035 よみがえる想い
「くそ、くそ、くそおおおおぉぉぉーーーーっ!」
山道を下りながら、ニコラスは地団駄を踏む。村から逃げるように出発して以降、ずっとこの調子であった。
「この勇者ニコラスを裏切りやがって……あのケモノ風情があぁーーっ!」
「なぁ、少しは落ち着いたらどうですかい?」
「うるさいっ! 僕に指図するな、この役立たずの木偶の坊が!」
気休め同然に話しかけた剣士の言葉さえも、ニコラスは軽く突っぱねる。散々な物言いではあったが、何も言い返せない。実際あそこで、何もできなかったことは事実だからだ。
魔導師も少し離れた位置で、沈黙を貫いている。完全に視線も逸らしており、頼むから巻き込まないでという姿勢を、もはや隠そうともしていない。
「大体こうなった原因は、貴様らにもあるんだからな!」
「……俺たちもですかい?」
「そうだ! ずっとニヤニヤしていただけで、何もしてなかっただろうが!」
「いや、まぁそれを言われると……」
「分かってるんだったら、何故あの時動かなかった! せめてそのデカい図体で、僕の代わりに吹き飛ばされるくらいのことはできたはずだろう! それすらもできない貴様など、ごく潰し以外の何物でもない! このことは国王にも報告するから、せいぜい覚悟しておくことだな!」
剣士は何も言わなかった。もはや言い返す気力すらなかったのだ。
その表情に、青褪めるなどの恐怖もなかった。
ただ、無のままにジッと見下ろすだけ。ニコラスは言うだけ言って視線を逸らし、彼の様子など興味も抱かない。
(はぁ……このワガママ坊ちゃまについて行くのも、そろそろ潮時ってかな?)
長くは続かないだろうと思ってはいた。冒険者としての地位を上げるために、勇者という名声を利用していたに過ぎず、適当なところで見限る可能性も、かなり早い段階から視野に入れていた。
無論、ニコラスが勇者として全うな人間であれば、最後まで付いて行った。
しかしそれも出会った段階で、出鼻を挫かれたと言ってもいい。
貴族の生まれと、レアスキルによる後ろ盾の大きさにチヤホヤされるだけの、典型的なお坊ちゃま以外の何物でもなかった。
それでいて、地味に実力も高い。そこは英才教育の賜物であり、そこに勇者という名の『補正』がかかることで、能力も更に上昇する。それこそ単純な伸びしろだけで見れば、勇者という名前も伊達ではないと思えていただろう。
しかしながら、それだけとも言えた。
その強くなるための経験値が、ニコラスには圧倒的に足りていない。彼を取り巻く環境にも影響していると言えなくもなかった。
端的に言えば『平和』なのだ。
人間界と魔界が分断状態にあるとはいえ、別に戦争をしているわけではない。それどころか、国内における小さな内戦すらも最近はなく、たまに各地で湧き出る魔物の大量発生くらいが、唯一とも言える規模の大きい戦いであった。
そしてその戦いも、基本的に担当するのは、近隣にある冒険者ギルドに所属している冒険者たち。王都で暮らすニコラスが、わざわざ現地に出向くことは、殆ど皆無と言って差し支えない。
故にどうしても経験値が不足する。
それこそがニコラスの決定的な弱点であり、彼がイフリートに手を出した理由にも繋がってくるのだった。
(伝説の四大精霊もいない以上、このお坊ちゃまで名声を得るのは、もう難しいか。王都へ帰ったら、こっちから早々にオサラバさせてもらおう)
それは、彼だけの考えではなかった。魔導師も似たような想いを抱いており、既に半ばニコラスを見限っている。
イフリートを失ったという事実が、彼女の興味を削いだのだ。
勇者と聖女、そしてそこに伝説の四大精霊が従われ、かつてないレベルの勇者像が出来上がろうとしていた。
それが瞬く間に崩れ落ちてしまった今、もう付いて行く理由はない。好き好んでワガママお坊ちゃまに従う気持ちは、全くないからだ。
その一方で――
(……ウォルター。やっぱりあなたは生きてた!)
大人しく歩いている聖女の心の中は、幼なじみの少年で埋め尽くされていた。
八年ぶりに見たその姿は、立派な青年となっていた。しかも二人の子供を連れていたというのだから、驚かずにはいられない。
(あの子たち……確かにウォルターのことを『パパ』とか『おとーさん』って呼んでたわよね? だとしたらやっぱり父親……でもそれなら奥さんは? あの場にはいなかったように思えたけど……)
全ては、あの場で確認できた内容で推測するしかない。如何せん情報が少なく、考えても考えきれないのが現状であった。
そもそも彼が生きていたという事実でさえ、あの場で初めて知った。
(この八年間、どこでどんな暮らしを? 少なくともあの村じゃないわよね? 村の人たちもウォルターに気づいて、本気で驚いてたみたいだし)
故郷とは違う場所で、彼は子供たちの『父親』を務めていた――分かることはそれだけである。
彼とその子供たちが何故、あの場所にいたのかも、分からないままだった。
たまたま里帰りをしていたと一瞬考えたが、それはすぐに違うと、マーガレットは首を左右に振る。いくら不当とはいえ、追放されたのだから、のこのこと帰るような真似はしないだろうと。
子供たちを長老に紹介する意味はあったのだろうが、それが一番の目的だとは、とても思えなかった。
(……いずれにしても、何も確信がない以上、これ以上考えるのは無意味ね)
マーガレットはそう結論付け、前を向きながら表情を引き締める。
(今はただ、ウォルターが生きていたことを嬉しく思っておこう。いつか、どこかでまた会ったときに、今度こそちゃんと話してみせるわ!)
この八年間、なんやかんやでずっと燻っていた。聖女として少しは認められるようになってはきたものの、そこには何の達成感も抱くことはなかった。
それがここに来て変わった。
幼なじみの存在が、今まで動かなかった気持ちを動かした。
それだけ大切な存在なのだと、ここに来て改めて気づかされる。そしてもう、彼女は迷わないことを胸に誓う。
昔から、ずっと変わっていなかった自分の気持ちに対しても――
(たとえもう奥さんがいたとしても、私は絶対に……あなたに伝えたいから!)
八年の時を経て蘇る想いは、眩い炎と化して、彼女の中で燃え続けるのだった。
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