013 アニーとノア
「きゃっほーぅっ♪」
「ぴゅいー♪」
アニーのはしゃぎ声に、ウサギのような生き物も嬉しそうな鳴き声を出す。
それは『霊獣』と呼ばれる動物とは異なる存在であり、この地では割とよく見かけるほうであった。王都や港町に比べると、人があまり近寄ってこない場所であり、狙われる危険性も少ないというのが大きいのだろう。
ウォルターのように、何らかの事情で移住してきた者はそう見ていた。しかしこの村で生まれ育った者からすれば、霊獣も当たり前のように存在する生き物の一種に他ならない。
実質、この村で生まれ育ったも同然の、アニーとノアも含めて。
「アニー。ちょっと待ってよー!」
息を切らせながら、ノアが一生懸命追いかける。
「そんなに走らなくてもいいじゃん! もーちょっとゆっくり行こうよー!」
「えー? だって楽しいもん」
「はぁ……」
アニーの答えになってない答えに、ノアはため息をつく。これもまた、いつものことであった。双子の姉に振り回される毎日も、物心つく前からの恒例であり、文句を言ったところでどうにもならないことは分かっている。
それでもノアは、毎日のように付き合っていた。面倒だと思うことはあれど、本気で『嫌』だと思うことはない。
どうしてと聞かれると、ノア自身もよく分からないのが、正直なところだった。
しいて言うなら『アニー』が相手だから、だろうか。
双子ならではの特殊な感情なのかもしれないが、これもノアからすれば生まれた時からの話であるため、特別な何かを抱いているということは全くない。
それらも全てひっくるめて、これが『当たり前の日常』なのだ。
「――ぴゅ?」
すると、アニーと一緒に走っていたウサギ型の霊獣が、何かに気づいたかのように長い耳を動かしながら、急停止する。そして周囲を見渡しており、それはアニーもすぐに気づいた。
「あれ? どしたのー?」
「ぴゅぅ……ぴゅい!」
「あ、ちょっと!」
ウサギ型の霊獣がいきなり走り出してしまい、アニーは困惑する。後から追いついてきたノアもそれを目撃し、彼のほうは息を切らせながらも、その状況を冷静に読み取っていた。
「あっちのほうに、なにかあるのかも」
「待ってー!」
アニーが追いかけ出し、ノアも後に続く。いつも通っている山道から外れ、二人は茂みの中をガサガサと突き抜ける。
あまり深く入り込むと、迷って出られなくなる危険性もあるのだが、幸いなことに二人はこの山には何度も出入りしており、霊獣たちとともにほぼ隅々まで散策しきっている状態。おまけに二人は『霊獣』という味方がいる。仮に迷ったとしても、霊獣に帰り道を訪ねれば、問題なく家まで帰ることができるのだ。
それもまた、アニーとノアの出自に関係していることなのだが、当の本人たちは、まだ知る由もなかった。
「あれー? どこ行ったんだろ?」
途中まで迷うことなく走っていたアニーだったが、霊獣を見失ったらしく、周囲の茂みをガサゴソと探し回る。
そして、後ろから追いついたノアは――
「こっち!」
ほんの少しだけ周囲を見渡しただけで、すぐにとある一方向に的を絞り、茂みをかき分けて進み出した。
双子の弟の迷いなき行動に、流石のアニーも驚きを隠せない。
「ノア! なんでこっちって分かるの?」
「なんとなく。でも間違いない!」
「えぇー?」
これも流石に意味が分からず、怪訝な声を出すも、アニーはそのまま続く。
無意識ながらに思ってはいるのだ。ノアが適当ではないことを。きっとその先に、何かがあるのだということを。
理屈ではない。けれど不思議と断言できる気はしていた。
果たしてそれは双子だからなのか、それとも――
「見つけた!」
茂みを抜けた先は、小さな広場となっていた。そこにはウサギの他、鳥など他の動物たちをモチーフとした霊獣が、所狭しと集まっている。
しかし皆、寄り添ったりはしていない。
その中心部にいる大きな存在の影響なのは、間違いなかった。
「ノア……」
「うん。きっとウサギさんは、『これ』を感じたんだ」
双子たちの視線もまた、それに向けられる。大木の下でうずくまり、明らかに苦しそうな表情をしている大きな霊獣。どう見ても一大事であり、このまま放っておけば大変なことになると、二人は直感ながら思っていた。
突然のヒトの乱入に、見守っていた他の霊獣たちも警戒する。
しかしそれもほんの一瞬だけ。アニーとノアであることを判断したのか、二人を通すために、霊獣たちは道を開けるようにして移動していった。
それが何を意味するのか、双子たちは判断できない。
ただ、目の前にいる苦しそうな霊獣を、放ってはおけない――今、二人に考えられるのはそれだけだった。
「どうしよう……なんとかしてあげたいね」
アニーが胸元に手を当て、今にも泣きそうな表情を見せる。
「ケガしてるのかな?」
「うーん。それにしては血が出てないみたいだけど……」
「とにかくここは、パパを呼んでこようよ!」
「いや、それはダメだ」
「ど、どうして!?」
まさか否定されるとは思わなかった。軽くショックを受けるアニーだったが、ノアもまた、悲しそうな表情で霊獣を見つめている。
「今からおとーさんを呼びに行ってたら、もう間にあわないかも。それにぼくたちがここに来ちゃったから……ぼくたちがいなくなったら、多分この霊獣さんも、最後の力を振り絞って、どこかへ行っちゃう気がする」
「そんな!」
信じられない、と言わんばかりに叫ぶアニー。ノアも否定したかったが、それはできなかった。
父であるウォルターから聞いたことがあった。
獣は死期を悟ると、誰にも見られない場所へ姿を消すことがあると。どんなにボロボロで苦しくなっていても、それだけは絶対にやり遂げるのだと。
ノアは直感していた。
この霊獣も、決して例外ではないと。
もしここで目を離したら、もう二度と会うことはできなくなってしまうと。
そんなノアの言葉を、アニーは理解できてしまったのだろう。体を小刻みに震わせており、目には涙が浮かんでいた。
「どうにも……できないの? な、なにかいい手はないの?」
「……なにも浮かばない」
「でも――」
「うん」
反論しかけたアニーに、ノアも頷く。その瞬間、二人の気持ちは一致した。
この霊獣を『助けたい』と。
揺らいでいた視線が、悲しげな気持ちが、一つとなってまっすぐに、霊獣へと向けられている。打算も何もない。ただ、目の前にあるそれを、ここでなんとかして助けてあげたい――願いはそれだけだった。
――ざわっ!
何かが動いたような気がした。頭の中がスッと空っぽになる感覚。そしてそれは、不思議なことではない。
だから慌てる必要もなく、ノアの心は落ち着いていた。
目に見えるものだけが全てではない。周りから聞こえる音も味方に付け、その意識を以て奥へ――更に奥へと入り込むように。
考えなくていい。何故なら既に、それをよく知っているから。
最初から、ずっとそれを持っていたのだから。
「……魔力だ」
「えっ?」
「この霊獣。悪い魔力で苦しんでるんだ」
決して大きくない、むしろ小さいとすら言えるノアの声には、確かな強い確信が込められていた。
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