039 魔界王家の親子たち



 時は少し遡り、魔界の城にて――

 魔界の王子セブリアンは、父である魔王バルドゥイノの執務室に呼び出された。これはとても珍しいことであったため、自分が何かやらかしたのかと不安を覚えたセブリアンであったが、その心配はすぐさま杞憂に終わった。


「――こうして対面して話すのは久々となるな」


 バルドゥイノはセブリアンを抱き締める。執務室に入るなりすぐさまの出来事で、殆ど成す術もなく、父親の成すがままとなる形となった。


「父上……まさかこのためだけに、僕を呼び出したんですか?」


 顔を埋めながらも、完全に呆れ果てた声を出すセブリアン。この展開は、実のところ初めてではないどころか、珍しくもない。むしろ顔を合わせない日が続くと、高確率でこのような出来事が発生するのだ。

 セブリアンも鍛錬や習い事で多忙な日々を送っており、このパターンをすっかり忘れていた。故に対応しきれなかったことを、心の中でひっそりと不覚に思う。

 もっとも、そんな息子の気持ちなど、父親のほうは微塵にも察していなかったが。


「流石にそんなわけがなかろう。無論、これを必要としていたことは確かだがな」

「……自信もって言わないでくださいよ」

「何を言うか。親が息子を抱き締めるのは当然のことだろう?」

「それ以前に僕たちは、魔界の王とその王子ですけど」

「だからなんだ?」

「いえ……もういいです」


 これ以上は何を言っても無駄だ――セブリアンはそう察した。とりあえずこのまま好きにさせたほうが良いと、そう思ったのだった。

 それから三分ほど、たっぷり息子の温もりを堪能したバルドゥイノは、名残惜しそうに放す。


「さて、前置きはこれぐらいにして、そろそろ本題に入ろう」


 コホンと咳ばらいをし、表情を引き締めるバルドゥイノ。そこだけを切り取れば、凛々しい魔王の姿として捉えられるのだが、その前の姿を見ているセブリアンからしてみれば、冷めた表情をするような感想でしかない。


「カルメリタ――いるな?」

「はい」


 執務室の片隅から、宮廷魔導師のローブを身に纏う女性が登場する。

 彼女の名前はカルメリタ。魔界の王宮に勤める宮廷魔導師の中でもトップの立場にあり、二十代中盤にしてその座を射止めた魔界の若きエリート魔導師として、その名を広めていた。

 ただし彼女は、良くも悪くも『魔法一筋』であった。

 暇さえあれば研究室に篭って魔法の研究をしているような女性であり、そんな彼女に近づこうとする男性は、お世辞にも多いとは言えなかった。

 それを本人が密かに気にしていたりするのは、ここだけの話である。


「まずはこの、魔法水晶に映し出される映像をご覧ください」


 彼女もこれまでの親子のやり取りは見ていたはずだが、それを丸々見なかったことにしているらしく、何事もなかったかのように水晶をセッティングする。

 そして魔力をかけて起動させ、親子の前に映像が浮かび上がった。


「これは……」


 セブリアンが驚きの声を出す。

 そこには大きな獣に乗って平原を走り抜ける、三人の人間の姿がった。セブリアンと同年代くらいの子供二人と、青年が一人。親子と呼ぶには年齢が近いように思えてならないが、この映像だけでは判断することはできない。

