005 隔離



 ウォルターは思わず、表情を硬直させる。急な男の変貌に戸惑っていた。


「えっと、その……マーガレットが王都に行くことについて……」

「何度も同じことを言わせるな、この能無し風情が!」


 どこまでも冷たく無機質な声色。今しがた見せていた笑顔と熱意溢れる姿とは、まるで別人のようだった。

 ウォルターは勿論、マーガレットも、そして長老を含む村の人々も、村の神官でさえも皆、驚き戸惑っている。しかしながら、控えている騎士たちのほうは、その表情をピクリとも変えていなかった。

 彼の言動はいつものことなのか。それとも職務上、そうしているだけなのか。

 どちらにせよ、それはそれで不気味に見えて仕方がない。


「幼なじみだか何だか知らんが、スキルなしの無能たるガキが、聖女様に気安く話しかけるなど身の程知らずも良いところだ。分かったらさっさと帰れ。この麗しき聖女様に無能がうつったら、どう責任を取るつもりだ?」

「――きゃっ!」


 使いの男は無理やりマーガレットの手を引き、ウォルターから引き剥がす。


「マーガレット!」


 流石にいきなり過ぎる行動に、ウォルターは思わず手を伸ばす。

 しかし――


「それ以上近づくのは、止めてもらおうか」


 騎士の一人が割って入る。その威圧感に飲まれてしまい、ウォルターは伸ばしかけた手を止めた。

 当然、近づこうとする動きそのものも止まり、何も言えなくなってしまう。

 そんなウォルターの様子に満足したのか、使いの男は笑みを浮かべ、最初から彼などいなかったかのように、マーガレットに視線を向ける。


「さぁ、聖女様。あちらで今後のことをお話ししようじゃありませんか」

「え、あの、ちょっと――」


 そして使いの男は、マーガレットを連れてその場から離れてしまう。マーガレットは何かを言おうとしているが、男は聞く耳を持っていない。


「どこか、落ち着いた場所があればいいのですがね……」

「それでしたら、私たちの家にご案内します」


 いつの間にか近くにいたザカリーが、そう進言する。


「狭い場所ですが、マーガレットの生まれ育った家でもありますので」

「あぁ、それはありがたいですね。是非ともお願いいたします」


 ウォルターに見せていた冷たい表情はどこへ行ったのか――思わずそう問いかけたくなるほど、使いの男は穏やかな笑みを浮かべ、礼儀正しい態度をとる。

 村の人々も安心した表情で、何事もなくて良かったと呟きながら、自然とその場を離れていく。

 状況が状況のせいか、誰もウォルターに声をかけることはしなかった。


(……たかがスキルなしってだけなのに、こんなのアリかよ?)


 少しずつ遠ざかってゆくマーガレットの背中を、ウォルターはもう手を伸ばす気にもなれなかった。

 スキルなしの自分と聖女の彼女――既に住んでいる世界が大きく違う。

 そんなことを思うようにさえなっていた。


(まぁでも、仕方ないか……頑張れよ、マーガレット)


 どこか寂しそうに心の中で呟きながら、ウォルターは踵を返して歩き出す。幼なじみが遠くへ行ってしまった――改めてそんな寂しさを感じながら。

 一方、笑顔の大人たちとともに、戸惑いながら歩くマーガレットは――


(ウォルター……)


 チラリと後ろを振り向きながら、切なそうな視線を向けるのだった。



 ◇ ◇ ◇



 その夜――長老は厳しい表情で、ウォルターに話した。


「マーガレットは、数日後に王都へ行くことが正式に決まった」


 ウォルターはそれを聞いて目を見開いたが、あくまで座ったままであり、声も出していない。その様子に長老もまた、軽く驚きを示していた。


「……思いのほか、落ち着いておるようじゃな?」

「なんとなく予感はしてたから」


 多少の強がりはあれど、それもまたウォルターの本心ではあった。

 あれほど聖女という言葉で持ち上げられていたのだ。特に王都からの使者の態度は相当なものだった。

 スキルなしのウォルターを全力で貶し、遠ざけるほどに。

 だからこそ、もしかしたらこうなるかもしれないという予感はしていた。その上で彼は意外に思っていることもあった。


「てゆーか、今日連れていくんじゃなかったの?」

「本当はそのつもりだったらしいが、マーガレットの強い頼みで、数日間だけ引き伸ばさせてもらったんじゃ。気持ちの整理をつける意味でな」

「そっか……」


 ウォルターは力のない笑みを浮かべる。


「聖女に選ばれたんだもんな。寂しいけど、こればかりは仕方がないや」

「そう言ってくれると、話は早い」


 長老も少しだけ嬉しそうに口元を緩ませる。その反応に、ウォルターも少しだけ嬉しい気持ちになった。育ててくれた祖父が世論で暮れているのだろうと。

 しかし――


「ウォルターよ、お前は今後、あの子と接触してはならんぞ」


 その言葉は流石に予想外であり、ウォルターは勢いよく振り返る。そして思わず身を乗り出して、立ち上がろうとまでしていた。


「……マーガレットに会うなってこと?」

「そうじゃ。こっそり話したりすることも含めてな。とにかく、少しでも余計なことはしないでほしい」


 あくまで座ったまま、淡々と語る長老。まるで何かを耐えるかのように、力強く目を閉じていた。


「せめて……せめてお前さんに、何かしらのスキルがあれば良かったのじゃが……」

「つまり、それって……」

「スキルに恵まれなかった子供が触れたら、聖女に悪影響が出る――あの使者は、そんなことを言ってきたのじゃ」


 十歳の子供ではあるが、そこまで言われれば分かってしまう。それでも流石にウォルターは、全てを納得することはできなかった。


「なんだよそれ……そんなにスキルが大事だっていうのか?」

「それこそが『全て』だからじゃよ」


 長老はますます表情を重々しくする。本当はこんなことを言いたくないのだ。

 それでも、言わなければならない。長として、この村を守る義務がある。ここで下手に王都の機嫌を損ねれば、村がどうなるか分かったものではない。

 心を鬼にすることが、これほど辛いものとは――そんなことを思いながら、長老は言葉を続ける。


「いずれにせよ、もう決定されたことに変わりはない。お前さんが何を言おうが、もはやどうにもならん。無理やりでもいい。ここはどうか受け入れてくれ」

「……分かった」


 ウォルターは俯きながらも頷く。それしかできないと思ったのだ。

 この一日で、全てが変わってしまった気がした。

 当たり前だったものが、一瞬にしてガラガラと崩れ去る――その衝撃は、驚きや怒りを通り越して、ただただ虚しい気持ちにさせてくる。

 自然と会話が終わり、ウォルターは部屋の中で一人になった。

 よく晴れた夜空には星が散りばめられ、ぼんやりとしたその明かりに釣られて、虫たちが綺麗な合唱を繰り広げる。

 毎日聞いているそれが、今日は何故か心を突き刺してくるような気がした。

 窓の外から、不意に夜空を見上げてみる。

 青白く光る満月が、まるで吸い込んでくるようであった。


(あと少しで……マーガレットはいなくなるのか……)


 精霊の信託がなければ、こんなことにはならなかった。あれほどずっと一緒にいた彼女が離れるなんて、絶対にないと思っていた。

 暇さえあれば遊びに来ることが、もう二度となくなってしまうなんて。


 目から零れ落ちるものを指で拭いながら、ウォルターは満月から目を逸らした。


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