010 幕間その1~王都



(あれから、もう三年かぁ……)


 王都の学園、その中庭を一人で歩くマーガレットは、不意に青空を見上げる。そこにどこからか話し声が聞こえてきた。


「マーガレットさん、今回の定期テストで成績トップだそうですわよ?」

「凄いわね。流石は聖女様だわ」

「それだけ才能が凄いということね」

「いいえ。彼女は途轍もない努力もしているわ。先週も、自主的に先生にお願いして補習を受けていらしたもの」

「私も付き合ったけど、本当に真剣に取り組んでたわね」

「ニコラス様は……正直ちょっと様子見なところがあるけれど、マーガレットさんは素晴らしい方だと私は思うわ」


 そんなひそひそ話も、マーガレットはもはや聞き慣れてしまっており、何も反応することはない。

 とはいえ、全く思うところがないわけでもなかった。


(知らないってホント幸せね。私は別に、そんな褒められた存在じゃないのに)


 それは謙遜ではなく、本音そのものであった。頑張っていること自体は、確かに間違ってはいない。しかしその中身を知ってしまえば、尊敬のまなざしが軽蔑のそれに切り替わってしまうだろうと、マーガレットは思っていた。


(そもそも、みんなして『聖女』って……一体それの何が凄いんだろ?)


 故郷の村で感じていた気持ちは、王都に来てからも変わっていない。どれだけ修行を積み重ねても、得られるのは物理的な能力と精神の向上のみ。それに対する考え方も多少なり変わったとは思う。

 しかし、そこにある『気持ち』までは、未だ何も変わってなどいなかった。


「――やぁ、マーガレット!」


 そこに爽やかな声が聞こえ、マーガレットの足が止まる。表情は硬直しており、振り向こうにも顔は動いてくれなかった。

 しかし相手は、そんなことはどうでもいいのだろう。彼女の肩に手を置き、覗き込むようにして、強引に視線を合わせてくる。


「キミも実習が終わったようだね。僕も今日はこれで終わりさ。良ければこれから、僕と一緒に王都の町を……」

「申し訳ございませんが、ニコラス様」


 そんな相手にマーガレットは、貼り付けた仮面のような笑顔で振り向いた。


「この後は法皇様との予定がありますので」

「なら、終わるまで待っているから……」

「夜遅くまでかかるので、そこまでご迷惑をおかけするわけにはいきません」

「……そうか」


 ニコラスはマーガレットの肩から手を離す。しかし彼女は聞き逃さなかった。彼がひっそりと舌打ちしたことを。

 もはや振り向かずとも、彼がどんな表情をしているかは想像がつく。マーガレットはため息をつきたい気持ちでいっぱいだったが、それを表に出せば面倒になることは間違いない。

 もっともその前に、彼のほうが堂々と態度に出しているため、あまり深く考える必要すらないのも確かではあった。


「全く……いくら忙しいとはいえ、勇者である僕との時間を捻出できないなど、聖女としてあるまじきことだぞ。もう少し考えを改めるべきだ」

「ご忠告痛み入ります」

「――チッ!」


 今度はあからさま過ぎる舌打ちが放たれた。もっともマーガレットは、表情一つ変えることもなかった。

 それが気に入らなかったのか、ニコラスは更に苛立ちを募らせつつ、彼女とは逆方向に歩き出す。


「今度は絶対に付き合ってもらうぞ。お前は聖女。勇者の僕に従う義務がある!」


 マーガレットの返事にも興味はないらしく、ニコラスはそのまま歩き去っていた。チラリと振り向き、彼が遠くまで行ったことを確認したところで、マーガレットは改めて深いため息をついた。


(全く……なーんであんなのが勇者様なのかしら?)