 しかしながら現状は、それ自体は些細な問題に過ぎなかった。


「――この幼子たちが『精霊の子』だというのか?」

「はい。間違いございません」


 バルドゥイノの問いかけに、カルメリタが表情一つ変えずに答える。


「私が研究している、風の精霊ジンの魔力の形式から判断いたしました。この子たちの魔力が精霊のそれであることは、まず確定と言えますね」

「そんなに違うものなのか?」

「はい」


 セブリアンが問いかけると、カルメリタは引き締めた表情で頷く。


「精霊の魔力自体が、魔族や人間の魔力とは大きく異なります。私のような研究者の目にかかれば、むしろ判別は容易だったくらいですね」

「そうか……」


 セブリアンは呟きつつ、水晶玉の映像を凝視する。彼も興味が湧いていた。特にその精霊の子たちが、自分と同じくらいの年齢であるため、尚更だった。

 するとここでセブリアンは、子供たちと一緒に映っている青年に注目する。


「ところで、この男は何者なのだ?」

「普通の人間のようです。彼からは全く魔力を感じられませんでした。ついでに言わせていただくと、これといった特別な力もなさそうですね」


 つまらないと言わんばかりにカルメリタが言う。遠回しに才能がないと卑下していることは明らかであった。

 何だかんだで彼女も、立派なエリート思考の魔族だったりするのである。


「調べた結果、精霊の子たちは保護者とともに旅をしているそうです。恐らくこの男がそれなのでしょう。父親かどうかは分かりかねますが」

「この者たちの目的は?」

「少なくとも物見遊山でないことは明らかです。見てのとおり、この獣は四大精霊の一種であるイフリート。それに大きく関係している可能性は高いかと」

「ふむ……」


 バルドゥイノは顎に手を添える。


「ならば、直接こちらから接触して、確かめてみるほかないな」

「ですが父上。それは少し危険が伴うのでは?」

「イフリートに用心さえすれば、恐らく問題はあるまい。見たところ、人里を避けているようだからな」

「えぇ。それは私も思いました」


 カルメリタも同意する。


「そしてこの道のりは、海を目指しているようです。この魔界からであれば、海を渡るだけで簡単に近づくことは可能でしょう」

「そうか。ならば話は早い」


 バルドゥイノはニヤリと笑い、そして息子に視線を向ける。


「セブリアン。魔王として、お前に特別任務を与える」

「と、特別任務?」

「そうだ。彼らと会って話をしてこい」


 誇らしげに言い切る父に対して、セブリアンは戸惑うばかりであった。


「話って、一体何を……」

「昨今、魔界でも精霊による被害が増えている。特に――」

「それは僕もよく知っています! 父上にお聞きしたいのは、なぜその役目が僕なのかという点です!」


 遂にセブリアンは立ち上がり、厳格な表情を浮かべるバルドゥイノに対して、声を荒げ出した。


「父上がこの者たちに接触したい理由は、僕もなんとなく想像はつきます。だからこそ僕なんかより、ヘラルドやグラシアなど他の者たちを……」

「セブリアン」


 突如、差し込むような声が響き渡り、セブリアンは硬直する。目の前の父が、鋭い目つきで見上げていることに気づいたのだった。


「これは魔王としての『命令』だ。お前に拒否権はない」

「し、しかし……」

「お前は所詮、我の血を引くだけのただの小さな子供に過ぎん。我に進言できる立場かどうかくらいは、お前も理解くらいはできると、我は思っていたのだがな?」

「ぐっ……」


 そう言われてしまっては何も言えない。まだ八歳の彼ではあるが、立場を持ち込まれればどうにもならないことは、良く知っているのだった。

 故に――


「承知しました。その役目、このセブリアンが謹んでお受けします」

「おぉ。そうかそうか。お前ならそう言ってくれると、父は信じていたぞ♪」


 セブリアンが渋々ながら頷くと、バルドゥイノは打って変わって、心から嬉しそうな笑顔を見せる。

 しかしその表情は、すぐさま引き締められるのだった。


「一応言っておくが、これは決してお遊びなどではない。しくじったらそれ相応の罰があると思え。たとえ息子だろうと、私は決して甘くないぞ?」

「……心得ております。早速、行ってまいります」


 セブリアンはペコリと頭を下げ、そのまま執務室を後にする。これ以上、余計なことを言われたくないという、心の表れであった。

 やがて執務室の扉が閉められたところで、バルドゥイノはため息をつく。


「やれやれ、ようやく行きおったか。あのバカ息子が……」

「魔王様も魔王様だとは思いますけどね」


 水晶玉の映像を閉じながら、カルメリタは苦笑する。


「厳しい言葉の中にも、親バカっぷりはちっとも隠せていませんでしたよ?」

「何を言うか。我は決してそんなものではない。ただ息子を愛しているだけだぞ」

「えぇ。重々心得ておりますとも」


 カルメリタは軽く流した。どこまでも堂々と言い切るバルドゥイノの様子に、これ以上の追及は無意味だと判断したのだ。

 ついでに言えば、これも初めてというわけではないため、尚更だった。


「それでは、私もこれで――」


 カルメリタは淡々と言いつつ頭を下げ、水晶玉を持って退出する。それと入れ替わる形で、ヘラルドが入室した。

 バルドゥイノは側近の顔にチラリと視線を向け、小声で呟くように言う。


「――頼んだぞ」

「はっ」


 それだけのやり取りを交わし、ヘラルドはすぐさま退出した。そして誰もいなくなった部屋で、バルドゥイノは目を閉じる。


「……幸いなことに件の精霊の子供は、ヤツと同じくらいの年頃だ。ついでに色々と交流を深めてくれば、ヤツもいい経験になるだろう」


 もしもその呟きを聞いた者がいたとすれば、誰もがこう思ったことだろう。

 やはりあなたはどこまでも、超が付くほどの『親バカ』であると――


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