038 異変の増加
――ザザーン、ザザーン。
波の揺れる音が心地よく響き渡る。なによりその壮大な光景に、ウォルターたち親子は圧倒されていた。
「凄いな……これが『海』っていうのか」
「広いねー、ノア」
「ん。世界の果てまで続いてそう」
三人とも、海を見るのは初めてだった。
ずっと山に囲まれた環境しか見てこなかったため、ここまで世界は広いのかと思い知らされる日が来るとは、夢にも思っていなかったほどである。
「ねぇ、パパ。これからあたしたちは、この海を渡っていくんだよね?」
「そういうことになるな。その先にある魔界を目指すんだ」
アニーの問いかけにウォルターが答える。
「今のところ、四大精霊の居場所が分かっているのは、魔界しかないからな。人間界のほうで居場所が分かれば、直接そっちに行ってたんだけど……」
「それは我のほうで、引き続き探るとしよう。故に――」
イフリートは獣姿のまま、重々しく頭を下げる。
「済まないがお主らを案内できるのは、ここまでとさせてもらう」
「あぁ、分かってるよ」
ウォルターもすぐに納得の意を示す。
「流石に炎の化身ともなれば、海との相性が悪いのは仕方ないもんな」
「うむ……我一人ならば魔界へ行くことは造作もないのだが、お主らを連れてとなると厳しいものがある」
「そうだよね」
「ん。こればかりはどうにもならないよ」
双子たちもすました笑みを浮かべる。分かっているよ、という意思表示であった。
そんな二人の頭を撫でつつ、ウォルターも優しい表情で見上げる。
「ここまで連れてきてくれて、本当にありがとう。後はこっちでなんとかするよ」
「すまん。お主ら親子の健闘を祈る」
イフリートは言い終わると同時に体を光らせ、そのまま消えるように飛び去る。殆ど一瞬にして姿が見えなくなり、どこへ向かったのかは、肉眼で確認することもできないほどであった。
しかし今生の別れなどではない。
それが分かっているだけに、三人揃って気持ちは落ち着いたままであった。
「さてと……問題はここからどうやって魔界へ行くかだな」
ウォルターたち親子は、改めて海のほうを見る。
「人間界から魔界に渡る船なんか、どこを探しても出てないだろうし……」
「泳いで渡るってムリかな?」
「できるわけないよ。ここから見えもしないのに……そもそもアニーは泳げるの?」
「え? 川遊びはすっごい好きだよ?」
「……そう」
首を傾げる双子の姉に、ノアは項垂れる。追及する気力を失くしたのは明らかで、その意味をアニーはまるで理解していなかった。
いずれにせよ、手立てが全くないことに変わりはない。
自分たちだけではどうにもできないと分かり切っているだけに、ウォルターたちも考えが出せないでいた。
その時――
「えっ?」
彼らの目の前に光が現れた。ウォルターがきょとんとしている間に、光は魔法陣となって形作られる。
「ね、ねぇ、ノア! これって……」
「うん、間違いないよ!」
半年前、イフリートの一件で見た光景とよく似ていた。アニーとノアは、瞬時にその時と同じだと判断する。
「おとーさん、何か出てくる!」
ノアがそう叫んだ瞬間、禍々しい魔力に覆われた魔物が、魔法陣からゆっくりとせり上がってくる。
ズズズ――そんな擬音が轟く。まるで地獄の底から来たと言わんばかりに。
「ノア、行くよ!」
「うんっ! おとーさんは下がってて!」
父を庇うようにして、双子は颯爽と魔物の前に躍り出る。
早速ノアが両手を突き出して力を発動。ぼんやりと両手が光り出すと同時に、魔物の動きが鈍り出す。
「ノアの力が効いているのか……」
ウォルターの目にはそう見えた。動きたいのに動けない――そんな魔物のもどかしさが、重々しい呻き声となって表れている。
「ノア、そのまま!」
アニーがそう叫びながら、うごめく魔物に近づき、その体に触れる。今にも暴れ出しそうな雰囲気を醸し出す中、アニーは臆することなく、冷静に浄化の魔力を送り込んでいく。
「グウウォォオオオ――」
「頑張って! もう少しだから!」
呻き声に対して、アニーが必死に声援を送る。徐々に魔物から、禍々しい魔力が薄れていき――やがて綺麗に消え去った。
「……グルルォ」
魔物はすっかり大人しくなり、ジッとアニーを見下ろす。アニーは魔物から少し離れつつ、ニッコリと眩しい笑顔で見上げていた。
そのまま見つめ合うこと数秒――魔物は軽く頷き、踵を返して歩き出す。
最初から何事もなかったかのように、どこかへ去ってしまった。
「アニー、うまくいったね!」
「うん♪」
姉弟で喜びのハイタッチを交わす。そして二人は、見守っていたウォルターの元へ駆けよっていった。
「パパ、やったよ♪」
「おとーさん、ちゃんと見てた?」
抱き着きながら話しかける子供たちを、ウォルターも笑顔で見下ろす。
「あぁ、二人ともよくやったぞ」
「「えへへー♪」」
頭を撫でられて気持ち良さそうに身じろぎする双子の姉弟。その笑顔に癒されながらも、ウォルターは少し気にかかることがあった。
(それにしても、さっきみたいなの……やっぱり、かなり増えてきてるよな)
悪い魔力に憑りつかれた魔物が魔法陣から出現する。特に山奥の村での一件が片付いてから、余計に目立っている気がしていた。
(意図的に仕掛けてるヤツが、本腰を入れ始めたってことなのか?)
そう考えるほうが自然だとウォルターは思った。
山奥の村の一件から、数日が経過している。イフリートを逃がしたことは、仕掛けた者たちの耳にも入っているはず。そうなれば黙っておらず、次の手立てを打つことは容易に想像できる。
異変が更に悪い方向で進み始めているのが、その一環だとしたら――そう考えれば考えるほど、尚更早いところ魔界へ渡る必要が出てくる。
ウォルターの中で、なんとももどかしい気持ちに駆られていた、その時だった。
「見事なものだ! 二人とも実に素晴らしいよ」
――パチパチパチパチ。
突如、高い声とともに拍手が聞こえてきた。そしてどこからか、小さな影がウォルターたちの前にシュタッと降り立つ。
「えっ、な、何?」
あまりにも突然過ぎる登場に、ウォルターは戸惑いを隠せない。それはアニーとノアも同じくであった。
何せ現れたのは、アニーたちと同じ年頃の男の子だったからだ。
小汚いフード付きマントを羽織ってこそいるが、そこからチラッと見え隠れしている服装は、明らかに上流階級の子が着るような上質さを誇っていた。
しかしそれ以前に、ウォルターは一つ、どうしても気になることがあった。
「なぁ。キミってもしかして、魔族なんじゃないか?」
注目したのは、男の子の耳だった。明らかに人間よりも長く、前にとある本で読んだ魔族の特徴によく似ていた。
するとその男の子は――
「よく分かったね。そのとおりだよ」
軽く驚きながらも笑顔で認め、そして胸を張りながら誇らしげに名乗る。
「僕の名はセブリアン。誇り高き魔界の王、バルドゥイノの息子だ!」
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