 そう思いながらマーガレットは、迎えが待っている正門に足を運んだ。使いの老執事に出迎えられ、馬車の扉が開けられた。

 すると――


「やぁ、マーガレット。お疲れさま」

「ほ、法皇様!?」


 まさかの人物に、マーガレットは驚愕する。コートを羽織り、シルクハットと杖を携えた教会のトップが、何故ここにいるのだろうかと。

 法皇もそれを察したのだろう。困ったように笑みを浮かべていた。


「そんなに驚くことはあるまい。私はそなたの後見人――いわば親代わりだ。ちょうど空き時間ができたから、迎えに馳せ参じたまでのことだよ」

「あ、ありがとうございます」

「うむ。それに……」


 法皇が身をかがめるようにして、マーガレットの後ろの様子を確認する。


「私が来たほうが、色々と都合もいいだろう」


 そう言われてマーガレットが振り向くと、いつの間にそこにいたのか、ニコラスが目を見開きながら凝視していた。

 流石のマーガレットも、これには驚いた。


「何で……」

「恐らく、不意打ちでも仕掛けようとしたのだろう。まずは早く乗りなさい」

「は、はいっ」


 マーガレットを軽く急かすように馬車に乗せ、扉を閉めたところで、法皇は続きの内容を話す。


「そなたが私を言い訳の材料にしたところで、さほど効果はあるまい。勇者と国王様の後ろ盾は大きいからな」

「た、確かに……もう少し気を付けるべきでした」


 ニコラスの外面の良さは、マーガレットもよく知っていた。生まれた家柄と勇者という大きなスキルを、大いに利用していることも。

 三年という月日が経過した今でも、彼に対する好待遇は変わらない。

 貴族のお坊ちゃまらしく、後ろ盾の大きさを鼻にかける場面こそ目立っているが、それを補うほどに彼の才能の高さは凄まじく、周りも表立って強く言い聞かせられないのが現状だった。

 彼はまだ十五歳の少年に過ぎず、これから成長するとともに分かってくれる――そんな期待が込められている。

 もっとも、それが現実と化すかどうかは、あまりにも儚い願いではあったが。


「法皇様にも気を遣わせてしまって、申し訳ございません」

「気にすることはない――出してくれたまえ」

「――はっ!」


 御者の掛け声とともに、ゆっくりと馬車が動き出す。流石のニコラスも追いかけてくる様子はなかった。


「そなたもよく頑張っている。この三年で、色々と学び得たようではないか」

「それも全ては、法皇様のおかげです」


 顔を上げてまっすぐ相手を見据え、マーガレットは断言する。


「私が色々と参っていたとき、優しくしてくださって……感謝してもしきれません」


 三年前――王都にやってきたマーガレットは、抜け殻のようだった。

 有体に言って、表情が死んでいたのだ。

 ニコラスは「長旅で疲れているだけ」だと主張し、国王や王妃もまた、聖女が王都に来たという事実にしか興味がなく、マーガレットに何があったのかについては、気にも留めていなかった。

 しかし、彼女の後見人となった法皇だけは違った。

 時間を作り、マーガレットに何があったのかを、一つずつ聞いたのだった。


「うむ……そなたの故郷と幼なじみ君の話は、今でも鮮明に思い出せるよ」


 追放された幼なじみの少年が、不意に発生した大きな落雷によって失命した。

 それを聞かされたマーガレットは、何かの間違いだと叫んだ。しかしニコラスだけでなく、護衛の騎士たちも同じく目撃しており、更に大きな戸惑いを抱えている様子でもあったため、嘘をついているようには見えなくなった。

 村人たちが総出で動き、落雷が落ちた場所の周辺を、徹底的に捜索した。

 しかし落雷の跡は発見できても、遺体はおろか残骸の欠片すらも、発見することはできなかった。


「マーガレットよ。今でもそなたは『信じて』いるのかね?」

「――はい」


 法皇の問いかけに対し、マーガレットは表情を引き締めて頷く。


「ウォルターが死んだと聞かされ、遺体も残らなかったという事実には、流石に衝撃を受けました。けれど……法皇様のお言葉が、私に希望を与えてくださいました」


 その幼なじみの少年は、もしかしたら生きているかもしれない――その言葉が、彼女の目に再び光を宿したのだ。

 落雷で亡くなることはあっても、遺体が消滅することはそうそうない。

 その痕跡すら綺麗に消し去るのは普通ならば極めて困難。ニコラスや騎士たちだけではまず不可能だろうと。

 そんな法皇の言葉が、マーガレットを正気に戻した。

 無論、生きているという証拠は何もない。それでも希望が見えた以上、それを信じることはできる。


「今でも私は信じています――ウォルターは生きていると」


 率先して聖女の修業に励んでいるのも、全てはそのためだった。

 いつか勇者パーティの一員として王都を旅立つ。そして世界を回ることになる。そうすればいつかきっと、どこかで再会できるかもしれない。

 大切な幼なじみ――ウォルターと、きっとどこかで。


「そうか」


 法皇も、どこか嬉しそうに頷いた。


「たとえ聖女と言えど、そなただけの人生だ。私は応援しているよ」

「はい。ありがとうございます!」


 マーガレットと法皇は、にこやかに笑い合う。

 あちこちで薄黒い曇り空が駆け巡る中、そこだけが唯一の、明るく眩しい日差しが舞い降りる場所なのであった――


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る