006 勇者ニコラス現る
それからの数日は、ウォルターの中ではかなり長く感じられた。
畑仕事に山菜や野草の採取――これらの仕事は、今までと何も変わらない。しかしいつも、気軽に顔を出してくる存在がいないというだけで、こうも寂しく感じられるのかと改めて思った。
いかに自分が、マーガレットと一緒にいたのかが分かる。
少しうんざりしていた世話を焼く姿も、いざ来なくなると心が落ち着かない。それが一種の喪失感であることを、まだ十歳の少年には理解しきれず、最初はソワソワする気持ちを抱えながら過ごしていた。
しかし、人というのは慣れる生き物であることも、すぐに理解させられた。
三日も経てば、思いのほか気にならなくなってきたのだ。
彼が根っからのマイペースというのもあるだろう。来ないなら来ないで仕方がないと割り切り、自分のすべき仕事に集中する――そんな日々が、ウォルターの中で少しずつ定着していった。
そして、遂に運命の日が訪れた。
「王都から勇者が来たぞーっ!」
そんな村人の叫びが、風に乗って聞こえてきた。
「……そっか。そういえば今日だったっけ」
畑を耕す鍬の手を止めながら、ウォルターは独り言を呟く。視線は教会がある広場へと向けられていた。
今、この場にいるのは、彼一人であった。
ウォルターは無意識に歩き出し、そのまま家の敷地を出て広場へ向かう。
(会うなとは言われたけど、遠くから見るなとは言われてないもんな)
そんな言い訳を思い浮かべながら、ウォルターは次第に駆け足となる。人々の喧騒が聞こえてきており、皆が集まっているのが分かる。
(せめて、アイツを遠くから見送るぐらいは、してもいいよな?)
殆ど生まれた時から一緒にいたも同然の幼なじみなのだ。ウォルター自身、彼女に対する恨みは全くないため、ここで塞ぎ込むような真似も絶対に違うと、ここ数日の間で思っていた。
あくまで表立って別れを告げられないだけ。
幼なじみとして、マーガレットを陰から応援するのは全然いいはずだと。
(おっ、なんかもう集まってるな)
見えてきた広場には、既に村人たちが集まっていた。ちょうどウォルターとは背を向けた状態であり、彼が近づいていることに誰も気づいていない。
(ちょうどいい。このまま後ろから、こっそり様子を見よう)
ウォルターは息を整えつつ、ゆっくりと群衆に近づく。その中心には、王都から来たのであろう人物たちが立ち並んでおり、皆の視線は揃ってそこに向けられている。
よほど注目しているのか、村人たちはウォルターに全く気づいていない。
「ようこそ、我が村へ。遠いところからよくぞおいで下さいました」
長老が穏やかな声で挨拶していた。すると騎士たちとともにいた金髪の少年が、誇らしげに胸を張りながら前に出る。
「僕はニコラス。王都の貴族にして、勇者のスキルを持つ男だ」
ニコラスと名乗った少年は、ニヤリと笑った。
「いずれ勇者パーティを結成して、悪しき魔王を討伐する。そしてその暁には、聖女マーガレットを我が妻とする!」
その大々的な宣言に長老は目を見開き、村の人々も言葉を失った。
彼女の両親であるザカリーやドーラも何がなんだか分からず、口をパクパクと動かしている。寝耳に水であることは明らかだった。
それはマーガレットも同じくであった。
一体どういうことなのか――そんな疑問を込めた視線に気づいたニコラスが、実に気持ちよさそうな笑みを浮かべてくる。
「マーガレット、キミの嬉しく思う気持ちはよく分かるよ」
ニコラスは両手を広げながら、誇らしげに言う。明らかに見当違いではあったが、彼からすれば、真偽については明らかにどうでもいいことであった。
「魔王を倒した暁には、聖女と勇者である僕たちの結婚式を執り行う予定だ。そのためにも彼女は、これからは正式に王都の人間として暮らすこととなる」
「なっ――!」
まさかの言葉に、長老の口から驚きの声が漏れ出る。しかしその瞬間、ザカリーとドーラが笑みを浮かべて前に出てきた。
「そうか、そうだったのか。素晴らしいぞマーガレット!」
「女性として勇者様に選ばれたのね。親として、本当に嬉しく思うわ!」
完全に周りを放ったらかして声をかける両親に、マーガレットは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「で、でも……この生まれ育った村を放り出して行くなんて……」
