供を信じよう――そう思ったのだった。


「オオオォォ――」


 暴走するジンの動きが変わる。近づいてくるノアの存在に気づいたのだ。

 ブワッ――と、凄まじい風をピンポイントで発動させる。ノアに分かりやすい警告を与えていることは、誰が見ても明らかだった。

 しかしノアは決して止まらない。それ以上近づくな――そんな気持ちを込めたジンの強風にも、顔をしかめるなどのことはあっても、引く様子は見せない。


「オオォ――オオオオオオッ!」


 まるで叫び声の如くジンは風を発動する。それは刃だった。鋭い風が刃と化してノアに迫り、彼の服や肌を傷つけていく。


「うぁっ……!」

「ノア!」


 アニーが叫ぶも、ノアはまっすぐ前を向くことを止めず、歩き続けた。

 怖さも痛さも存分に味わっているはずなのに、ノアは燃え尽きず、むしろより闘志を燃やしているようにさえ見えた。

 やがてジンに近づいたノアは、目を閉じながら両手を伸ばす。

 ジンは再び風の刃を勢いよく発動させた――と思いきや、その刃は見当違いの方向へ飛んでいった。


「オオォッ――オオオォォーーーッ!」


 必死に耐えるかのような声が聞こえてきた。まだジンは意識を保っている。ノアを傷つけまいと、必死に耐えた上で魔力を放出したのだ。

 そしてそれが大きなチャンスと化す。


(今だっ!)


 ノアが力を発動させた。その力はジンの奥深くまでスルッと入り込んでいく。

 阻もうとしていた風の動きが、段々と変化していく。まるで体内に入り込む厄介な異物を、吐き出そうとしているかのようだった。


「な、何が起こっているんだ――?」


 目を見開くセブリアンに、ウォルターがニッと笑いながら答える。


「あれがノアの力。魔力操作ってヤツさ!」


 魔力操作――その言葉どおり、魔力を操る力を意味する。

 大気中の魔力は勿論だが、ヒトや魔物などに宿る魔力をも操ることができ、暴走した魔力を抑えたりすることも可能であった。最初は対象の魔力を読み取ることしかできなかったノアも、山奥の村からイフリートとともに旅をする間に、それが少しずつできるようになったのである。

 もっとも、ここまで膨大な魔力の操作は初めてだった。

 なのにノアは、それを堂々とこなそうとしている。

 実践による極限の状態の中で成長する――それをまさに実現している形だった。


「オオオオォォォ――――」


 ジンも叫ぶ。先ほどの暴走とは違い、確かな意志が込められていた。

 自分を助けようとしてくれている子供の気持ちに応えるべく、これ以上呑み込まれるような真似はしない。そんなジンの気合いと根性が、やがて暴走した魔力をみるみる抑え込んでいく。

 もう二度と暴走はしない――その気持ちを吐き出すかの如く、ジンは凄まじい風の魔力を、空に向かって思いっきり放出する。


 ――ゴウゥォオオオオォォーーーッ!


 空に昇る風が、漂う雲を全て吹き飛ばしてしまった。そして砂煙が晴れ、ようやくウォルターたちもその姿を確認する。

 風の塊が、ヒトを形作った生き物の姿と化し、ノアの前に降り立った。


「きゃっほぉーいっ♪」


 風が躍るように、ノアの周りを吹きつける。ミントグリーンのサラサラなツインテールに、パッチリとした深緑色の目。その可愛い顔立ちと明るい声は、まるで双子たちと同じ年頃の、立派な『女の子』にしか見えなかった。


「風の精霊……ジン?」

「うん♪ キミのおかげでジンは助かったよ。どうもありがとう♪」

「……そっか。よかった」


 そしてノアも、ジンを見上げながら笑顔を浮かべた。それに合わせてジンもノアの周りを嬉しそうに飛び回る。

 まるで同い年の友達とじゃれ合うように。


「な、何なんだアレは……」


 セブリアンはその後ろ姿を、呆然とした表情で見上げていた。


「ジンの暴走は……収まったのか?」

「えぇ。恐らくそのようですね。先ほどのような暴走は、もうしないかと」


 ヘラルドが周囲を見渡しながら言う。雲一つなくなった青空と、穏やかな風が流れてゆくその光景は、とても明るく見えていた。


「爪痕こそ大きいですが、最悪の結果は免れました。今はそれを喜びましょう」

「あぁ。ノアにも感謝しないとな」


 セブリアンが頷きながら視線を向けると、そこには――


「おとーさん、ぼくやったよ!」

「あぁ、頑張ったな!」


 あちこちに切り傷を作りながらも笑顔で抱きつくノアと、それを大きな腕で受け止めるウォルターの姿があった。


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