011 幕間その2~山奥の村



 山奥の村の冬は長い。

 標高も高く、毎年必ず雪に覆われ、春になっても全て溶けるまで、かなりの時間を費やしてしまう。

 しかしそこで暮らす者からしてみれば、それが当たり前だった。

 故に疑問に思うこともない。

 どれだけ激しく雪が降り積もろうが慌てることもない。

 今年は雪が多いな――それ去年も言ってた。

 そんな会話も、村の中における、ありふれた平和の一つだ。変わらぬ光景を見ながら酒を少しずつ酌み交わす。大きな囲炉裏の中央では、太い薪を何本もくべて燃やす火の中で、大きな鍋がグツグツと音を立てていた。


「――うん、美味い」


 味見をした少年がニヤリと笑い、そして立ち上がった。


「さぁ、シチューができたぞ! みんな、どんどん食ってくれー!」

『わーいっ♪』


 大きな猪の肉で作り上げられた濃厚なシチューに、村の少年たちが、器とスプーンを片手に群がる。

 香ばしい香りは食欲をそそり、口の中に唾液が絶えなく分泌されていく。落ち着いていた大人たちもまた、次第に我慢できなくなり、子供たちに混じってシチューをいただこうと動き出していた。

 それもまた、年齢を問わない冬の会合のありふれた光景であった。


『いっただっきまーすっ♪』


 元気のいい声とともに、男たちはシチューをがっつき始める。そしてその美味しさに目を見開き、食べるスピードが速まっていった。


「この肉、今日仕留めてきたヤツらしいな?」

「臭みもねぇし、解体がしっかりされている証拠だ。お前、監督してたんだろ? 少し手伝ったんじゃねぇのか?」

「いや、俺はただ見ていただけだ。全部あの若いモンたちがやったんだよ」


 男たちは囲炉裏を囲う少年たちに視線を向ける。十代前半ともなれば、大人たちから習ってきたことを、少しずつ実践していく年頃となる。

 今回がまさにそれだ。

 少年たちだけで山へ入り、中型の猪を仕留めることに成功したのだ。


「仕留めた獲物を村へ持って帰るのも、解体作業も、全部アイツらがしたんだ。全くいつの間に、あんなデカくなっちまったんだか」

「寂しそうだな?」

「バァカ。驚いてるだけだよ」


 からかったり悪態をついている大人たち。そこには確かな『喜び』があった。

 故にどうしても、思えてならないことがある。


「……今でも信じられねぇよなぁ。三年前にあんなことがあったなんてよ」


 誰かがポツリと呟いた。少年たちはシチューと焼きたてのパンに夢中で、その声は聞こえていない。

 ついでに言えば大人たちの様子にも、全く気付いていなかった。

 皆、考えていたのだ。本来ならばここに、もう一人少年がいたであろうことを。


「おぉ、盛り上がっておるのう」

「長老様」


 のそりと入ってきた長老に大人たちが振り向く。少年たちは気づく様子もなく、大人たちの一人が声をかけようと立ち上がるが、長老は「構わん」と、片手を軽くかざして制する。

 そして長老は、そのまま適当な場所に腰を下ろすのだった。


「子供たちが大活躍してきたそうじゃな」

「えぇ。解体作業も見てましたが、手慣れたもんでしたよ」


 樽のジョッキに入った酒をグイッとあおりながら、男が言った。


「ウチの下の息子も兄ちゃんに影響されたのか、狩りの練習がしたいって、最近ダダを捏ねてましてね」

「ほっほっ、そりゃまた教え甲斐があるじゃろう」

「まぁ、そりゃそうなんですが……」


 男の苦笑とともに、聞いていた他の大人たちもほくそ笑む。なんだかんだで嬉しく思う気持ちは一緒なのだった。


「そういえば、マーガレットが王都へ行ってから、もう三年になるのか……」


 長老が思い出したように切り出してきた。


「ついこないだの出来事に思えるわい。あっという間じゃったの」


 そしてそれには、もう一つ大きな事柄も含まれていたが、あえて長老はそれを口に出すことはしなかった。そんな長老の思いは、他の大人たちも理解しており、神妙な表情で黙認する。


「何年かにいっぺんくらいは帰郷してほしいものじゃが……望み薄じゃろうな」


 それもまた、殆どの大人たちが思っていることでもあった。

 マーガレットが王都へ向かうこととなったのも、相手側が強く押し切って決めたも同然であった。無論、最終的に決めたのは彼女本人だが、果たしてどこまで彼女自身の意志が宿っていたことか。

