012 八年後



 ザッ、ザッ、ザッ――大きな鍬で、土を耕す音が響き渡る。

 澄み渡る青空から照らしてくる太陽は、とても眩しくて輝かしく、自然と体に元気を与えてくれる。ゆったりと流れる白い雲もまた、見上げてみれば心を落ち着かせてくれていた。


「……あれからもう、八年か」


 どことなく感慨深い気持ちに駆られつつ、ウォルターは呟いた。


「畑も随分と大きくなったもんだ」


 来たばかりの時は、敷地の一枠にポツンと設けられていただけの小さな畑。それが今では、母屋以外のほぼ全てにおいて、いくつもの畑が整備されていた。

 故郷で培った経験を活かしつつ、何年もかけて地道に広げた。

 各ブロックに畑を分け、それぞれ異なるものを育てる。時には大きな失敗もあり、大損をしたことも少なくはなかったが、その苦々しい経験を経て、彼は着実に成果を出していったのだ。

 ショックを受けることはあれど、へこむことはなかった。

 否、そんな暇すらなかったと言ったほうが、恐らく正しいだろう。


「――パパ!」


 甲高い声とともに、パタパタと駆けてくる音が聞こえてくる。振り向いて見ると、作業着に麦わら帽子を被った少女が、籠いっぱいに積まれた野菜を持って、眩しい笑みを浮かべていた。


「みてみてー、いっぱいとれたよー!」

「凄いな。アニーのところは、それで全部か?」

「うん♪」


 アニーと呼ばれた少女は、満面の笑みで頷いた。八歳を迎え、更に元気が増したように思えるその姿は、ウォルターも嬉しく思えてならない。

 そして、もう一人も――


「おとーさん」


 反対のほうから、アニーとそっくりの顔立ちをしている少年が、とてとてとゆっくり歩いてきた。

 そちらも同じく籠いっぱいに、瑞々しい野菜が積まれている。


「ぼくのほうも、いっぱいとれた」

「おう。ノアの籠もパンパンになってるな」


 ノアと呼ばれた少年もまた、アニーと同じように嬉しそうな笑みを浮かべる。

 出会った時はまだ赤子だった精霊の双子――二人とも元気に成長し、ウォルターを父親として慕っている。

 双子たちは、ウォルターが本当の父親でないことは知っていた。

 先延ばしにすることなく、ウォルターがちゃんと教えようと決意したというのもあるのだが、それ以前に双子たちは、なんとなく察していた。

 むしろちゃんと全てを打ち明かしたからこそ、二人はウォルターに対して、育ててくれた彼を『父親』として強く認識するようになった。ありふれた『絶対的存在』として、今日も当たり前のように懐いている。

 親子三人の生活は、まさに平穏そのものであった。

 のんびりとマイペースに、楽しく明るく過ごしている。それは決して、三人だけが作り上げたものというわけではなかった。


「ウォルター。今日も精が出ているな」

「村長。こんにちは」

「「こんにちはー」」


 ウォルターに続いて、双子たちも元気よく手を挙げて挨拶する。村長も嬉しそうに片手をあげ、微笑みながら返した。


「今日も色々持ってきたぞ。お前さんたちの野菜も見せてはくれんかね?」


 村長は引っ張ってきた台車のほうを振り向く。薪や藁、木材などの雑貨に加えて、小麦粉などの食料品も積み込まれている。

 いつもの物々交換だった。

 物が当たり前に流通する王都や港町などとは違う。周りが自然に囲まれた辺境の田舎村ともなれば、村人同士が狩りをしたり育てたりして得た物を交換し合う――それで生計を立てるのが当たり前の環境だった。

 ウォルターの場合、故郷でも同じような形であったため、尚更不思議に思うことは一切なかった。


「えぇ。ちょうど収穫したばかりのがあるんです」


 野菜を見せようとしたその前に、ウォルターは双子たちに視線を向ける。


「アニー、ノア。手伝いはもういいから、遊びに行ってきな」

「わーい♪」


 それを聞いたアニーが、真っ先に喜びの声を上げながら走り出す。


「行ってきまーす! ノアもはやくぅ!」

「え、ちょっ……待ってよぉ!」


 慌てて双子の姉を追いかけ出すノア。畑作業をしていた恰好のままではあるが、動きやすくて汚れても構わない服装に違いはないため、ウォルターも特に何かを言うつもりはなかった。


「気を付けて行けよー!」

「「はーい!」」


 親としてのお決まりな掛け声に、双子たちも元気よく答える。あっという間に遠くまで駆けていってしまった後ろ姿を見送っていたところに、村長が微笑ましそうに目を細くしながら歩いてくる。


「ほっほっほっ、また随分と元気なものだな」

「あぁ、すみません。騒がしくして……」

「いやいや、子供はあれくらいがちょうどいいもんだ。それに――」


 村長が優しく笑みを深め、ウォルターを見る。


「あんなに幸せそうに笑っていられるのも、ウォルターの教育の賜物だろう」

「……そんなに意識していたわけでもないですけどね」


 ウォルターは軽くため息をつく。謙遜のつもりはなく、本当にそう思っているからそう言っただけだった。


「それを言うなら俺のほうこそ、村長たちには感謝してもしきれませんよ。村の人たちが助けてくれたからこそ、アイツらは元気に育ったんです」

「ハハッ。ワシらは別に大したことはしとらんよ」


 昔を懐かしむように村長は目を閉じる。


「ワシらはあくまで、ウォルターの頑張りに応えただけに過ぎん。確かにお前はまだ十八という若造かもしれんが、下手な若夫婦よりも、立派に『父親』をしている。少なくともワシは、前々からそう思っているぞ」


 お世辞を言っているつもりはなかった。この世界で十八歳ともなれば、立派に成人として扱われるものだが、村長の言うように『若造』の域を出ない。

 しかしウォルターは明らかに違う。

 赤子を二人も、ちゃんと元気に育て上げたという実績を持っているのだ。

 それ故、人よりも早く精神的に成長せざるを得なかった点は否めず、若干生き急いでいるような気配もあるが、それも致し方ないことである。

 村のゆったりとした環境に救われている――それもまた確かだった。


(ウォルターは恐らく気づいてないのだろうが、今のコイツの原動力は間違いなく、あの子たちであることに間違いはあるまい)


 確かに最初は、何かに取り憑かれているかのように子育てをしていた。ウォルターの事情を思い出してみれば、無理もない話ではあった。

 しかしそれも数年が経過するうちに、自然と変化していった。

 故郷を追放されたこと、幼なじみの少女と黙って別れる羽目になったこと、聖女となった幼なじみが勇者とどうなったのか――それら全てが、ウォルターの中でどうでもいいことと化していた。

 自然と過去に見切りをつけ、今を全力で取り組む。

 アニーとノアが幸せになることが、彼の一番の望みであることは、恐らく間違いないだろうと村長は思っていた。


(あの子たちのためなら、ウォルターは恐らくなんでもすることだろう。それ自体は立派だと思うが……)


 村長はいささか懸念もしていた。その気持ちが強いだけに、何をしでかすか分からない危険性もある。たとえどんなに普段が大丈夫でも、不測の事態となった際に、果たしてどうなってしまうのか。


(まぁ、今はとにかく見守るしかあるまい。彼ら親子の生活に、幸があらんことを)


 村のトップとして、そして一人の『祖父』のような存在として――村長は心から、そう願っていた。


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