015 ウォルターと若夫婦



 村の解体小屋にて、今日も仕留めた獣の解体作業が行われていた。


「――よーし、これで解体終了!」


 額に溜まった汗を手の甲で拭いながら、ウォルターが満足そうに笑う。


「結構デカイ猪だったからな。肉もこんなにたくさん取れたよ」

「いやー、助かったぜ、ウォルター!」


 大柄な青年が、心から愉快そうな笑い声をあげる。


「お前さんの解体技術には、本当にアッパレだ! 俺も苦労して仕留めてきた甲斐があったってもんだぜ」

「ガレットほどの実力があれば、そこまで苦労はないだろ」

「フッ、まぁな」


 青年ことガレットは、得意げに胸を張る。ウォルターよりも二歳年上だが、二人の間に上下関係というものはなく、対等な『親友』として接してきた。

 無論、最初から友好的な関係だったわけではない。

 十歳にして双子の父親になったウォルターと、せいぜい親に言われて手伝いをするだけに過ぎない少年とでは、やはり意見や考え方の違いが発生してしまう。初対面こそ八年前だが、最初の数年は互いに殆ど話すこともしなかった。


「てゆーか本当だったら、ガレットが自分で解体するのが一番なんだけどな」

「おいおい、それこそ無理ってもんだぜ。俺の手先の不器用さは、ウォルターもよく知ってるだろぉ?」

「……そんな自慢げに言うことじゃないだろうに」


 ここまで二人が当たり前のように話すようになったのは、今から五年前のこと。

 本格的に狩りに参加し始めたガレットは、鍛え上げた強さを発揮し、あっという間に村の若手エースの座に君臨するほどであった。

 しかし彼は手先が不器用であり、獲物の解体技術に関しては、どれだけ練習しても今一歩の状態であった。

 そこに出てきたのがウォルターである。

 ある日、三歳を迎えた双子たちとともに、育てた野菜を村長の元へ届けに来た際、解体の人手が足りなくて困っている場面に遭遇し、ウォルターが折角だからと手伝いを買って出たのだ。

 双子たちが解体に興味を示していたからというのも大きかった。

 そこでウォルターは、故郷で鍛えた技術を披露した。

 双子たちの育児もあり、獲物の解体作業は久しぶりだったにも関わらず、体が覚えていたのだった。おかげで十三歳の子供という点を考慮しても、素晴らしい解体技術を見せつけたのである。

 ガレットが本格的にウォルターを気に入ったのは、その時であった。

 解体だけでなく、その素材を以て数々の香ばしく美味しい料理を仕上げる腕前も、ウォルターの評価を改めさせる一因となった。


「もーちょっと早く気づいていたら、もっと早くウォルターのメシがたくさん食えていたかもしれねぇんだよなぁ」

「しょうがないだろ。最初はアニーとノアの面倒見るので精いっぱいだったし」

「ハハッ。それでじいさんたちが、よくお前んとこに通ってたよな」


 ガレットが大きい麻袋を幾つか引っ張り出し、素材を仕分けながら入れていく。


「ホントお前はスゲェよ。ガキの時点でオヤジになるだけならまだしも、それを今でも務めてんだからな」

「さっきも長老から同じこと言われた」

「俺もそう遠くねぇうちにオヤジになるだろうから、そんときはお前んところに相談させてもらうぜ」

「あぁ。楽しみにしてるよ」


 苦笑しながら手を動かすウォルター。猪の肉の仕分けも、何年もやっているためか手慣れたものであった。


「――なぁに、調子づいたこと言ってんだか」


 凛としたちょっと低めの、第三者の女性の声が聞こえてきたのは、その時だった。


「あんたはもうちょっとしっかりしてほしいもんだけどねぇ、ガレット?」

「チッ……んだよ、ロゼッタ」


 楽しそうに笑っていたガレットも、邪魔だと言わんばかりに舌打ちをする。


「男同士の会話にチャチャ入れんじゃねぇってんだよ!」

「あーらごめんなさい。愛する『夫』が真面目に働いている姿を、是非とも『妻』として見ておきたいと思いまして。オホホホホ――」

「にゃろう」


 わざとらしく笑うロゼッタに対し、ガレットは忌々しそうに睨みつける。

 ロゼッタの言うとおり、二人は立派な夫婦である。ほんの数ヶ月前に式を挙げたばかりであり、新婚ほやほやなのだ。しかしながら二人の間には、初々しさという言葉が全く見られないのも、また事実であった。


