034 孫に見る過去の幻影



 イフリートの騒ぎが収束して数日――山奥の村は、いつもどおりの平穏な時間が、緩やかに流れていた。

 しかしその中で、確かに変わったこともあった。


「――ドーラのヤツは、まだ家から出ようともせんのか?」


 ザカリーから話を聞いた長老は、呆れを込めた溜息をつく。


「大体、今回のような結果になることは、少し考えれば想像できたろうに……」

「その想像すら、今までずっとしてこなかったみたいです。マーガレットが自分たちを裏切るわけがないと」

「……バカ者が」


 長老は再びため息をつく。ザカリーも今回ばかりは、何も言えない。

 マーガレットがこの村を見捨てた。それが本意なのか不本意なのかは分からない。何か裏があるのかもしれないし、大した事情はないのかもしれない。

 しかし、もはやそんなことはどうでもよくなりつつあった。

 どちらにせよ、娘に裏切られたという事実が、ドーラに大きなダメージを与え、塞ぎ込ませてしまったことに変わりはない。


(マーガレットを責めるというのは、流石に違うとしか言えんからのぉ)


 ドーラは娘に期待し過ぎた。客観的に考えることを一切せず、自分の主観――否、それを通り越した妄想同然の想いを抱き続け、あの出来事を迎えてしまった。

 華やかな理想と過酷な現実。

 それを思わぬ形で味わう羽目になった彼女は、現実を受け止めることができず、全ては悪い夢だと塞ぎ込むようになり、今に至るのであった。


「念のため確認しておきたいのじゃが――よもやお前さんまでもが、同じような気持ちというわけではあるまいな?」

「とんでもございません!」


 ジロリと睨みつけてくる長老に、ザカリーは慌てて手を左右に振る。


「確かに私も、マーガレットの聖女という名声を利用して、調子に乗っていたこともありました。しかしそれもこれまでです。所詮、現実はこんなものだったと、今回の件で思い知らされましたよ」

「むしろお前さんも、気づくのが遅すぎたくらいじゃがな」

「全くもって、お恥ずかしい限りです」


 ザカリーが姿勢を正して頭を下げる。そんな光景を見れる日が来るとはと、長老は内心で驚いていた。

 もう手遅れなのではないかと、半ば諦めてもいた。

 それがこうして心を入れ替える日が来るとは、長老も予想外であり、数日が経過した今でも、内心戸惑っているほどだった。


「しかし長老。私は、娘の態度が本意だったとは、今でも思ってません」


 まっすぐな目つきでザカリーは断言する。


「確かにあの子は、私たちのことを見て見ぬふりをしました。この村を見捨てるようなことをしたのも確かです。しかしその裏には、あの勇者がいます」

「うむ。王都の貴族でもあるあの小僧が、勇者という大きな力を手に入れた。王族がバックに付いておるともなれば、あれだけの大きな態度が取れたとしても、何ら不思議ではなかろうて」

「あの子は最後の最後で、あの勇者に進言してました。そしてこの村を去る時も、振り返ってちゃんと一礼してました」

「そうじゃな」

「少なくとも、本気でこの村を陥れるようなことはしたくなかった……私はそう信じています」


 ザカリーの言っていることは、単なる希望に過ぎない。しかしそれでも、ドーラのように妄信しているわけではないだけ、少しはマシだと長老は思った。


「いずれにせよ、言えそうなことは一つだけじゃ」


 それを踏まえた上で、長老は改めてザカリーに意見を述べる。


「マーガレットも、恐らくこの村には戻ってこないじゃろう。ウォルターのように、最後に顔を見せに来るぐらいはするかもしれんがな」

「いえ……あの子の場合は、それすらも下手にしないほうがいい気がします。家内のこともありますし。ただ――」


 ザカリーは顔を開け、表情を引き締めた。


「どんなことになっても、あの子を否定するようなことはしないと誓えます。私は、あの子の――マーガレットの父親ですから」

「……そうじゃな。その立場は、他の誰もが務まらんものじゃ」

「はい」


 そしてザカリーは立ち上がりながら頭を下げ、妻の待つ自宅へと戻っていった。そして長老もまた、自宅へ戻るべく歩き出す。


(父親、か……)


 歩きながら長老は、父親になっていた元少年のことを思い出す。


(あんなに小さかった子供が、まさか一丁前に父親をやっておるとはの。あの双子たちも随分と、ウォルターに懐いておるようじゃった)


 血が繋がっていないことは明白。しかしそんなことは些細な問題でしかないと、あの三人の笑顔が、それを証明しているような気がした。

 それだけあの親子の絆は、とても深いものだ。

 仮に、あの双子たちの本当の親が現れたとしても、そこに入り込む余地はないと、心から思えてしまうほどに。


(あの勇者からも、率先して子供たちを守ろうとしておったな)


 数日前に見たウォルターの光景。それを頭に思い浮かべた時だった。


 ――子供を助けるためなら何でもする。親として、当然のことをするだけだ!


 不意にそんな言葉が、長老の脳裏を駆け巡る。思わず立ち止まり、目を見開きながら周囲をキョロキョロと見渡してしまう。

 懐かしい声だった。

 もう、聞くことがないばかりか、思い出すことすらないだろうと思っていた。

 なのに今、確かに聞こえた。

 それが現実のものでないことは理解している。しかしながら、それでも長老は思わず考えてしまう。

 今でも傍にいるのではないか――と。


「ベイル……」


 八年ぶりに成長したウォルターを見た瞬間、その名を呟いた。

 瓜二つだった。過去の姿が幻影となって表れたのだと、思わず心から信じてしまいそうになるくらいであった。

 正体が発覚した時は、二重の意味で驚いたものだった。

 一つは無事に生きていたこと。そしてもう一つは――似ていたこと。


「ウォルターはちゃんとお前さんに似て、立派に成長しとるよ……ワシは、ダメダメなじいちゃんでしかなかったがの」


 長老はゆっくりと空を見上げる。雲一つない、澄み渡る蒼さが広がっており、心が洗われていくようであった。

 今頃、孫やひ孫たちも、この空の下を飛んでいるのではないかと思いながら。


「ベイルはワシに似て、そしてウォルターはベイルに……全く、血は争えんわい」


 顔を下ろしながらフッと小さく笑い、長老は再びゆっくりと歩き出した。


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