「そんなこと気にしなくていいのよ」
ドーラが優しく語り掛けながら、娘の肩に手を添えようとする。
しかし――
「あぁ、そのとおりだ。マーガレットが謝罪する必要は、これっぽっちもない!」
その差し伸べられた手を、ニコラスが容赦なく叩き落としてしまう。
当然、母娘二人は唖然とする。そんな中、ニコラスはドーラの存在を認識すらしていないと言わんばかりに、彼女を押しのけてマーガレットに寄り添ってきた。
「勇者と聖女という存在が、王都にとってどれだけ必要なのか――それをちっとも理解しようとしない、こんな村の世間知らずさが悪いんだ。したがってマーガレットが気にする必要なんて、これっぽっちもないんだよ」
ニコラスはマーガレットの肩に手を添え、そのまま軽く抱き寄せる。声もあくまで優しい声色ではあったが、その内容は明らかに、山奥の村そのものを下に見ている物言いに他ならない。
当然、村を愛しているマーガレットは、黙っていられなかった。
「……いくらなんでも、今の言葉は酷いと思います!」
「あぁ。マーガレットは本当に優しいね。それでこそ僕が見込んだ聖女だ!」
完全に自分の世界に入りながらニコラスは演技じみた口調をする。マーガレットの言葉など、ちゃんと耳の中に定着しているかどうか、怪しいところであった。
「なんだよ、それ……」
「少しは言い方ってもんがあるだろうに」
「あれで本当に勇者なのかよ?」
顔をしかめる村の人々。並行してどよめきも広がっていく。ここにきてようやく、村人たちもニコラスに対する疑惑が浮かんできていた。
ほんの数分前まで、村を上げて喜んでいた空気は、完全に消え去っている。
耳を済ませればひそひそ声も聞こえてくる。
皆、王都に対して美化した状態で、幻想を抱いていたことが分かる。煌びやかで華やかで人々も皆優しい。そして王宮では世界平和のために、勇者を筆頭とする素晴らしいスキルの持ち主を育成する働きも見せていると聞いていたのだ。
故に、勇者スキルを手に入れた者に対する期待も大きかった。
現時点では、ウォルターやマーガレットと、殆ど変わらない年齢である。しかしそれでも勇者は勇者。さぞかし素晴らしい心の持ち主に違いないと。
それが一気に『現実』という名の衝撃として、村人たちに降りかかっていた。
(ふーん……あれがお貴族様ってか。じいちゃんが言ってたとおりだわ……)
一方、人々の一番後ろで様子を伺っていたウォルターは、それほど驚いた様子も見せずに観察を続けていた。
長老から前もって話を聞いていた効果は、思いのほか大きかったようだ。
すると――
「あっ、ウォルター!」
幸か不幸か、マーガレットと目が合ってしまい、彼女から声をかけられてしまう。殆ど条件反射のようなものであった。この数日まともに顔も見ておらず、どうしているのかさえ聞けなかった。
彼女もずっと、寂しい思いをしていたのだ。
会いたくても会えない日々は、とても辛かった。こっそり会うことも考えたが、村に残った神官の目が光っていた影響で、動くに動けなかったのだ。
なにより、彼女の両親がそれを許そうとしなかった。
「ちょっと止めなさい、マーガレット! あの子の名前を呼んじゃダメよ!」
「そうだぞ! あんな『スキルなし』の子を相手にするな!」
ドーラに続いてザカリーも、娘を厳しく窘める。精霊の信託以来、二人は完全に大きく変わってしまった。
聖女スキルに選ばれたマーガレットを、まるで自分のことのように喜び、村人たちに片っ端から自慢する毎日であった。そしてウォルターのことを、ゴミのように見下すようになった。
それこそ信託前まで、自分たちの息子のように思っていたというのに。
率先して畑仕事などをこなす彼に対して、娘の将来の相手に一番ふさわしいと、夫婦揃って太鼓判を押していたというのに。
「――ほう? あれが例の『スキルなし』か。こりゃあ手間が省けたってもんだな」
ニコラスは歪んだ笑みとともに、ウォルターに向かってビシッと指をさす。
「勇者として命令する。その小僧を――今すぐこの村から追放しろ!」
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