「お前こそ、ちったぁその嫌らしい笑い方を直そうとは思わねぇのかよ?」

「これが私だから」


 誇らしげに即答するロゼッタに、ガレットは唸ることしかできない。そして、それが立派な隙であることを、彼女が見逃すはずもなかった。


「そーゆーあんたこそ、少しは自分で獲物を解体できるようになりなさいな。いつまでもウォルター君頼りにするのは、どうかと思うけど?」

「お、俺は別にいいんだよ! 獲物を狩るのが仕事だからな!」

「狩るだけじゃどうにもならないでしょうが。ちゃんと素材を取り分けてこそ、本当の成果ってもんでしょ!」

「なっ――う、うっせぇなぁ! いつ誰がそんなこと言ったんだよ?」

「昨日の夕飯の時、あんたがお酒飲みながら、自慢げに」

「……マジで?」

「マジ」


 目を見開くガレットに、ロゼッタが呆れたような――それでいて、どこか優しい雰囲気を纏った苦笑を浮かべる。そんな彼女の表情が全く見えていないガレットは、何言い返せない悔しさと情けなさで項垂れるばかりだった。

 その時――


「じゃあ、俺はこれで」


 片づけを終えたことを確認したウォルターが、ゆっくりと立ち上がった。


「頼まれた解体は済んだから。そろそろ帰ってメシの準備しないと」

「あ、ちょっと待て、ウォルター!」


 言い合っていたガレットだったが、ウォルターの声に即座に反応し、大き目の麻袋を一つ放り投げる。


「持ってけ」

「っと!」


 ウォルターが両手でそれを受け取る。割と重量があり、中身を確かめてみると、解体したばかりの肉が入っていた。

 取り分としては、明らかに多い量で――


「こんなにもらっていいのか? いい部位も割と入ってるじゃないか」

「構わねぇさ。それであのチビッ子たちに、美味いメシを食わせてやれって」

「そうよ。ちゃんとお肉食べないと、強くなれないんだから」


 さっきまでいがみ合っていた空気はどこへ行ったのやら。今の若夫婦は、善意でお裾分けをする心優しさにあふれた様子であった。

 それを感じたのか、ウォルターも素直にそれを受け取る。


「ありがとう。じゃあな、村一番のおしどり夫婦さん♪」

「「――なっ!」」


 若夫婦が声を揃える。その顔は二人揃って赤くなっていたが、既に背中を向けていたウォルターには、見えていなかった。


「だ、誰がコイツとおしどりだよ! お前の目は節穴なんじゃねぇのか?」

「そうよ! 全く持って不愉快極まりないけど、今回ばかりは珍しくガレットの言うことに同意するわね!」

「……おいこらロゼッタ。テメェ、ドサクサに紛れて俺を貶してんじゃねぇよ」

「あら。よく分かったじゃない、ガレット」

「ったりめぇだ! あんだけ堂々と言えば当然だろうが!」

「獣を狩ることしか考えてない脳筋だから、ねぇ?」

「んだとぉ?」


 ギャーギャーギャー、と若夫婦の騒ぎ声が、後ろから聞こえてくる。

 それもまた、あの二人にとってはいつものことであり、少なくとも取り返しのつかない結果に発展することは、まずあり得ないだろうと思っていた。


「ケンカするほど仲がいいとは、よく言ったもんだよな」


 微笑ましい限りではあるが、ウォルターからすれば羨ましくもあった。


(生まれた時から、ずっと一緒の幼なじみ……か)


 無論、ガレットとロゼッタのことだ。子供のころから幾度となく喧嘩し、言い争いをしながらも、なんやかんやで互いに互いのことを認め合い、そして誰よりも互いのことを理解している。

 そんな二人が結ばれることは、至って自然なことだった。

 ウォルターにとって、それが妙に他人事とは思えないのも、また確かだった。


(マーガレット……今頃どうしてるんだろ?)


 ガレットたちが結婚してから、妙に思い出すことが多くなった、幼なじみの少女。色々と吹っ切れたつもりではいたのだが、案外そうでもないのかもしれないと、ここに来て思うようになった。

 もしも――彼女が聖女に選ばれていなかったら。

 故郷を追放されることなく、あのまま二人でずっと村で暮らしていたら、果たしてどうなっていたのか。

 今になってそんなことを考えてしまう。もう、どうにもならないというのに。


(未練がましい、ってことなんかねぇ……)


 思わずひっそりと笑ってしまうウォルターは、考えを切り替えることにした。

 今の自分には双子たちがいる。これからも父親として、あの子たちの笑顔を守るために頑張るだけだと。

 改めて、そう思っていた時だった。


「――お久しぶりです、ウォルター君」


 その瞬間、ウォルターは目を見開いた。顔を上げると、まさに八年ぶりとなる、得体のしれない穏やかな笑みが、そこに立っていた。


「精霊王……アルファーディ」

「はい。覚えていてくれて光栄です」


 アルファーディがニッコリと微笑んだ瞬間、風の音が妙にうるさく聞こえた。


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