 そして、マーガレットの王都行きには、彼女の両親も関わっていたのだが――


「おぉ、長老様。ここにおりましたか!」


 ウワサをすればなんとやら。ザカリーが顔を赤くして現れた。

 その手には大きな酒瓶が握られており、今までずっと飲んでいたということは明白であった。

 更にその声も大きかったため、楽しんでいた子供たちもそれに気づき、揃って訝しげな表情を向ける。


「おい、マーガレットの親父が来たぞ」

「何でここに来るんだよ? 折角みんなで、美味いメシを食ってたってのに」


 子供たちはあからさまに、ザカリーを招かれざる客と見なしていた。それだけ彼らの中で、ザカリーに対する評価が低いのだ。

 そしてそれについては、長老も頭を抱えている内容ではあった。


(あの両親は完全に、聖女という言葉に呑まれておった。そのせいか今でも、村の中で自分たちの家が優位な立場にいると、本気で思い込んでおる)


 流石に長老に対してはへりくだっているが、他の大人たちには自慢話をすることが殆どとなりつつあった。

 聖女となったマーガレットが、村を繁栄させてくれるのだからと。

 更に子供たちに対しても上から目線を連発していた。

 我が娘が王都で必死に頑張ってるんだから、お前たちもたくさん頑張らないと恰好悪いぞ――とか言って。

 余計なお世話もいいところである。

 無論、その件はすぐさま長老に苦情として報告されており、長老もなんとかしなければと動いたのだが、ザカリーもドーラも子供の文句だと笑うだけ。

 聞く耳を持たないその二人に、長老もため息をつくことしかできなかった。

 取り返しのつかないことをしでかしたわけでもないため、注意する以外のことができないのを、歯痒く思いながら。


(そもそも王都の連中は、ザカリーやドーラのことなど気にも留めておらん。それをどうして本人たちは気づくことができんのか……)


 酒をあおりながら周りに話しかけるザカリーを見て、長老はこれ見よがしに、深いため息をつく。

 そこでようやく子供たちも、もう一人の来客の存在に気づいた。


「てゆーか、いつの間にか長老様も来てるじゃん」

「え? あっ、ホントだ」


 少年らのリーダー的存在が立ち上がると、他の子供たちも同時に動き出す。そしてリーダーを中心に跪き、一斉にその頭を下げた。


「お疲れさまです、長老様!」

『お疲れ様っす!』

「うむ、みんな今日はよくやってくれたらしいな。ワシのことは気にせず、そのまま食事を楽しんでいなさい」


 手を軽く掲げ、長老は気さくに言った。

 元気のいい若者の声を聞けて、純粋に嬉しく思った。これなら山奥の村の未来も、安泰と考えてよさそうだと――そんなことを考えていた時だった。


「おいお前たち。楽しむあまり挨拶を忘れるのは良くないぞ?」


 ザカリーが真っ赤な顔をしながら、口を挟んでくる。長老がわずかに顔をしかめて見上げるも、本人はそれに気づくことなく、誇らしげに少年たちを見下ろす。


「礼儀を欠かすのは失礼に当たる。お前たちもさんざん言われてきただろう? ほんの少し成長したからと言って、調子に乗るな。近いうちに我が娘マーガレットも村に帰ってくる。その時に今みたいな態度を見せればどうなるか……いくらお前たちでも分からないとは言わせないぞ?」


 こんこんと説教をするザカリーに対し、少年らは視線を合わせることなく、黙って俯いて肩を震わせる。

 必死に、怒りと苛立ちを抑えるために。


(どの口がそれ言ってんだよ!)

(ここ何年も狩りに参加すらしてねぇくせに……)

(聖女の父親だからって、偉そうにする権利はねぇだろうが!)

(いつかゼッテー目にもの見せてやる!)


 少年たちのザカリーに対する評判は下がるばかりだ。そして当のザカリーは、それに気づかないばかりか、そもそも興味すら示していない様子であり、優越感に浸りながら酒瓶を持つ。


「少しは我が娘を見習う姿勢くらい見せてほしいものですよねぇ、長老様?」

「――うむ」


 イエスともノーともとれる頷きだったが、ザカリーはそれを都合よく解釈し、満面の笑みとともに鼻歌を歌い出し、酒瓶をもって退出する。

 一体、何をするために顔を出したのか――もはやそれを考える気力すらない。


「さぁさぁ。もう余計なことを考えるのは止めじゃ。気分を直すべく、ここは改めて乾杯と行こうではないか!」


 長老はそう呼びかけ、改めて少年や大人たちを交えて乾杯し、徐々に最初の盛り上がりを取り戻していくのだった。

 そして数分後には、もう誰もザカリーのことを忘れ、絶えない笑いで包み込む。

 そんな中、長老はひっそりと思った。


(ウォルターはどうしておるのか……あの子が死んだとは、今でも全く思えんわい)


 たった一人の孫だった少年を想いながら、長老は盃の中身を一気に飲み干した。


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